④-女心って一体-

 ダイアロン連合国からピレトー山脈に至る街道はいくつかある。

 そのうちドルニア平原を経由する道はオアズス街道一本だけだ。草木を切り開いて出来たなだらかな道はドルニア平原を迂回するように走り、やがて急勾配の山道に入るとその先にある聖ライゼルス帝国の領地へ続いていく。


 ゼスペリア州自治領域を進むユキトは、つい数日前にもここを歩いていたことを思い出していた。違うのは彼が馬に乗っていること、そしてライラとセイラの二名が同行していることだ。

 ユキトは、手綱を引くライラの後ろに乗せてもらっている。先頭を進むセイラは周囲を確認しながら進んでいるが、徒歩よりもよほど早いスピードでドルニア平原に到着しそうだった。


『しかし結局、あのレティという子は見つからなかったな』


 傍らの声にユキトは頷く。幽霊であるルゥナはユキトの肩に手を置くことで取り憑き、馬と同じ速度で移動している。高い位置にいるのでちょうど浮遊しているような状態だ。


「見つからないものはしょうがないさ」


『……本当に、そう思っているか?』


 ルゥナの声はどこか気遣わしげだった。


『もしかすると転移の手がかりが見つかったかもしれない。ドルニア平原に向かっている場合ではない……そう君が判断しても、私は責めないよ』


 控えめにだが、引き返してもいいと彼女は暗にほのめかしていた。

 どうして、とユキトは聞かない。立場が逆ならきっと同じことを言っただろう。


 教会で出会った幼女の幽霊レティは、あの日からずっと姿をくらまし続けている。いくら探しても発見できなかったが、ユキトは出立の寸前まで探すことを諦めなかった。

 レティの意味深な発言が気になったということも勿論あるが、何よりユキトは思い出したのだ。


 転移する前、暗闇の中で幼女の後ろ姿を目にしていたことを。


 姿を消せる特異性も影響して、ユキトはある考えを持つようになった。

 即ち、異世界転移にレティが関わっているのではないか? と。

 元の世界に戻る、というのが当初からの目的で、その手がかりが朧げながら見つかったことになる。最初から協力的だったルゥナとしても見過ごせないのだろう。

 それでもユキトは、レティを見つけられたかどうかに関わらず、ドルニア平原に向かうことを止めるつもりは一切なかった。


「前に言ったろ? ゼスペリアのことも放っておけないって。俺が決めたことだから、別にいいんだ」


『だけど……』とルゥナが続けようとしたので「大丈夫だから」とユキトは先に制した。ルゥナの優しさは嬉しいが、もう踏ん切りがついた話だ。

 それにいつまでも探し回っているわけにはいかない。襲撃がどこで起こるかわからない以上、自由に動ける内にドルニア平原へ向かうべきだ。


『……わかったよ。そこまで言うなら仕方ない』


 ルゥナは不服そう、というより子を心配する母のような感じだった。ユキトは少し笑ってしまう。


「過保護だなぁルゥナママは」


『ま、ママ!?』


 頬を真っ赤にして慌てるルゥナだが、からかわれたと気づいて口を尖らす。


『……だって仕方ないだろ。世界を救え、なんて大仰なことを言われたんだ。転移したことも合わせて重大な事実があるかもしれないし』


「世界を救え、ねぇ……」


 ユキトはぼんやりと呟く。

 たとえばこの世界に危機をもたらす存在がいるとして、ソレを倒すために召喚された、というのは割りとベタな話だ。しかしこの世界にはモンスターなどの目に見える恐怖は存在しない。天変地異が起きる気配もない。だからか、言葉だけが独り歩きしていて現実感がなかった。

 あるいは異世界に来てからずっと驚きの連続で、今更なにを言われても動じないほどに慣れてしまったというのもある。


『それに君の身体の変化もあるし』


「副作用のことか? そこまで気にしなくてもいいと思うけど」


 しかしルゥナは『いやそうじゃなくて……』と物が挟まったような口ぶりになる。

 ユキトが首を傾げると、手綱を握っていたライラがぷっと吹き出した。


「いやー何度聞いてても慣れないっすね。まるで独り言ってるみてーだ」


 からからと笑うとライラは少しだけ後ろを振り返る。


「ここにルゥナ様がいらっしゃるってのは、返事の内容で何となくわかるんすけどね。ユキト殿の話し声だけだとなんか可笑しくって」


「あー悪い。すぐ後ろだもんな。俺が馬に乗れれば良かったんだけど」


 ドルニア平原へ向かうには馬での移動が必須だが、ユキトには乗馬経験がない。そこで数日前から馬術訓練を開始した。

 ところが、ユキトにはまったく上達の見込みがないことが判明した。

 なぜなら馬はユキトが跨がろうとすると必ず暴れ始めるのだ。まるで彼が乗るのを拒否しているようだった。もはや特訓すれば何とかなるというレベルでもない。


「そういやうちの子達があーまで嫌がるのも珍しいっすね。ちゃんと人に慣れさせてるんすけど」


「……馬に嫌われる人相してんのかな、俺」


「はは、れなくて良かったっすね」


 この世界にもダジャレあるんだ、とユキトは真顔になった。「笑うところっす」とライラが突っ込むが無視。


「まぁ正直なところ全部の馬が嫌がるなんて普通ないですから。この子も、あたいが手綱を引いててもやっぱ不機嫌だし。きっと別の要因なんでしょーね」


 別の要因、と聞いてチラリと横を向く。ルゥナの目とばっちり合った。


『……私のせいか?』


「い、いやそうと決まったわけじゃ」


「あ、やっぱルゥナ様のせいですよね? あたいもそうかなーって思ってたんですよ。ユキト殿のせいじゃなくて良かったっすね」


 まったくデリカシーのない台詞がルゥナに突き刺さり、うぐぅ、と彼女は呻く。


「いやあんた君主にそれはどうだろう」


「ありゃ凹んでます? でもあたいとルゥナ様はいつもこんな感じだったんで。また昔みたいなやり取りできてあたいは嬉しいっすけど」


 幽霊相手に変わらぬ態度を貫くとは奔放な女騎士だ。この世界ならではの感性か、あるいはライラの気質なのか知らないが、ユキトにとっても珍しい人間だった。


『……またあの苦労の日々が来るのか』


 対するルゥナはげっそりしていた。まるで二人の日常風景が垣間見えるようだった。


「ま、嬉しいのはルゥナ様と喋れることだけじゃないっすけどね」


 そのとき、ライラの声が一段と低くなった。


「あのときの礼が返せるならこんなに最高なことはない……ゼスペリアを貶めた罪はきっちりと償ってもらうから」


 ユキトは息を呑む。背中越しにライラの殺気じみた意思が伝わってきた。

 あのとき、というのは野営地の奇襲のことだろう。ゼスペリア敗北の原因を作った奇襲部隊をライラが見過ごせるはずはない。特に裏切り者がいるかもとなれば尚更だ。犯人をあぶり出そうとする今回の目的は彼女にとってまさに願ったりなものだろう。


 そんなライラを、ルゥナは黙って眺めている。怒っているでも悲しんでいるわけでもない。報復という形ではあるがそれはライラの決断で、口を挟むべきでないと弁えているのだろう。

 これがもし「ルゥナのための弔い」という口実であったなら、ルゥナはゴルドフのときのように叱咤していたかもしれない。ライラがそこまで察しているかはわからないが、普段通りにいてくれる彼女のマイペースさが救いなのだった。


「だからユキト殿には期待してますんで。ちょっくらズバッと犯人を探し当てちゃってください」


 軽い台詞に苦笑いしつつ「頑張る」とだけユキトは返事をする。

 正直どうなるかは不透明だ。霊が残っているかどうかは完全に運任せで、時間的制約もある。

 ドルニア平原に少数で向かうのは動向を把握されないためでもある。大部隊で開戦地にいけば戦争準備とも受け止められかねない。だが味方の中にスパイもしくは裏切り者がいるなら、いずれドルニア平原に向かったことも、その目的すらも把握されるだろう。

 その前に有益な情報を手に入れられるかが勝負所だった。


「だいじょーぶっすよ。何かあってもあたいらが必ずお守りしますから」


 ふいにライラがそう言った。不安で黙り込んでいる、と勘違いしたのかもしれない。それでもユキトには頼もしく聞こえた。

 彼女たちの実力は稽古を見せてもらったのでよくわかっている。ライラは戦斧、セイラは槍の使い手で、ルゥナにも負けず劣らずの猛者だった。

 実は二人共にゴルドフの孫で、幼少期から男顔負けの訓練を施されているという。強さに納得する一方で、あの厳つい家臣の孫というのが嘘くさい。よく二人のような美人が生まれたものだ。


「頼みます。前にも説明したけど、憑依には時間が決まってるから」


「便利なようでいて、難儀なものですわね」


 いつのまにか、先導していたセイラが横を併走していた。


「まぁ仕掛けがわかっていれば対処は可能ですわ。ユキト様はここぞというときだけ憑依をご使用くださいませ。それ以外は全てわたくし共で撥ね除けます」


 自信たっぷりの発言だったが、続く言葉にユキトは訝しむ。


「でないとジルナ様に殺されてしまいますから」


「……なんでそこでジルナが出てくるんだ?」


 聞くとセイラが愉快そうに唇をつり上げる。


「それはもうあの出立の場面を見ればねぇ」「だよねぇ」


 とライラも同調する。思わずユキトは出立の日を思い出していた。


 ******


 ユキトが辿り着いた可能性、すなわち内部に裏切り者や間諜が潜んでいるのではないかという考えは、ジルナらにとって見逃せるものではなかった。三人はすぐに対応を始め、クザンとゴルドフは軍内部の人間全ての素性を洗うために動き出している。ジルナは貴族達の噂や交友関係を探り、怪しい動きをしている将校がいないか調査に入った。


 だがその途中にジルナには別件が舞い込んでくる。ジルナの戴冠式、つまり州長代理への就任式が迫っていたのだ。このためジルナはダイアロン中央州へ赴くことになる。ゴルドフも彼女の護衛として同行することになり、ユキトは護衛としてついていたライラ、セイラとの三人組でドルニア平原を目指す予定になった。

 そして偶然にも三人の出立と、ジルナが中央州に向かう日が重なった。


「では姉様。お気をつけていってらっしゃいませ」


 領主館広場で一同は顔を揃えている。ユキトの隣に向けて頭を垂れるジルナは、全王円卓会議で着ていたものと同じ民族衣装を纏っていた。戴冠式の後はその服装のまま中央州を行進する予定だという。州長代理就任を知らせる披露パレードでもあるため、彼女の美貌も合わさってきっと効果は大きいのだろう。

 だがこれから厳正な式が待っているというのに、ジルナの顔はどこか物憂げだった。


「……正直、またあの戦地に足を踏み入れるのが心配ではあります。姉様のお心にどれだけの負担を及ぼすかと考えると」


 彼女の言葉にはゴルドフやクザン、ライラとセイラも神妙な面持ちになった。

 ドルニア平原に行けばルゥナは、亡くなった当時の状況を思い出さずにはいられないだろう。それが精神状態にどんな悪影響を及ぼすかと、ジルナは気遣っている。

 しかしルゥナはあっけらかんと返した。


『大丈夫。ユキトがついてる。彼がいるから耐えられるよ」


「大丈夫……ユキトが、ついてる。か、彼がいるから耐えられ、るよ」


 自分で自分の自慢をしているようでユキトは気恥ずかしくなった。

 そんな彼の様子を見てルゥナとジルナの姉妹がくすりと笑う。


「そうですね。これまでずっと、ユキトが姉様の支えだったのですよね。心配は無用でした」


 するとジルナの目はユキトに向けられる。


「でもユキト。私が心配してるのは貴方のこともですよ。必ず無事に帰ってきてください」


「ああ。いい報せができるよう頑張るから」


 努めて前向きな発言をしたつもりだが、ジルナはまだ浮かない顔だ。彼女はすっとユキトに近づくと、その手を優しく握りしめた。


「ドルニア平原はゼスペリアの管轄ではありますが、既に領土の外です。監視網もそこまでは届かない。ライゼルスの兵士や盗賊が出没しても不思議ではないのです。十分に気をつけてくださいね」


「わかってる。だから二人に護衛を頼んでるわけだし」


 ユキトは後ろにいるライラとセイラを目で示したが、なぜかジルナはムッとしていた。


「軽く考えないで。私は貴方を失いたくないの」


 ぎゅっと手を強く握りしめられる。


「約束してください。姉様と共に必ず生きて返ると」


 どこか熱っぽい目で見つめられてユキトはたじろいだ。責められているというのに、ジルナのことを可愛いと感じる自分もいる。なぜか非常に照れくさくてユキトは目をそらしてしまった。

 そこで「オホン」とゴルドフがわざとらしい咳払いをする。

 ジルナはハッとするとすぐに手を離す。その頬は赤くなっていた。


「ご、ごめんなさい。強すぎましたよね」


「いや……」とこちらも照れ笑いしたユキトだが「でも約束する。必ず帰るよ」とすぐに告げた。

 ジルナは満足げに頷く。


「では、行ってきます。また数日後、ここで会いましょう」


 そうしてジルナは馬車に乗り込み中央州へと出かけていった。


 ******


 一連の流れを思い出してユキトは首を傾げた。ジルナとのやり取りに変な意味はない。ただ心配され、注意不足なのを怒られただけだ。熱心に諭そうとしていたのも、少なからずジルナがユキトを頼っていることの表れで不自然さはない。


「なんかおかしなところあったか? いなくなると困るってのはルゥナの通訳できるのが俺だけだし、一応客人だしな」


 ユキトがそう返すと、ライラとセイラは一拍置いたあとに盛大なため息を吐いた。


「あー駄目だなこりゃ」「ですわ」


「な、なにがだよ」


「ユキト殿はもう少し女心ってのを勉強した方がよくねぇか」


「むしろわたくし達が手ほどきしたいくらいのもどかしさですわね」


「お、女心って……一体」


「気持ちのあり方ということですわ。とにかくユキト様はゼスペリアに帰るまでにもう少しお考えを改めくださいませ」


 セイラにぴしゃりと断言される。しかしユキトには心当たりが薄く、考え直せと言われてもどうすればいいかわからない。

 困ってルゥナに助け船を求めると、なぜか彼女も冷たい目だった。


『今のは君が悪い』


「ええー?」


 もう意味がわからない。しかし女三人は容赦がなく、自分で考えろという態度だ。

 そうしてドルニア平原に到着するまでの間、ユキトはなぜか針のむしろにいるような心境で過ごす羽目になった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る