③-世界を救って-

 孤児院の子供達が寝静まった頃。

 隣接する教会の長椅子に、ユキトは一人腰掛けていた。

 ルゥナを憑依しての絵本の読み聞かせには副作用が伴う。だいぶ軽くなったとはいえ、だるさや筋肉の痛みが消えたわけではない。寝転んでいても乳母達の邪魔になるだろうと、彼はわざわざ教会に引っ込んでいた。


 理由はもう一つある。月夜の光を受けた祭壇の前には、片膝をついて祈りを捧げるルゥナがいた。

 彼女は生前、暇を見ては礼拝に訪れていたという。今もその習慣を大切に思うルゥナの願いもあって、休憩中は祈りの時間に使うことにしていた。

 ルゥナの後ろ姿を眺めるユキトは、ふと祭壇の上に設置されたある物を見つめる。

 教会の壁には、植物に囲まれた女神像が張り付けてある。

 ダイアロン連合国の人々が崇める豊穣神セレスティアの像だ。


 セレスティアは自然を生み、それを育む温暖な風と恵の雨をもたらす神だといわれている。農業や畜産を生業とする人々が多かった小国時代から信仰されてきた神だ。その存在は日常生活に浸透しているようで「食べ物を粗末にしたらセレスティア様が嵐を呼び寄せるからね?」などと乳母達が子供の説教にも使うほどだった。

 この世界の人々が神に祈るのは、祈りの多寡が自身の命運に影響を及ぼすと信じているから、とルゥナは説明していた。彼女自身も、熱心に祈り続ける様子からその節が見て取れる。

 現代人であるユキトには馴染みのない感覚だ。しかし何もせず黙っていても時は無駄に過ぎてしまう。彼は一人きりになれる時間を使って、考え事に耽っていた。


 ユキトは頭の後ろで手を組んで天井を見上げる。ゼスペリアの将来、そして襲撃者の正体についてはもう繰り返し考えたが、いまだ雲をつかむ感触だった。

 ロダンという名前での探索は難航している。やはり名前のみで正体を探し当てるのは厳しいだろう。

 ゼスペリアの状態についても芳しくはない。軍整備は進めているが資金が足りず武具も人も集めきれない、とはジルナの談だ。捕虜の返還が進んでいないことも悪影響を及ぼしている。

 再びライゼルスの侵攻が始まれば、嫌が応にもガルディーンの合併軍に組み込まれてしまう。そうなればロド家は軍指揮権を剥奪され、州長の座が危うくなる。


 だがその前に、ポメロ伯爵を婿養子に迎えることができればヴラド諸侯王から多額の義援金が入る。そのためにはルゥナの失踪した婿ライオットの所在を明らかにし、罪を償わせる必要がある。でなければガルディーン派閥から反発を食らう。

 しかしここでも問題があった。ライオットの捜索が遅々として進んでいないのだ。親であるアルメロイ辺境伯が責任を持って捜索すると言い張り、他州の協力を拒んでいるせいでもある。

 大人数を動員すれば居場所、あるいは生死の情報を入手する確率は上がる。だが頭の固いアルメロイは頑として受け入れない。自分のプライドが邪魔をしているのだろうとルゥナは述懐していたが、実際にアルメロイを見たユキトも似たような感想を持った。

 あの男は実の息子の行方不明を心配する素振りもなく、ずっと言い訳に終始していた。威厳を保つことばかり気にして親としての愛情が欠片もない。

 腹立たしいことに、そんな男が権力を握っているせいで誰も注意できないでいる。止められるのは実の兄のヴラド諸侯王くらいだが、ヴラドが好きにさせている以上は他の人間は何も言えなかった。


 ――とりあえず待つしかないか、こればっかりは。あと俺にできるのは……黒い霧を調べることだな。


 膠着状態を動かせる立場にない以上、まずは黒い襲撃者の問題に専念すべきかもしれない。何より連中はルゥナの死に関係している可能性がある。正体を突き止めることで、暗躍する存在が何者なのか、ライゼルスが関わっているかを見極められるかもしれない。

 だが一つだけ、ユキトには気がかりな点があった。


 中央州でユキトが襲われたのはどこにでもあるような飯処だった。宿泊した迎賓館や帰りの道中など居場所がわかる段階で襲われたのならいざ知らず、大勢の人間が集う街中で敵はどうやって居場所を突き止めたのか。

 何よりユキトがゼスペリアから中央州に移動していたことも把握していなければいけない。とすれば連中はある程度の期間をダイアロン連合国の領土内で過ごし、ユキトの動向を確認できる位置にいたことになる。

 考えられる線は二つだ。


 ――敵国のスパイが潜んでるか……裏切り者、か。


 感情的には前者で考えたい。

 だがどうしても、ゴルドフの話と繋げて考えてしまう。

 ドルニア戦役でルゥナを襲った奇襲部隊は、ゼスペリア本陣奥にある幕営地に安々と侵入し彼女を死に至らしめた。

 まるで魔法のような手際だが、裏切り者が手引していたと仮定すれば難易度はぐっと下がる。

 それはゴルドフが指摘していたライゼルスの動きの悪さとも辻褄が合った。

 つまりライゼルスは、奇襲があったことを一切知らなかった。だから翌日も普通に戦闘を開始しようとしたのだ。

 考えに至ったとき、にわかに緊張感が高まる。


 ――今もゼスペリアに裏切り者が潜んでるかもしれない、ってことだよな。


 ユキトは背後の扉を振り返る。出入り口には雑談に興じるライラとセイラがいた。不穏な空気は感じられない。

 ほっと一息吐きつつユキトは、祈るルゥナへ視線を戻す。同胞の策略で命を絶たれたと知れば彼女は動揺するだろう。

 だが、調べない訳にはいかない。


 スパイや裏切り者がいるならば、ドルニア戦役に参加し生き残った人間の中にいるはずだ。ゼスペリア軍の人間と、増援部隊として来ていた他州の兵士が該当する。

 ゼスペリア内部の人間ならゴルドフやクザンの協力で調査できる。しかし他州には協力者がいない。兵士なら尚更、軍部や州長の許可がいる。それを誰に何と説得すればいいのだろうか。


 ――敵がいるかもしれないってヴラド諸侯王に報告するか? ……いや、まず駄目だろうな。


 思い込みで動いてくれるほどあの王は単純な人間ではない。

 奇襲がライゼルスの仕業でないことを示す、何らかの証拠が必要だ。

 ユキトは難しい顔で眉間を揉む。証拠といっても、この世界にはDNA検査技術も指紋採取の概念もない。できることは聞き取り調査くらいなものだ。

 そんな中で証拠に足りうる材料を見つけ出すのは、途方のない話だった。

 ユキトがうなだれたそのとき、声がかけられる。


『ねぇお兄ちゃん』


 幼い子供の声だった。振り向いた彼の隣に六、七歳ほどの幼女が立っていた。


「っ!」


 ユキトは飛び跳ねるように椅子から立ち上がった。

 物音に気づいたルゥナが振り向く。


『どうしたユキト……――っ』


 彼女もまた幼女の姿を見て言葉を失った。

 その姿は半透明で背後が透き通って見える。

 ルゥナと同じ、幽霊だった。


『少しボクとお話しない?』


 幼女は目を細めて笑う。

 だがユキトはあまりに驚きすぎてすぐに返事ができなかった。今の今まで、この教会内で幽霊に出会ったことはない。降って湧いたような出現は彼の経験上、まったく初めてのことだった。


「……あ、ああ、いいよ。何の話かな?」


 しかしユキトは、ぎこちないながらも笑ってみせる。もしかして見落としていたかもしれないし、幽霊が影に隠れていた可能性もある。何よりここに確かに存在する幼い少女の霊を無視することはできない。

 同時にユキトは、それとなくルゥナへ目配せした。この子は誰か、と視線で問う。

 だが、ルゥナは小さく首を振った。えっ、とユキトは声が漏れ出そうになる。

 死者は死んだ場所に捕われる。つまりこの幼女は教会周辺で亡くなっている。可能性があるなら、亡くなった孤児院の子供の一人という線だが、ルゥナは知らなかった。

 では目の前の幼女はどこの誰で、いつ死んだというのか。


『お兄ちゃんはボクが見えるし声も聞こえるよね? だったらお願いを聞いて欲しいんだ』


 そう言われてユキトは我に返る。死者の願いを、彼女もまた持っているようだ。素性はともかく幽霊としては当たり前の行動を取っている。

 ユキトは頷きながら幼女の姿を観察した。服装は孤児院の子たちと変わらない簡素なものだ。肌は病的に白く金の髪も色素が薄い。その顔に浮かぶのは年相応の無邪気さではなく、どこか悪戯っぽい笑みだった。


「俺にできることだったらいいけど……何がして欲しい?」


『この世界を救って』


 ユキト、そしてルゥナはポカンとする。

 一瞬何を言われているのかわからなかった。


「せ、世界?」


『そう。お兄ちゃんにしか頼めないことだよ』


 クスクスと笑う幼女にユキトは困惑する。


「……えーと、まず、君の名前は?」


『ボク? そうだなぁ……レティ。うん、レティでいいよ』


 妙な自己紹介だった。まるで今さっき考えたような口ぶりでもある。


「じゃあ……レティ。もう少し俺にわかりやすく説明してくれないかな」


『言葉の通りだけど。今この世界は危機に瀕しているんだよね。それを救って欲しい、っていうのはすごくわかりやすいと思わない?』


 冗談なのか? とユキトは訝しんだ。しかし幽霊がそんなことを言うとは思えない。

 未練を持つ彼らは話を聞いてもらおうと躍起になるのが普通だ。冗談を言って楽しむ余裕があるならとっくに成仏している。

 では、かつての悪霊のようにどこか頭が狂っているのか。少し警戒したユキトだが、幼女の態度は奇妙であっても悪意を向けられている感じはしなかった。


『世界を救うというのは何かの暗喩だろうか?』


 ルゥナが近寄って呟くと、レティが目を向けた。


『だからーそのままの意味だってば。それにお姉ちゃんも頑張ってくれないと困るからね』


『わ、私がか?』


『そーそー。あ、いつもお祈りしてくれてありがとね』


 意味深な言葉に二人はますます困惑を深める。

 そんな様子を楽しむようにレティはクスリと笑うと、腰の後ろで手を組んで祭壇の方へ歩き始めた。


『お兄ちゃんの能力は稀有なんだよねー。もう替えはいないし、他から持ってこようとすると感づかれちゃうからさぁ。だからお兄ちゃんに頼るしかないんだよ』


 彼女の言葉をユキトは一つも理解できない。

 はずなのに、なぜか重要な話をされているような気はした。


『でも便利だよね。死者の声を聞けるっていうのも。普通はさ、死んだ人とは話せなくなるでしょ? その人の気持ちとか考えとか、死んだらまったくわかんなくなっちゃうのに。でもお兄ちゃんなら、知ることができる』


 祭壇の前に来たレティはそこでくるりと振り向く。


『それってさ、生きてる人が知ることのできない情報だよね。たとえばお兄ちゃんや他の人達が見ていなかった場所での出来事も、死んだ人は見ていたかもしれない。それを聞き出せちゃうんだ。凄くない? 難事件もすぐ解決だよ?』


「死んだ人が見ていた……?」


 呟いた瞬間、ユキトの頭の中で電撃が走った。


「それだ!」


『ど、どうした?』


 驚くルゥナに向けてユキトは勢い良く振り向く。


「戦場で死んだ人たちの中で、もし、まだ現世に残っている人がいたら……奇襲された場面のことも聞けるんじゃないか?」


 ルゥナはハッとした。


「うまくいくかはわからないけど、もし俺の考え通りなら、誰も気付いてないことがわかるかもしれない」


 勿論死者が現世に留まっていることが前提で、奇襲を目撃していたという条件を満たしていなければ話にならない。それでもこの薄い手がかりの中でなら試してみる価値がある。

 何よりこの調査は、ユキトだけが可能にする手法だ。動かない手はない。

 複雑そうな表情を浮かべるルゥナは「なるほど……」と呟いた。


『……確かに、戦場では何万という人間が殺し合っている。あまり喜ばしい話ではないが、私のように未練を抱いて現世に留まる人間の一人や二人は存在するかもしれない。そういった者達に話を聞くというのだな?』


「そういうこと。それに、もしルゥナやジルナの知り合いなら未練解消の手助けもしてあげられるかもしれない。あとはレティの願いってのを聞いて――」


 と振り返ったところでユキトは唖然とした。


「……レティ?」


 幼女の姿はどこにもない。近寄って祭壇の周りを確かめても陰も形もない。


「どういうこと、なんだ?」


『死者が忽然と消えるということはあるのか?』


「……未練が解消すればな。でもあんな会話で終わるはずないんだ」


 ぞわり、と不気味な感触が背筋を這う。

 まさか場所に縛られず、自由自在に移動できる幽霊だとでもいうのか。


「さっきからごちゃごちゃと何をしてんすか?」


 背後から声をかけられ、ユキトはビクリとしながら振り返る。

 彼の動揺した様子にライラとセイラは首を傾げた。


「いや……なんでもない」


 ユキトは首を振った。二人は幽霊が見れない。いくら説明しても実感が沸かないだろう。

 彼女の謎を探るなら自分自身と、そしてルゥナの手助けで進めるしかない。

 だからユキトは思考を切り替え、ライラとセイラに告げた。


「それより二人に頼みたいことがあるんだ」


 そこで一旦、ユキトはルゥナを伺う。彼女は後押しするように力強く頷いた。


「俺を、ドルニア平原に連れて行ってくれ。そこで戦争で死んだ人たちに会う」

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