②-恋心 下-
「ここ、こんな時間にどうされたんですか?」
「約束通り会いに来たんだけど、その、ドッペリーニさんに捕まって……飲まされてた」
うぷ、とユキトが口を抑えたところでアルルは全てを察した顔になる。
「すみません、ほんとあの人達は……」
げんなりしながらアルルは扉を開けて部屋へと招く。
室内はベットが二つあるだけのさっぱりした内装だ。しかし宿によっては藁が置いてあるだけだったり、床に雑魚寝を強要される場所もあるので女性にとってはマシな部類だろう。
室内に入ったユキトだが、アルルの服装を見て気まずけに目を逸らした。
彼女は薄い布地の服一枚を着ているだけだ。就寝の格好だと彼もわかったのだろう。
「ご、ごめん、こんな時間だもんな……出直すよ」
「いえ、せっかくおいでくださいましたし。こんな格好でよければ、わたしもお話がしたいです」
にっこりと笑ったアルルはベットに腰掛ける。ユキトもおずおずと隣に座った。
「で、でも、ベット二つあるけど、共同部屋、じゃないのか?」
彼の声はどこか上ずっていた。女性一人の部屋にいること、しかも寝間着姿だという状況を変に意識しているのかもしれない。
ルゥナはむっとした。なぜだか面白くない。
「ドッペリーニさんの奥さんと一緒に使ってるんですよ」
「その人はどこに? 下で女の人は見かけなかったけど」
「体調を崩した人がいたので看病に行きました。おかみさんは皆のお母さんみたいな存在なんです」
へぇ、と相づちを打つユキトを、アルルはにこにこしながら見つめる。わざわざ会いに来てくれたことが本当に嬉しい、という表情だ。
「ところでユキト様はロド家に雇われたんですね。この州に来られたのはそのためだったのですか?」
「まぁ、そんなとこかな。たぶんずっとここにいると思う」
「そうですか……ちょっと羨ましいな」
うつむくアルルを見て、ユキトは察した顔になる。
「もう、ここから出てくのか?」
「そろそろだと思います。次はギュオレイン州ですね。七州は何度も回ったことがありますけど、ギュオレイン州はすごく広くて色んなお店があるんですよ。でも働いてる人はこのゼスペリア州の方が好きだなぁ。みんな優しいし明るいし……住むならこの街がいいです」
「住んじゃえばいい、と思うけど」
彼の何気ない一言にアルルは、うーん、と困ったように笑う。
「そういえばユキト様は外国の方でしたね……内地に住むには色んな人のツテとか大金が必要になるんです。あたしはどちらもなくて。もちろん州外に暮らすことはできますけど、暮らしはあんまり変わりません。内地に住む人と結婚すれば住めるかもですけど」
冗談めかして言うアルルだが、ふとユキトは遠くを見る目になった。
彼の心境がルゥナには何となくわかった。きっとジルナの境遇と重ねているのだ。
「……大変だな」と彼が呟くと、アルルは笑って首を振る。
「確かに移動は多いですし仕事も頑張らないといけません。でもあたし、この暮らしは嫌じゃないんです。色んな国や街を回って、たくさんの人に出会えるのが嬉しいので……ユキト様にも会えたし」
最後の方のアルルは頬を赤らめていた。少しの勇気を振り絞ったのだろう。
だがユキトは吐き気を催しうつむいたので見ていなかった。
「そ、そうかぁ。じゃあ俺に、色んな場所のこと、教えてくれないか?」
何とか顔を上げたユキトだが、その言葉はどこか辿々しい。顔も青白い。
アルルは彼の様子に気づいた風もなく思い出話を始めた。ダイアロン連合国の話や聖ライゼルス帝国、果ては北方にあるムルバレーギルド同盟など、幼少期から遡った彼女の旅の物語が語られる。
ゼスペリア州からほぼ出ることなく生涯を閉じたルゥナにとって、それは非常に興味を惹かれる話だった。ずっと剣の修行や父の手伝いばかりで、諸外国など見て回ることはなかった。ジルナが父と共に西大陸に遠征するときですら留守番係を買って出たくらいだ。
当時は特に興味はなかったし、彼女自身もこれでいいと思っていた。
しかしアルルの話を聞いていると、実際に見てみたいという気持ちが湧いてくる。
自身の感情に気づいたルゥナは苦笑いを浮かべた。
――馬鹿だな。体のない私には無意味なことなのに。
あるいはユキトと一緒に行動すれば叶うかもしれないが、それこそ彼に甘えすぎであり、分不相応な願いだろう。
――だけどユキトと共になら、きっと楽しいのだろうな。
そんな妄想をしながらユキトに目を向ける。彼はアルルの話に相づちを打っているがあまりにもタイミングがずれていた。目は虚ろで体がふらふらと横に揺れている。話がまったく耳に入っていない様子にルゥナは『まったく……』と呆れる。アルルが喋るのに夢中で気づいていないのが幸いだった。
『飲み過ぎなんだよ君は。ほら、謝って今日はもう出よう』
と声をかけたとき。うーん、と声を上げてユキトはベットに倒れた。
しかもアルルの方へ傾いたものだから彼女が押し倒される形になる。
「きゃ!?」
アルルが声を上げる。彼女の視線は自分の胸に注がれていた。
ユキトの手がアルルの胸を鷲づかみにしている。
「ユ、ユキト様? どうされましたんんっ……」
アルルが艶っぽい声を上げる。ユキトの手が胸を揉んだのだ。
動揺したのはアルルだけではない。
『ななな、何をしてるんだ君は……!』
ルゥナは慌てふためくがユキトから返事はない。
実のところ、体勢を変えるために動こうとしただけでユキトに他意はなかった。しかし今の彼は酩酊状態で自分がどんな状態なのかも把握しきれていない。
アルルがそっと上半身を起こしたところで、ユキトは呟いた。
「し…………たい……」
『へっ!?』
ルゥナの視界に電撃が走った。
「し、たい……の、ですか」
アルルが顔を真っ赤にすると、ユキトは緩慢な動作で寝返りを打った。仰向けになって手を広げる。瞼を閉じているが誘っているように見えなくもない。
アルルの瞳は涙に濡れたように潤んだ。じっと黙っていた彼女は唾を飲み込むと「女は度胸って、おかみさんも言ってたし……」と呟き、意を決したように衣服を脱いだ。
『ひにゃ!?』
ルゥナの理性が悲鳴を上げた。
目の前で何が起ころうとしているのか理解が追いつかない。
裸体のアルルは胸元だけを服で隠す。緊張に強ばった表情ながらもユキトを真っ直ぐ見つめていた。
そして横たわるユキトの耳元に口を近づける。
「……あ、あたしなんかがお相手で失礼かもしれませんが……助けていただいたお礼がしたいです。だから、ユキト様」
艶めかしい唇が彼へと迫る。目をつむるユキトは動かない。どっしりと待ち構えている。
『あわわわわわわわ……!』
ルゥナは混乱した。色恋沙汰にまったく免疫のない彼女はどうすればいいのかわからない。
だが実のところ、ユキトの呟きは「しまったルゥナ、部屋から出たい」というルゥナへのメッセージだった。しかし小声すぎてアルルもルゥナも聞き間違えているのだ。
――と、止めたほうがいいのか? いやこれはユキトの意思だし邪魔するのもでもほんとにこんな唐突でいいのかもっと順序ってものがあるんじゃないの!?
彼女の拙い知識と少ない経験と倫理観がぶつかり合う。
そうこうしているうちにアルルの唇がどんどん接近する。
あわや接触するかという瞬間。
ルゥナの体は勝手に動いた。
「ああー! 思い出した!」
倒れていたユキトが勢いよく立ち上がった。アルルはびくりとして身を竦める。
「すまないアルル! 仕事が一つ残っていた! また今度ゆっくり話を聞きにくるよ!」
はっはっは、と笑いながら彼はドアを開けて外へ飛び出す。
ぽかんとしたアルルは目を丸くするだけだった。
ユキト、ではなく彼に憑依したルゥナは階段を駆け下りて一目散に外に出て行く。大通りを走り抜け人気のなくなった場所でようやく速度を落とし、民家の軒先に座り込んだ。
肩で息をするルゥナは夜空を見上げた。満天の星を眺めながら気分が落ち着くのを待つ。
だが身体が酔っているせいか、暴れる心臓はちっとも落ち着こうとしない。
『……ん? あれ?』
内部で声がしてルゥナはギクリとする。
『ここは? って感覚ないな。憑依中なのか?』
「あ、ああ。すまない、勝手に発動させてしまった……」
『それはいいんだけど……って、まさか敵襲か!』
一人慌て始めるユキトに、ルゥナは首を傾げる。
「いやそうではないけど……もしや覚えてないのか?」
『ごめん、途中から記憶がない』
ということは先ほどの彼の言動は何かの誤りだったということだ。
誤解していたことに気まずくなりつつルゥナは、会話中にユキトが昏睡したのでやむなく憑依を使いここまで出てきた、と説明する。
『そっか、アルルに悪いことしちゃったな。今度謝っておかないと』
ルゥナはバツの悪い顔で黙り込む。確かに、アルルには悪いことをしてしまったかもしれない。あのまま放っておけば、たとえ誤解だったとしても二人は男女の仲になっていただろう。ルゥナはそれを邪魔したのだ。
しかし未遂に終わったことに安堵する自分がいることも、ルゥナは気づいていた。
――なぜこんな気持ちになるんだろう。私は一体、どうしてしまったんだ?
憑依中だからか胸の昂ぶりを感じる。妙に浮足立った気分だ。
この状態を言い表す言葉は何だろうかと、彼女は考え込む。
一つだけ思い当たった。途端にルゥナは激しく戸惑う。まさか、と。
だからルゥナは、ついユキトに聞いてしまった。
「なぁユキト……君は恋愛をしたことが、あるか?」
『はぁ? なんだよ急に』
「いやその……! あ、アルルの話の中にそういう話題があってだな。私は経験がないからどうなのかなと思って」
嘘をついたことに罪悪感を覚えるが、それでもルゥナはどうしても聞きたかった。
『んー、まぁあるっちゃある。といっても一方通行で終わったけど』
「それはどういう心境なのだ? こう、相手のことをいつも考えるのか? 他の人間と喋っているだけで嫉妬するのか?」
『そんな感じかなぁ。あとは会えるだけで嬉しかったりとか……俺もそういうの疎いんでよくわかんないけど』
恥ずかしげな気配が伝わってくるが、ルゥナは反応せず「そうか」とだけ呟いた。
「……恋とはこうなるんだな」
『え?』
「何でもない。それよりライラとセイラが心配しているだろう。戻ろうか」
ルゥナは立ち上がって酒場へと歩いて行く。
その顔には自嘲の笑みが浮かんでいた。
――本当に馬鹿だ、私は。大馬鹿だ。
もっと生きているうちにたくさんの恋愛をしておくべきだった。
そうすれば彼への想いも抑制できたかもしれない。
しかし、もう遅い。ユキトを好きだという気持ちは止めようがない。放っておけばいくらでも膨らんでいく。
嬉しくて、そして切ない感情がルゥナの心をかき乱す。
ルゥナがうつむき加減で歩いていると、こんな夜にも関わらず馬車が通りかかった。
「あれ? ユキト?」
馬車が止まる。扉を開けて顔を出したのはジルナだった。
ルゥナが驚くと、その拍子に憑依が解除される。元の肉体に戻ったユキトはぐらつくが倒れることなくジルナに向き合った。今やそれだけ副作用は軽くなっている。
「どうしたんですかこんな場所で」
「っとと……ちょっと知り合いと飲んでてさ」
苦笑いした彼が馬車に近づくとジルナは眉をしかめた。
「うわ、お酒臭いですね。貴方がそんなに飲むなんて珍しい」
「商人連中の犯行です……それよりジルナはどこ行ってたんだ?」
「方々の貴族邸へ、参列のお礼参りをしてました。今から帰るところです」
そこでジルナは席を横に移動すると、自分の隣をぽんぽんと叩く。
「ほら乗ってください。一緒に帰りましょ」
「いや護衛の二人がまだ飲んでるんだ」
「……飲んでるんですか?」
ジルナの声に棘が混じったことでユキトはやべ、と舌を出した。職務放棄がバレたライラとセイラは後からこってり絞られるのだろう。
「いいですよ、遊んでるんでしょ二人は。先に帰りましょう」
「あー……でも悪いよ」
「構いません。貴方だってそんなにお酒を飲んでたら歩くのも大変でしょうに」
ほら、とジルナは、今度は自分の膝をぽんぽんと叩く。
「私の膝を貸しますので横になってください」
「い、いいよ起きてるから!」
「そうですか? ならせめて横に座ってください」
渋々ながらユキトは馬車に乗る。ジルナは少し残念そうな顔をしたが、ユキトが隣に来ると笑顔を浮かべた。
――あっ……。
端から見ているルゥナにはわかった。
大人達に向ける社交辞令の笑みではない。友人に向ける感情なのかと問われれば、もっと別種のようにも思える。
ジルナも、ユキトのことを特別視しているのではないか?
姉のルゥナだから気づく些細な変化だった。
『…………』
ルゥナが黙っているとジルナはきょろきょろと周囲を見回す。
「姉様も乗りましたか? さぁ帰りましょう。私たちの屋敷へ」
呼びかけられ、ルゥナも馬車の方へすっと移動する。
そして正体のわかった自分の感情を、そっと胸の奥にしまいこんだ。
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