⑥-ユキトの過去-

 違う存在が見えるとユキトが気づいたのは、彼が五歳のときだった。

 雨の中を傘も差さずに立ち続ける老人がいた。気になったユキトは母親に「何であのおじいさんは傘をささないの?」と聞いた。しかし母親は訝しげな表情で「誰もいないわよ」と首を傾げる。周りを見れば、誰も老人のことなど気に留めていない。

 すると一人の男が老人に近づき、接触した。ぶつかった老人は倒れると思った。しかし男は何事もなかったかのように老人を


 そこで初めてユキトは、この世に透明な人間――幽霊が実在することを知る。


 幽霊達は、怪談に出てくるようなおぞましい姿ではなく怖くはない。しかし彼らは時に暴れたり、泣いたり、いつまでもぼーっとすることが多く、幼いユキトには近寄り難い存在だった。

 なにより彼らは、死んだ場所からあまり遠くまで移動できない。遠巻きに眺めるだけなら支障はなく、見えることも大人が不気味がるので口外しなくなった。


 そんな風に異質な存在から距離を置くこと数年。小学生も高学年になれば、彼らが自分の死を嘆き悲しんでいること、誰とも会話できず打ちひしがれていることを理解する。

 死者の存在に慣れきっていたユキトは、この頃からあることを考えるようになった。


 ――俺だったら、何とかできるのかな。


 それは少年特有の万能感からくる思い込みかもしれない。あるいは悲嘆に暮れる彼らを知りながら放置していることに罪悪感を抱いたせいかもしれない。

 どちらかはわからないが、しかしユキトの考えは萎むことなく彼の中で大きな割合を占めるようになっていった。


 中学生になってからある転機が訪れる。

 ユキトは、道路の端で一人佇む少女の幽霊を見つけた。少女は小学校高学年くらいの見た目で、ランドセルをしょったままぼんやりと空を眺めている。

 いつもなら見えないフリでもして避けていくところだが、このときのユキトは違った。彼は人目がない場面を見計らって少女に話しかけた。

 ときどき彼らの声は聞けていたから、もしかすると自分の声も届くのではないか、という仮説を確かめるたかった。実験のつもりでもあったが、果たして少女は明確な反応を示す。


 ――お兄ちゃんにはあたしが見えるの?


 会話が成立した。しかも少女は目を輝かせて様々なことを喋り始めた。ユキトにとっては何気ない一言でも、少女にとっては何日もの孤独の末にかけられた一言だ。それは砂漠で偶然発見したオアシスに等しい。

 あまりの勢いに気圧されながら話を聞いていくと、少女は近隣の小学校に通う子で、下校時間に交通事故に遭ったという情報を得る。確かに道端には花束が置いてあった。

 しかし花束を置きに来た父親には姿が見えておらず、母親とも一度も会えていないと言って少女は泣き出してしまう。誰に見えているはずもないが、少女の涙におろおろとしたユキトは、自分が助けるとつい言ってしまった。


 それから試行錯誤の末に、幽霊が接触することで「取り憑く」ことができると発見し、少女を連れて彼女の自宅に向かった。

 インターホンを押して数秒。出てきた母親は非常に憔悴していた。髪はボサボサで何日も泣き腫らしたような隈ができている。

 娘さんの幽霊がいる、などと言えば疑われると思ったユキトは、同じ委員会で知り合って何度か遊んだことがあると嘘をついた。このときの母親はショックを引きずっていたせいか深く疑いもせず屋内に招いてくれた。どんな遊びをしていたかを聞いてきたので、ユキトは傍らにいる少女の助言を受けながら何とか体裁を取り繕った。

 すると彼女はユキトに一つだけお願いをする。彼は言われた通りにした。


 ――あの、机の奥にしまったノートの中に、両親への感謝状を隠したって言ってました。


 それは道徳の授業中に出された課題で、感謝状を両親に手渡すまでが教師の指示だった。しかし少女は気恥ずかしくなって隠していたという。

 彼女はそれを母親に伝えて欲しいと願った。そこに自分の気持ちが詰まっているから、と。

 母親はすぐに娘の部屋に飛んでいった。しばらくして戻ってきた母親の手には、二枚ほどの原稿用紙がある。

 そして滂沱の涙を流す母親は、ユキトに何度も礼を言った。

 少女もまた、泣き笑いしながらユキトに礼を伝えた。

 途端、その体はすうっと薄くなって消えていく。

 このときユキトは気づいた。幽霊は願いを満たせば現世から消えることができる。自分はその手伝いをしたのだ、と。

 得も言われぬ満足感だった。自信を持ったユキトは目に映る幽霊に片っ端から声をかけた。彼らと、その肉親や恋人を助けるために。


 だが現実はそう甘くはない。

 所詮ユキトは赤の他人で死者との繋がりはない。遺族や生前親しかった人達は、見知らぬ少年が接触してきたことを怪しんだ。少女のときは年が近かったので誤魔化せただけ、という事実を彼は見落としていた。

 ならばと霊感があると伝えても中学生の妄想と受け取ってもらえない。大人を欺けるだけの知識もなければ機転も利かず、逆にイタズラかと怒りを買う。


 折れそうになることは何度だってあった。警察の目に止まり学校や親に連絡され、事情を話せないユキトは素行不良の烙印を押された。理解者はおらずいつも孤独だった。

 挙句の果てには救うべき幽霊に危害を加えられたこともある。それは自殺した女性の幽霊を助けようとしたことが原因だった。

 世の中を憎んでいた女は四六時中ユキトに取り憑き「偽善者」だの「死んでしまえ」だの暴言を吐き続けた。

 女は俗に言う「悪霊」そのもので、ユキトもそのときは寝込むほどノイローゼ気味になった。暴言を吐き続けてスッキリしたのか女はスッと消えてくれたが、さすがにユキトもそのときばかりは懲りた。


 しかしどうしても、幽霊を見捨てることが出来ない。自分でも馬鹿なんじゃないかとか、頭がおかしいと辟易する気持ちはあった。

 だが少女の泣き笑いを思い出す度、声をかけることで救われたように笑う幽霊を見る度、声をかけて良かったと思う。

 だからユキトは諦めなかった。何とか試行錯誤を続ける内に、霊視できることを隠したまま未練解消に繋げたほうがスムーズにいくことがわかってきた。霊が視えると言わないほうがうまくいくのは皮肉な話だったが、次第に未練解消が成功する事例も出てくる。

 相変わらずたった一人で続けたユキトだが、色々な幽霊と出会い、彼らを見送った。

 そんなある日、彼は異世界へと飛ばされる。

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