⑤-結婚したい人は-

 ジルナを医者に診てもらい異常なしと診断された後、ユキト達は迎賓館に帰着した。

 部屋に戻ったあと、ユキトは誰にも会わずに部屋に篭っていた。ずっとベットの上で顔を覆って「やっちまったあああ」とジタバタし続けている。


「うおおおこんなはずではああああ!」


『……わかったから。もう少し落ち着いたらどうだ』


 ごろんごろん転がるユキトを見下ろしながら、ルゥナは嘆息する。


『まぁ、首をはねられてもおかしくない行為だったけど』


「ほらやっぱりいいい!」


『しかし陛下の温情で、懲罰で済んだわけだし』


 そこでユキトは暴れるのを止め、上半身だけ起き上がる。不安げに眉を寄せた。


「罰、ってなにするのかな」


『心配しなくていい。一ヶ月ほど僻地で肉体労働するくらいだ。むしろ筋力がついていいかもしれない』


「そこまで前向きになれませんよぉ……」


 めそめそと憂鬱になるユキトに、ルゥナはぷっと吹き出した。


『君は本当に、勇敢なのか向こう見ずなのかよくわからない男だな。私の肉体を守ろうとしたときも驚いたが、今回はより驚愕させられた』


「いやほんと口が滑ったというか何というか……ちょっと後悔してる」


『ふふ、それでもちょっとか。君の義心には敬服する。そして何より感謝したい。あそこで君が発言してくれたからこそ、ゼスペリアには猶予が生まれた』


「……あれで良かったのかな」


 褒められたことに悪い気はしなかったが、一抹の不安も過った。他州の感情を逆なでしてしまったことは悪影響にならないだろうか。


『気に病む必要はない。君が動かなければゼスペリアの決定権が奪われていたかもしれないんだ。しかし三州との合併軍をガルディーンが率いるという案は、今のゼスペリアの問題点を払拭するだけの力がある。跳ね除けるにはこちらも相応の対応策を用意しなければならないな……それでも、ガルディーンに与する流れは止めなければいけない』


 きっぱりと言い切ったルゥナの目に剣呑な光が帯びる。


『当初の申し出通り、ゼスペリア軍に三州が加勢しヘルメス殿が参謀となるならまだ良かった。しかしゼスペリア軍が合併軍に組み込まれ、指揮権もガルディーン卿に移るとなれば話は別だ。軍を所有しない州長は権力を維持できない。奪われれば早晩、ゼスペリアの統治権すらも危うくなる』


「まさか……ロド家が州長じゃなくなる、って言いたいのか」


 ルゥナが首肯したことで、ユキトは目を見張る。単純な婿選びの話から、州乗っ取り騒動にまで発展するとは思いもよらなかった。


『それに今回の会議を見てよくわかった。連中はライゼルスに全面戦争を仕掛けるつもりだろう』


「戦争だって……?」


『ガルディーンとタングドラム、ディレイの三派は好戦的だ。今までのような小競り合いではなく、総力を上げて敵国を征服すべきと考えている。もし全州の軍がガルディーンの手に委ねられれば、開戦の可能性は高くなる』


「だけどヴラド諸侯王は反対してた」


『いくら陛下でも半数を超える州長の意向は止められないだろう。そのためにゼスペリアに手を伸ばしている』


 ルゥナはつまり、ガルディーン派閥に加えてゼスペリアの力で開戦に押し切ることを示唆していた。ヴラド、ニーヘイロ、カルマンの三州では抑えきれなくなるかもしれないと、ユキトも理解する。


『いずれ聖ライゼルス帝国と決着をつけなければいけないことはわかっている。だが、解決の手段は完全征服が全てではない。和平の道を探すのも王の役目のはずだ。全面戦争が始まれば泥沼の戦いが何年も続く。今も決して平和とは言えないが、それでも民達は健やかに暮らしているんだ。戦争が始まればこの環境は崩壊してしまう』


「ならヴラド側に与するしかない、か」


『しかしそうなると、財源は確保できても軍備を整えるのに手間取るかもしれない。まぁ現状はこちらの線で行くしかないだろうけど……』


 消極的な選択、という感じだった。どこかすっきりしない感触を抱いていたとき、ユキトは重要なことに気づく。


「……違うよルゥナ。大切なのはジルナの気持ちだ」


 ユキトは立ち上がる。それから窓の外を見た。既に夜の帳は落ちて街中は人工の光に照らされている。時間的には遅いが、まだ彼女は起きているはずだ。


「ジルナがどうしたいかが重要で、俺達が勝手に判断しても仕方ない」


『うん、それは確かにそうだ』


「とりあえず謝りがてら話に行ってみる」


 精神的に追い詰められていたジルナを、図らずも放置してしまっていた。何でもっと早く行かなかった、とユキトは自分を責める。


『あ、しかし今夜は会食があると思う。ジルナには会えないんじゃないか』


 後ろから声がかけられるのとユキトがドアを開けるのは同時だった。なんだ、と意気消沈しかけた瞬間、ドアの向こうに誰かが立っていることに気づく。

 そこにいたの話題に出ていたジルナだ。


「あ、ユキト。ちょうど良かった」


「ジルナ……?」


 彼女は普段着に着替えていた。ユキトが戸惑うと、ジルナはにっこりと笑う。


「あのですね、少し時間を頂けませんか?」


「別にいいけど……っていうかこっちも話をしに行こうとしてたところで」


「なら、これからご飯を食べに行きましょう。お腹空いてますよね?」


「うん……うん? 待った、会食があるってルゥナが言ってたぞ」


「大丈夫。こっそり抜け出せばバレません」


 ポカンとするユキトに向けてジルナはウインクしてみせた。


 ******


 中央州の目抜き通りは賑やかだった。飲食店がそこかしこに軒を連ね、食材を売る露店も多い。様々な場所で人が騒ぎ笑い酒が酌み交わされている。

 そんな通りの一角にある小さな飲食店の屋外席で、ジルナとユキトは食事を取っていた。


「あー腹立たしい憎たらしい! なぁんであんなにまで言われなきゃいけないんですかぁ!」


 ジルナは運ばれてきたぶどう酒をがぶ飲みしている。一気飲みして机にグラスを置き、ぷはぁと豪快に息を吐いた。


「あの……もう少し控えたほうが」


「呑まずにやってられるかってんですよ! ほらユキトも!」


 グラスを押し付けられてユキトは困り果てた。この国では十五歳以上であれば酒を飲むことが許されるそうだが、ユキトは勿論飲酒の経験はない。一口飲んでみたぶどう酒は甘くて美味しかったが、喉元を熱くするアルコールがきつくて飲み進められなかった。

『飲み過ぎないといいが』とルゥナが姉の顔で心配するが、彼女は次の酒もぐいと飲み干す。


「ほんと好き勝手に言われ放題で……心構えはしてたつもりですけど、まったく太刀打ちできませんでした。お見苦しいところを見せて情けないです……」


 一転して肩を落とすジルナだが、ユキトに向けて小さく頭を下げる。


「だからユキトの機転は本当に助かりました。ありがとう」


「いやそんな……俺の方こそ、勝手に喋ったことを謝ろうと思って」


「とんでもないです。おかげでロド家の権力を守る方法も模索できます。ちょっと強引でドキドキはしましたけどね」


 思い出し笑いしているジルナだが、ユキトはその台詞に引っかかりを感じた。


「もしかしてガルディーンの考えに、気づいてたのか」


「ええ、途中から。彼らの狙いはゼスペリアを取り込み、過半数の支持を得て戦争を仕掛けることでしょう。わかっていながら止められず悔しい思いをしていましたが、貴方が中断してくれた。ひとまずは猶予ができたと思います」


 さすがの聡明さだった。しかしそんなジルナでも、あの場では反論の糸口を見つけられなかったとも言える。改めて難題さが浮き彫りになった。

 ジルナは運ばれた料理を食べつつぶどう酒を飲み干す。その頬は赤く染まっているが、目にはまだ理知的な光を残している。


「それで、ジルナはどうするつもりなんだ」


「まだ決めかねている部分はありますが、これだけははっきりしています。ガルディーンの婿は取りません。戦争の道具になるのも嫌です。愛するゼスペリアを利用させはしません!」


 ジルナはぐっ、と拳を握りしめて気炎を吐いた。酔いもあって高揚しているのかもしれないが、彼女の本心なのは間違いない、

 するとジルナは、ユキトの隣の宙空を見て訪ねた。


「姉様の意見は、どうですか?」


『私も同じだ。でも、大切なのはジルナの気持ちだから。私の言葉だと尊重する必要はない。貴女は貴女の思うようにやればいい。私は応援するよ』


 ユキトがルゥナの言葉を伝えると、ジルナは嬉しそうに頷く。

 精神的に追い詰められていようと、ジルナは決して屈することのない逞しさを持っている。きっとこれからも皆で支えていけば大丈夫だろう。

 だが感傷に浸るのも束の間、現実的な将来図も垣間見えた。


「そうなると……あのポメロさんて人を婿にする、んだよな」


「それしかないでしょうね。ですが、姉様の旦那様だったライオット殿下の捜索は続いていますし、結果が出るまでは保留でしょう」


 どこか他人事のように言ったジルナはぶどう酒を飲み干すと、すぐにおかわりを頼む。これで何杯目だろうか、もうよくわからない。そんな様子を眺めながら、ユキトは真顔になった。


 ――そうか、あのおっさんと結婚か……。


 年の差はおそらく十歳以上はある。この世界では普通で、たとえジルナが受け入れていたとしても、ユキトはもやもやした感情を抱いてしまう。

 ふと、ジルナが正式な州長になればいいのではないか、という考えが過った。

 有能な家臣は残っているし彼女は頭脳明晰で先を読む素質もある。女しか州長になれないという難問はあるが、将来的に他に引けを取らない長に成長するのではないか。

 とはいえ目下の課題は軍事力の増強だ。解決の方法が婿を取ることでしかない限り、ジルナの州長就任は夢物語だろう。


『とにかく今はヴラド諸侯王、そしてアルメロイ辺境伯の力添えを期待するしかない。しかし軍の増強は、うまくいかないだろうな……』


「ええ、そうでしょうね。ほんと、どうしたものか」


 伝言すると、ルゥナとジルナが同じタイミングで嘆息した。ユキトは口を挟む。


「軍を育てるのに時間がかかるのが問題なんだろ? ならガルディーン側じゃなくてヴラドとか他州から援軍を受ければいいんじゃないのか」


「もちろんそれも考慮していますが、中央州は事情が違うんです。王が指揮する守護兵団は王の命令にのみ従います。他州も私たちに軍備を割くほど潤沢ではなくて」


「いや、そんなこと言ってる場合じゃないと思うけどな」


『仕方ないんだユキト。敵はライゼルスだけではなく、海運を牛耳る極東諸島とか、北方にあるギルド同盟にも睨みをきかせないといけない。とりわけ中央州はダイアロンの要だから、一時的に兵を借りることはあっても長期的な借用は不可能に近い。やはり一から軍を育てるしかないんだ』


 むぅ、とユキトは唸った。この国ならではの事情が複雑に絡んでいる。

 ガルディーンに大見得を切っておいた手前、ユキトとしても何らかの対案を出したいところだった。しかしジルナやルゥナが見出だせない答えをすんなり思いつくはずもない。


「にゃああー」


 猫が鳴いた。いやジルナが鳴きマネをしただけだ。彼女はテーブルに突っ伏している。


「ど、どした」


「……州長って大変だなぁって、今更に痛感しました。姉様はこんな辛さをずっと抱えて職務を全うしてたんですよね。ほんと、凄いな」


 ルゥナは『皆がいたからだよ』と謙遜して首を振る。だが透明な彼女はジルナの目には映らない。そのせいかジルナには自然と陰りが滲み出る。


「私に……姉様のように剣の腕があれば。ゴルドフみたいに、死地をくぐり抜けた実力があれば。父様のように、民を導く指導力があれば、こうはならなかったのかなぁ」


 ジルナは自虐的な笑みを浮かべてテーブルに頬をくっつける。


「私なんかじゃ、ゼスペリアを駄目にするかもしれない」


『そんなことはない!』


「そんなことねぇよ」


 ユキトとルゥナの声が見事に重なった。

 驚いたのはルゥナだ。その言葉は伝言ではなく、ユキト自身の意思だった。


「ジルナだって、科学の力を取り入れてゼスペリアを繁栄させようと考えてるだろ。それは凄いことだと俺は思う。誰かの真似なんかじゃない、ジルナの力だ」


 するとジルナはゆっくりと顔を上げた。


「……でも、見ましたよね、州長の態度。誰も科学のことなんてまともに取り合ってくれません。色んな場所で喧伝したせいで私も白い目で見られてる。貴族がこうなんだから、民にも信じてもらえないかもしれない」


「不安なのはわかる。でも俺は、科学の凄さってやつを知ってるから。絶対に皆、理解するよ。いや、もし俺が科学の力を知らなかったとしても、俺はジルナのことを馬鹿になんてしない。一生懸命に語るジルナの気持ちは十分に伝わってる」


 目をパチクリと瞬かせたジルナは、いきなりテーブルに額を打ち付けた。

 ゴン、という小気味いい音が鳴り響く。


「お、おい?」


「……私、ユキトと結婚したい」


 ユキトは吹き出しそうになる。


「なな、何を……!?」


「あはは、慌てちゃって。冗談ですよ」


 テーブルの上に腕を伸ばし、そこに頭を乗せながらジルナはぺろっと舌を出す。


「酔っ払いですから。気にしないでください」


「あっ……そ、そうだよな。はは」


 ほっとしつつ、しかし少しだけ残念なのはなぜだろうか。


『……ジルナって、あんまり冗談は好きじゃないはずだけど』


 ルゥナの頬は赤く染まっていた。妹の大胆さに恥ずかしがっている。

 途端、ユキトはジルナの顔がまともに見れなくなった。誤魔化すように店員に水を注文する。だが運ばれた水を飲む間もジルナが「んふふ~♪」と上機嫌な様子で眺めてくるので男心が落ち着かない。


 ――待て俺、冗談だって言ってるだろ。邪心よ静まれ。


 彼の気持ちに気づく素振りもなくジルナはまどろんだように呟く。


「そんなことを言ってくれたのはあなたが初めてです、ユキト。ありがとう……私にもきっとやれることが、ありますよね。もっと強くならなくちゃ……ねぇ、ルゥナ姉様」


 独り言のように語るジルナの、その瞼がゆっくりと落ちていく。


「まだ私、甘えてたから。姉様が帰ってきて嬉しかったけど、次は今生の別れが来る。姉様と話すのは別れの挨拶のようで、後回しにして……でも私、頑張るから。姉様のように、強くて優しい州長に……」


 言葉が途切れると、ジルナがこてんとテーブルに頭を乗せる。すぐに寝息が聞こえてきた。酔いが限界に来ていたのだ。

 酒をこぼさないようグラスを隅に寄せながら、ユキトは納得していた。


 ――そうか……だから俺とばかり、喋ってたんだな。


 ジルナがルゥナとの会話を避けてきたのは、話せばきっと、永遠の別離を強く意識してしまうからだ。

 ルゥナは眠っている妹のそばに立ち、泣き笑いを浮かべる。


『……私は本当、駄目な姉だ。辛いことばかり押しつけて、ジルナの心に寄り添ってあげることもできていなかった』


 ルゥナはそっと手を伸ばすが、ジルナの頭に触れるかというところでそれを引っ込める。死人であることを再確認し、何もできないもどかしさを憂いていた。


『私はこれから何を言えばいいだろう。ジルナに、何を残してあげられるだろう……他の人たちはどうだったのかな、ユキト』


「え……?」


『君が見てきた死者だよ。元の世界でも死者の声を聞いていたんだろう? もしくは私にしてくれたように願いを届けたりとか、当然君ならしていると思っていたのだが』


 その通りだが、面と向かって伝えていたわけではない。頭の回転が早い彼女には、黙っていても推測されてしまっていた。


『違うのか?』


「いや、まぁ、うん」


 曖昧に答えると、ルゥナは彼の目の前に出る。


『ずっと聞きたかったんだ。死んだ人間は何を伝えるべきなのか。そして残された人はどう変わるのか。君の世界のことでいい、経験談を聞かせてくれないか』


 ユキトは後頭部を掻いてグラスの水に視線を落とす。なんともいえない微妙そうな自分の顔が映り込んでいた。


 ――経験談か……まぁ確かにな。


 ルゥナが聞きたいというなら話してあげるべきだろう。だが元の世界ですらユキトは誰かに伝えたことはない。親にもだ。

 他人に見えない存在に関わっていると話せば不気味がられるし、馬鹿な真似はやめろと止められる。だから全て秘密にしてきた。そのせいで理解者はおらず、同級生や教師からは不審な行動をする変な人間扱いされていた。

 自分で決めたことだから後悔はない。だがユキトはいつの頃からか、誰かに認められることを諦めていた。自分の行動を忌避され、嘲笑されることを恐れていた。

 やはり過去を語るのには抵抗感がある。たとえ幽霊が相手で、信頼できる女性であってもだ。


 悩んだ末、ユキトはグラスを取る。水ではなくジルナが飲んでいたぶどう酒のほうをだ。ユキトはそれを一息に仰ぎ飲む。途端に胸焼けがして盛大にむせた。

 突然の行動にルゥナが目を丸くする。


『だ、大丈夫か?』


「んぐ、大丈夫…………景気づけってだけだから」


 一息吐いて気持ちを落ち着ける。覚悟は決まった。


「……話すよ、俺のこと。長くなるかもしれないけど、いいかな?」


『もちろん。むしろ私は、君のことをもっと知りたいんだ』


 その言葉に少しだけ口元を綻ばせつつ、ユキトは話し始める。

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