⑦-自信-
「……とまぁ、あんまり面白くない話なわけだけど」
話し終えたユキトは皮肉げにそう言った。
ルゥナは訝しむ。彼は自慢するでもなく、まるで自分の行いを恥じているような感じすら漂っていた。
『そんなことはない。とても興味深い話だったよ』
手放しで褒めたつもりが、ユキトは曖昧な笑みを浮かべるだけだ。気になったルゥナは問う。
『話したくなかったような感じだが、なぜだ? おかしなところはどこにもない』
「……本当にそう思うか?」
問いを返したユキトは、悪戯を見咎められた子供のようにルゥナの顔色を伺う。
『思う』と断言するルゥナだが、彼は納得していない様子だった。
しばし黙り込むユキトは、ゆっくりと口を開く。
「この世界は導師って人達がいるくらいだし、霊を信じてる人のほうが多い。だけど俺の世界は違う。幽霊の存在を信じていない人が大半だ。実際、視えるって言ったら馬鹿にされたしな……そんな中で勝手なことしてる自分は、変人なんだろうなって思うことがある」
そのときルゥナは、ユキトと出会った森の中での会話を思い出した。あのときもユキトは助けに入った行為を誇ることはなく、さらっと流していた。今も同じ態度を見せている。
「なんで俺はこうなんだろうって、少し嫌気が差すこともあるんだ。後悔してるわけじゃないけど、もっと適当に生きて幽霊も無視すればいいのになってさ。そんな人間だったらきっと友達もたくさんいて、楽しい学校生活も送れたろうな。むしろそっちが普通だと思うし」
はは、とユキトは力なく笑う。彼はグラスの縁を指でなぞった。
「だから俺は、皆とどこか感覚が違うってわかってる。なので、あんまり喋りたくなかった。それだけ」
若干投げやりに締め切ったユキトは、これ以上は話すことはないとばかりに水を飲む。そんな彼の姿にルゥナは、はたと気づいた。
ユキトの心には足りていないものがある。それは自信だ。
傍から見れば物凄いことをやっているのに本人にはその自覚がない。それは誰も彼の行動を確認できず、褒めることをしなかったせいでもある。環境が違えば、それこそこの世界に産まれていれば、自尊心を満たされ自分の感覚に戸惑うこともなかったかもしれない。
だが彼は違う世界でも霊を助けることを止めなかった。普通、孤独の中で一つのことをやり切れる人間はそれほど多くない。他者との関わりのない場所で、何が彼の背を押し続けたのか。
いや、違う。他者はいるではないか。霊体となっても、人は人だ。
そしてルゥナはユキトの根源に気づく。
――ああ……だからユキトは、私の体を守るために動いてくれたんだな。
死んだ者の肉体まで守ろうとした彼の行動を、ルゥナはずっと疑問に思っていた。凄まじく正義感が強い、という性質ともまた違う。どちらかというと衝動に任せて咄嗟に動いてしまう少年、という印象だった。
その根っこにあるものが今、ルゥナには理解できた。
彼は、優しいのだ。人の何倍も。
自分が見たもの、聞いたものを他人事と割り切ることができない。正義という物差しではなく、耐えられないからという理由で動く。それは優しさというほか説明のしようがない。
面識のない死者など放っておいたところで誰からも責められはしない。むしろ見えているのが自分だけなのだから思い悩む必要すらない。
それでもユキトは、死者と関係者たちに手を差し伸べずにはいられなかった。
決して利口な人間ではない。不器用すぎる少年だ。
しかし、だからこそルゥナは彼が愛おしくてたまらなくなった。
『私は君のことを心から尊敬する。だから君は君のままでいればいい』
慈しむように言うと、ユキトが驚きながら顔を上げる。
『他人の評価や考えなど時代と場所で移ろうものだ。気にする必要はない。大切なのは、何を考えて行動したかだよ。君は名も知らぬ者達のために自分を犠牲にしてまで動いた。騎士のように誇り高い意思だ。胸を張っていい』
ルゥナは、今まで彼が得られなかった賞賛の分まで満たすように讃える。
『今は違うかもしれないが、元の世界でもきっと君を理解する人が現れるよ。もちろんこの世界でなら特にだ。まず私とジルナが感謝している。ゴルドフにクザンも、いや家臣や兵士、この州の民全員が君に救われている。全て君のこれまでの経験の賜物だ。頑張ったな、ユキト』
ルゥナは優しく微笑む。母親のように、恋人のように。
ユキトの顔がくしゃりと歪んだ。泣き出すのを我慢するようにうつむくと、袖で目を擦って顔を上げる。
「ありがとうルゥナ……俺、話して良かったよ」
『私も、聞けて良かった。おかげで何を言うべきか理解した』
ルゥナは寝息を立てるジルナへ視線を送る。
『私は、腹に溜めていることを全て伝える。生きている内に伝えられなかった胸の内を、ジルナに残したい』
様々なしがらみや立場が邪魔をして、伝えられなかった感情や想いがある。きっと生きていたら伝えることもなく終わっていた心の沈殿物は、もう二度と会えないとわかっている今だからこそ手渡すことができる。
『ちなみに本音を話すときは長丁場になるだろうから、覚悟しておいてくれ』
冗談とも取れるような言い方で、ユキトは軽く笑った。
やはりその顔がいいな、とルゥナは内心で呟く。男らしい彼の顔が、笑うと少し幼くなるのが可愛らしくて好きだった。
『とりあえず戻ろうか。勝手に出てきてしまったからな。きっとあの男はカンカンになって――』
言葉の途中、視界の隅に映った人物に気づきルゥナは『遅かった』と呟く。
「……ここにいらっしゃいましたか」
クザンだった。彼はいつもの無表情でユキトの横に立っている。肩で息をしている様から、主君の居場所を探し回っていたようだ。
一文字に引き結んだ唇は不機嫌そうに曲がり、こめかみに青筋が立っている。端的に言えば怒っている。
「……ユキト様。なぜこのような場所に、ジルナール様といらっしゃるのでしょうか」
「え、えーとそれは、飯を食べようかなと思って」
「……本日は貴族の方々との会食があることをご存知ないのでしょうか」
「そ、それは知ってました、けど」
ようやくユキトもクザンの気配を察知した。タジタジな様子で目が泳ぐ。クザンの後ろにはゼスペリアから同行していた兵士三人もいるが、彼らも苦笑いを浮かべていた。
「……先方はゼスペリア州長代理との懇親を楽しみにしていらっしゃいました。ジルナール様の人脈を広げる意味でも大切な場であった。それを無碍にしても成すべき重大な理由がおありですか」
冷や汗を流すユキトは、椅子から立ち上がって直立不動になる。
「す、すいませんでした! 実は俺が今日のことを謝りたくて、それで無理矢理に連れ出したんだ……ジルナは悪くないから! 怒るなら俺だけにしてくれ、いやください」
彼はジルナを庇おうと嘘をついた。ユキトらしいな、とルゥナは笑ってしまう。
しばし沈黙してじーっとユキトを見つめるクザンは、やはり小さい声で告げる。
「……ジルナール様の体調が優れないことを理由に、会食は欠席とさせていただきました。私の方から謝罪しておきましたので、印象は損ねていないと推測します」
「あっ、そ、それは良かった。じゃなくて、ありがとうございます」
「……しかしながら今回のような無断行動は強く批難させていただきます。恐れ多くもロド家の代表がこのような市民の集う場所で歩き回るなど言語道断。しかも護衛もつけず。何かあったらどうするおつもりですか」
「護衛なら俺がついてるわけだし」
「……勘違いされておいでのようだが、ユキト様はお客人の立場です。貴方も護衛対象であることを失念されては困る。何よりルゥナール様の声を聞ける唯一の御仁。非常に貴重な存在であることをご自覚ください。私には到底理解できぬ行為です」
その後もクザンはくどくどと説教を続け、ユキトはどんどんと縮こまっていく。クザンなりの忠義心の現れなのだろうが、真面目すぎる彼の口調はいつにもまして辛辣だ。
『こうなったクザンは長いぞ、ユキト』
ユキトは目だけで「嘘だろ」と嫌そうにする。ルゥナは笑いながら諦めろと首を振る。
そのときだった。ピリっとした感触がルゥナを刺激した。
肉体もないのに嫌な気配が伝わってくる。魂の奥に届くような不快感だ。
ルゥナは即座に目抜き通りの方へ目を向けた。
大勢の人が行き交う道のど真ん中で、一人の男が立っている。
身の丈は周囲の人々から頭一つ分抜けているほどに大きい。しかし黒いフードを目深に被っているので表情はまったく見えない。黒い麻服に包まれた肉体は筋骨隆々で、手には長大な六角棍を握っていた。
仁王立ちする異質な出で立ちの男に周囲の人々が不審な目を向ける。だが男は気にした様子もなく、腰を低くして六角棍を構えた。
殺気。
『っ! 逃げろユキト!』
男が突貫した。ユキトめがけて一直線に迫り六角棍を突き放つ。
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