⑦-出発- 

 ユキトが完全に動けるようになるまで半日ほどを要したが、その頃にはもう雨は上がっていた。

 ただし二人はすぐに出発しない。森を出る前に一つだけやっておかなければならないことがあった。

 それは、ルゥナの遺体の処理だ。


 ルゥナによれば死後数日ほどは経過しているとのことだが、このまま放置すればいずれ肉は腐り獣の餌食になる。遺体が原型を留めているうちに州内に持ち帰り、死亡を確定させたいというのが彼女の希望でもあった。

 しかしユキトには死体を運ぶ道具もなければそんな度胸もない。

 考えた末、地面に穴を掘って遺体を埋めることにした。


「こんなもんで、いいかな」


 額の汗を拭いながらユキトは息をつく。彼の前には、人がなんとか横たわれるくらいの楕円の穴が出来ている。雨で柔らかくなっていたとはいえ、剣をスコップ代わりにして穴を掘るのは大変だった。

 『問題ないだろう』とルゥナの確認も取れたので、ユキトは学生服をかけたままの遺体を運んでいく。死体に触るのはさすがに緊張したが、作業は一瞬の出来事でしかなかった。

 穴の中に置かれたルゥナはまるで眠っているようでもある。しかし学生服で隠しきれていない左胸の傷跡が生々しい。心臓への一突きが死因であったと如実に語っている。

 自分の肉体を見つめるルゥナの表情はどことなく硬い。慰めの言葉でもかけるべきかと迷っていると、ルゥナは『埋めてくれ』と小さく告げる。

 頷いたユキトは彼女の遺体に土をかけていく。完全に埋まったところで、後で見つけるための目印としてルゥナが装着していた銀の鎧を置いた。

 意図せずして、それは墓石のようにも見えた。


『しばしの別れだ……私よ』


 ルゥナは黙祷を捧げるように目を閉じる。ややあってユキトの方へ振り向いた。


『もう大丈夫だ。それで移動はどうすればいい?』


「とにかく俺から離れないで。体のどこかに触れてればいいから」


 『わかった』とルゥナが寄り添うように立ち、ユキトの肩に手を置く。

 途端、背筋にぞくりと冷たいものが走った。

 幽霊が「取り憑く」といつもこうなるが、いつまで経っても慣れない。


『ん? こうなっても憑依にはならないんだな』


「……あんまり気乗りしないけど、余裕ができたら色々実験してみるかな」


 今後のために憑依の開始、解除だけでなく持続時間やできることも知っておいたほうがいいだろう。ぶっ倒れる覚悟もだが。

 そしてユキトは歩きだした。着の身着のままだが、柄頭に鎖が付いたルゥナの剣だけは持っていくことにした。護身用でもあるし、刃物として便利に使えるかもしれない。

 薄暗い森の中は歩きにくく、細い枝がやたらと引っかかるので移動するのも一苦労だった。少し油断するだけで進行方向もわからなくなる。

 それでもルゥナの的確な指示があったおかげで、ユキトは迷うことなく進めた。彼女は地形や木の年輪や日光の差し込み具合から方角を割り出し、道筋を計算して教えてくれた。ルゥナの頼もしさに安堵する一方で、一人でさ迷っていたらと思うと空恐ろしくなる。

 結果的にユキトは短時間で森を出ることが出来た。

 抜け出た先には見渡す限りの湿地帯が広がっている。


『おお……! 本当に出られたっ! あんなに動けなかったのがこうも容易く……』


 感激するルゥナとは反対にユキトは、森を出ても住居どころか人っ子一人見当たらない光景に軽く目眩がした。


「まだ移動するのか……」


『もちろん。むしろ人里までは全然だ。まずはオアズス街道に出ないとな。その街道を北西に向かうとゼスペリア州の関所と砦が見えてくるから、そこで馬を借りるか旅の商人に同行させてもらう。あとは一直線だ』


 簡単なように聞こえるが、おそらく言うほど楽な道程ではないのだろう。とはいえ足を止めても夜が来てしまう。とにかく進まなければいけない。

 ぬかるんだ湿地帯は多少歩きにくいだけで、森の中よりはスムーズに移動できた。しかし歩いている内に別の問題が生じる。

 ユキトは腹を押さえて眉をしかめた。腹の虫がぐぅと鳴っている。


『ああ、しまった君の体調のことを考えていなかった。この湿地帯にはろくなものが生えていないんだ。せめて森の中で動物を狩るべきだったな……』


 察したルゥナがバツの悪そうな顔で謝る。空腹とは無縁の幽霊はつい忘れがちになるのだろう。

 しかし引き返そうにも既に森は後方だ。戻るのも億劫ではあった。


「いいよ、ルゥナのせいじゃない。少しは我慢できるし」


『本当にすまない……ただ、雨が降ったばかりでこの一帯の水辺は澄んでいる。飲むには問題にならないから、喉は潤せるだろう。それに湿地帯も早く抜けたほうがいい。この地で夜を迎えると危険だ。湿った地面では体を横にすることすらできないからな』


「うっ……わかった」


 危機感を募らせたユキトは気持ち足早に湿地帯を進む。

 どれくらい歩いたろうか。何度か水を飲む休憩は挟んだが随分と進んできた。空の真上にあった太陽もかなり傾いてきている。だがそれでも、湿地帯の終わりが見えない。

 焦りと空腹を紛らわせるように、ユキトはルゥナと雑談するようになった。彼女の人となりをもっと知りたかったということもある。

 そこで色々とわかったことがあった。

 

 憑依したときの立ち振舞いでも明白だが、ルゥナの剣術の腕は相当高い。

 彼女の強さは、幼少期からロド家秘伝の剣術を指南されてきた成果という。ロド家には一子相伝の秘剣があり、長女であるルゥナも秘剣<円燐剣>を継いで騎士として活躍していた。

 だが州の代表者である州長を継ぐことまでは、ルゥナは求められていなかった。

 この世界はあくまで直系男子が家督を継ぐのが慣例で、女子は一時的にしか継承できない。ロド家の存続もルゥナの婿が担うことになる。だから彼女の肩書は州長代理に留まっていた。


『それでも私は、短い期間とはいえ充実していたよ。お父様が亡くなってからの三年間はひたすらに頑張った……それがこの結果というのは、少し残念だが』


 哀愁を滲ませてルゥナは笑う。

 今度は考えるまでもなく、ユキトは気遣いの言葉をかけていた。


「俺は部外者だけどさ……皆は、ルゥナが頑張ってるのがわかってたから、戦争でも支えてくれたんだと思う。その三年間は意味があったんじゃないか」


 ルゥナはキョトンとする。照れて視線をそむけるユキトに、彼女はふっと微笑んだ。


『ありがとう。優しいな君は』


 しかしルゥナはすぐ『だが敗戦したことは事実だよ』と首を振った。


『責任は私にある。だからこそ、この不始末を妹のジルナールに託すことが心残りになったんだ……私が絶対に生きて帰ると願ったのは、ジルナのためでもあった』


 十五歳になったばかりのロド家の次女ジルナールは、長女のルゥナとは違い騎士でもなければ剣術を習っているわけでもない。他州の有力諸侯へ嫁ぐことを運命付けられたジルナは、武芸や政治と関わることはなく、主に社交界におけるロド家代表として振る舞ってきた。

 だがルゥナ亡き後、ロド家にはもうジルナしか跡取りが残されていない。実戦経験が皆無のジルナが家督を継ぐ事態となってしまう。だからこそルゥナは、自分の不甲斐なさも相まって妹の将来を憂慮し、強い想いが未練と化していた。


『彼女一人では荷が重すぎる役目だ……せめて婿殿が見つかれば違うんだが』


「……ん? 婿?」


 誰のことか問おうとした矢先、ルゥナが『街道が見えたぞ!』と声を上げる。

 湿地帯が終わり、背の低い草に包まれる平原が広がっていた。その中を舗装もされていないあぜ道が一本だけ通っている。自動車同士がすれ違えるかどうかという幅だ。


『関所までもうひと踏ん張りだ。頑張ろう』


「うぇーい……」


 しまらない声を出してユキトはとぼとぼと進んでいく。色々気になることはあるが、生きてゼスペリアに辿り着く方が重要だ。質問は胸に秘めてユキトは歩を進めた。

 似たような景色の中を進み続け、傾いていた太陽はピレトー山脈の向こう側へと入り始める。焦る気持ちとは裏腹に、砦らしき建造物は一向に見えてこない。

 そしてとうとう、ユキトの身体に限界が来た。

 今は見晴らしのいい小高い丘に座っているユキトだが、腰を下ろした途端に動けなくなった。疲れた足を休ませるだけのはずが、先の見えない状況に精神が摩耗して気力が萎えていた。


「今日中になんて辿り着けねぇよ……ルゥナ」


『ううむ、仕方ない。多少の危険はあるがここで野宿をしよう。あとで焚き火の仕方を教えるから少し休んでいると良い』


「そうする」と呟きユキトは硬い地面に横になる。

 眠るつもりつもりなどなかったが、彼の意識は泥のような闇に埋もれていった。


******


『――ト、ユキトっ!』


 ビクリ、と体を震わせてユキトは目覚めた。

 視界に映る景色が暗いことに気づき、すぐに上半身を起こす。眠る前はまだ日が昇っていたのに既に夜に入っていた。

 ルゥナが険しい表情をしている。だからユキトは、今がよっぽど危うい状態だと勘違いした。


「ご、ごめんこんなはずじゃ――」


『そんなことより輜重隊だ!』


「しちょうたい?」


 意味の分からない単語だった。ルゥナは返答せず丘の向こう側を指差す。

 夜の平原に光が灯っていた。火の明かりだ。目を凝らせば幌をつけた馬車が数台止まっているのが見える。

 周囲には人の姿もあった。何やら慌ただしく動き回っている。


 ――違う……戦ってる?


 松明を持った商人風の男達が幌馬車を守るように囲んでいるその周辺で、激しい戦いが行われていた。

 鎧姿の男達が武器を持って戦闘している。既に何人もの人間が地に倒れていた。


「何が、起こってんだ」


『商人達の馬車が野盗に襲われている。彼らの運ぶ金品や食糧品が狙いだろう。戦っているのは雇った傭兵だろうが……戦況は良くない』


 ユキトが見ている前でまた一人、男が倒れた。殺された方が傭兵だ、とルゥナが教える。他の野盗らしき男達も傭兵をなぎ倒し、松明を持つ商人へにじり寄っていた。


『助けよう』


 はっきりとした声だった。あまりにも唐突すぎて理解するのに数秒を要した。


「……助けるって?」


『憑依を使う。君の身体を借りることにはなるが、私なら加勢できる』


「なっ……! 相手は何人もいるんだぞ!」


『放ってはおけない。あそこには商人だけでなく彼らの家族もいるはずだ』


 ユキトは唸った。当然、見殺しになどしたくはない。

 だがこちらは一人で、鎧もなく剣一本しかない。あんな殺し合いの場に割って入るなどルゥナでも無謀だとユキトは思った。

 しかしルゥナは、ニコリと笑うのだ。


『心配するな。数など関係ない。私は、あんな連中に負けはしない』


 心臓が高鳴った。ルゥナの瞳は迷いもなく真っ直ぐで力強くて、彼女の魅力を雄弁に語っている。

 

 そのときなぜか、ルゥナの遺体を守ろうとした光景が脳裏を過ぎった。

 

 何に突き動かされたのかユキト自身もよく理解していなかったが、今ならわかる。

 他人のために自分の犠牲を厭わない彼女の姿が、単純に格好よかった。

 そして幽霊を助けるという、誰にも理解されない行為を続けてきたユキトにとって、共鳴するものがあった。彼女の行動に、感情に納得できた。

 ルゥナに惹かれたからこそ、彼女の前でみっともなく逃げ出したくない。そんなちっぽけな理由でユキトは動いていた。

 比べて今はそのときのような熱量がない。恐怖が足を引っ張っている。

 

『信じてくれ』


 それでもユキトは、かつてないほど気持ちが昂るのを感じた。

 理屈ではない。ルゥナの期待に応えたい。そんな衝動が駆け巡る。


「……わかった」


 ルゥナが頷く。まるで、君ならわかってくれると思った、といわんばかりの顔だ。


「でも危なくなったら逃げよう」


『心外だな。私を弱いと思っているのか?』


「そ、そういうわけじゃないけど、ルゥナの実力を全部知ってるわけじゃないしそれに――」


『ならば証明しようか』


 ルゥナがユキトの身体に飛び込んだ。接触面が淡く光り彼女の姿が掻き消える。

 一瞬だけ白目になってふらつくが、ユキトはすぐにしっかりと大地を踏みしめた。

 それから地面に置いた剣を手に取る。


「いくぞ」


 ユキト、ではなく肉体を掌握したルゥナは、丘の上から跳躍した。

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