⑤-未練-

 ユキトが目覚めたのは数時間後だった。

 しかし意識が戻っても体はほとんど動かせず、うつ伏せに倒れた姿勢を何とか仰向けに持ってくるので精一杯だった。

 例えるなら全身筋肉痛でインフルエンザにかかっている状態だ。手足を少し動かすだけで全身が軋む。体に熱が篭っているせいか吐き気と目眩もする。

 朦朧とした意識のまま更に時間が経過して、ユキトはようやく喋れるようになった。


『大丈夫か、少年』


「…………なん、とか」


『先程の現象――憑依とでも言うべきか。君でもよくわかっていないようだが』


「こ……んなの初めて、で……」


 息も絶え絶えといった体でユキトは答える。ルゥナは難しい顔で腕を組んだ。

 憑依、とルゥナは言い換えていたが、それが今の状態を引き起こした原因であることは間違いない。

 しかし幽霊と接触したことは何度もあるが、今回のように肉体を乗っ取られる事態に陥ったことはなかった。


 ――異世界、だからか? くそ、痛いしダルいしでよくわかんねぇ……。


 今はただ横たわっている事しかできない。

 そうして回復を待っていると、頭上の景色が薄暗くなっていることに気づいた。夜になったのか、と考えたが、頬に水滴が当たったことでユキトは顔をしかめる。

 すぐに雨粒が振ってきた。ユキトは痛む体にムチを打って上半身を起こす。


「……どこか、隠れるとこは」


『根の間はどうだろう。君くらいは入れそうだ』


 ルゥナの指差した場所には大樹があった。地面から盛り上がった木の根も太く、隙間に入り込めば確かに雨を凌げそうだ。

 ユキトは何とか立ち上がり足を引きずるようにして進む。

 だがその途中で振り返り、放置されたままのルゥナの亡骸に目を向けた。


『どうした?』


「……」


 ユキトは無言で近づき、制服の上着を脱いでルゥナの体に被せた。結局は雨に濡れる無意味な行為だが、裸体のままも気の毒に思えたのだ。

 ようやく身を隠して一息つくと、隣に立つルゥナは感慨深げな表情を浮かべた。


『……一度ならず二度までも。重ね重ね感謝申し上げる』


 苦笑するユキトを、ルゥナは不思議そうに見つめる。


『しかし君は変わった男だ。導師でもないのに……君のいた世界では魂の救済を重要視しているのか?』


「……そんな大層なもんじゃないよ。死人だって普通の人間だし、つい生きてる人と同列に扱っちまうだけ、さ」


 幽霊であっても生前のように苦しむし、笑う。まったく同じだからこそ同情や憐憫も抱く。だからユキトは幽霊達を救うようになった。

 さすがに亡骸を守ろうとしたのはどうかしていた気もするが、その判断に後悔しているわけでもない。


『矮小化して言うものではない。君は立派だ。少なくとも私は君に救われた。あのまま屈辱の光景を見ているだけなど、耐えられなかっただろう』


「……それは、どうも」


 ユキトは少しだけ恥ずかしくなって頬を掻く。

 それから会話が途絶え、二人はぼんやりと雨の降り注ぐ森の中を見つめていた。

 気分が落ち着いてくると様々な考えが浮かんでくる。この世界に飛ばされた意味は何か。憑依ができたのは何故か。これから一体どうすればいいのか。


 考えは隣の女騎士にも及ぶ。彼女がここで死んでいた理由は? 現世に留まる理由は? 戦争と言っていたがこの世界は危険な状況なのか?

 どのみち体は動かないし雨が止むまで待つしかない。色々と聞いておくなら今が好都合だろう。


『そういえば重要な事を聞き忘れていたな』


 喋ろうとした矢先にルゥナのほうが喋り始めた。


『まだ名前を知らなかった。君の名は、なんという?』


「……ユキト。鏑木ユキト」


『ユキト、か。呼びやすい良い名だ』


 ルゥナは微笑み、続けて聞いた。


『君は導師様と同じ力を持っているようだが、生まれつきなのか?』


「そう、だね……わりと小さいときから見えてる」


『なるほど』とルゥナが呟いたところで会話が止まった。しかし彼女はどこかそわそわしている。まるで次の質問を躊躇っているようだ。


「俺に、何か聞きたいことでも?」


『いや……うむ、そうだ。君なら答えられるかと思って』


 咳払いをしてからルゥナは問うた。


『霊というものは、この世界にどれくらい留まっていられるのだ? つまり私は、いつになったら消えるのかが知りたい』


「……ここに残りたい、っていう風にも聞こえるな」


 彼女は正直に頷いた。やっぱりか、とユキトは納得する。

 そもそも幽霊として存在し続けていること自体が、切実な事情を抱えている証拠でもあった。

 そしてユキトは問いへの答えを持っている。ただし本人にとっては少なからずショックを与える話だ。ユキトはそのまま伝えていいか少し迷った。

 考えた末、判断するのは彼女自身だと思い、説明することにした。


「ええと、気の持ちよう、だと思う」


『……気分の問題というのか』


 ルゥナが訝しげな目をした。その通りだから頷くしかない。


「俺の世界の話が当てはまるかわからないけど、幽霊ってのはこの世界に未練があるから残り続けるんだ。人によっては大きな夢があったり、大切な人がいたり、どうしても欲しいものがあったりする。それが諦められないから成仏、つまり天に召されない」


『では未練を抱き続ければ消えないで済むのか?』


「言うほど簡単じゃないけどね。まず、ルゥナさんはこの森から出られなかったはず」


 そこでルゥナの目が大きく見開かれた。


『そ、そうなんだ! 森から出ようと思ってもある範囲から足が動かなくなる。だから困り果てていたんだが……もしや、死人は誰もがそうなるのか?』


「違うパターンもあるけど、ほとんどの人が死んだ場所から遠くへは移動できなかった。それに幽霊は普通の人には見えない。当然、誰とも会話できず独りきりで過ごす。そうなると、人はさ……」


 前のめりになるルゥナに向けて、ユキトは静かに告げた。


「諦めるんだ、全部」


『諦める……?』


「そう。夢とか、大切な人に会いたいって気持ち。そういったものを自分の心のなかで整理して、死を受け入れる。そこで死んだ人は消えていく」


 喋りながらユキトは、過去に出会った幽霊達の姿を思い出していた。

 最初は誰もが自分の死を嘆き、納得いかずに暴れたりする。次にどうにもならないと悟り、あとはひたすら自分と向き合う時間が続く。

 そして気持ちに折り合いをつけた人から先にこの世から消えていく。

 ルゥナは神妙な顔で遠くを眺めた。

 

『……なんだか寂しいものだな。何もかも諦めることでしか天界に辿り着けないのか』


 その言葉は、正確ではない。

 未練をなくす方法は他にもある。伝えられなかった想いを届けたり、後悔の念を取り除けば幽霊は心置きなく成仏していくことを、ユキトは知っている。諦めるよりも救いのある終わり方だ。

 そのためには彼らの声を聞いて貢献する第三者が必要になる。

 そして該当する人物は今、彼女の目の前にいた。


『でも、少し安心したよ。私は根性のある方だ。一年くらいならここに居続けられるかもしれないな』


 驚くべき発言に、ユキトは思わず振り向いた。


『未練、という意味では、私の抱える想いは決して安いものではないからな』


 その口振りは、よほどの問題を抱えていることを示している。この森で死亡していた経緯も気になるだけに、ユキトは聞きたい衝動に駆られた。

 だがそんな彼の胸中を察したようにルゥナは優しく首を振る。


『ユキト。君がもし本当に別の世界の住人だとしたら、他人のことではなく自分の身の振り方を一番に考えるべきだ。どこか行く当てはあるか?』


「いや……」


『ならば我が領地ゼスペリア州に行くと良い。戦乱の時代で治安がいいとは言えないが気の良い人間が多い。まぁ、私が力を貸せればそれが一番なのだが……』


 ユキトは、ルゥナをまじまじと見つめた。

 視線の意図を計りかねたようにルゥナは首を傾げる。


『どうした? 私の顔に何かついてるのか?』


「いや違くて……ルゥナさんこそ、なんで見ず知らずの俺をそこまで気遣ってくれる?」


『何でと言われてもだな。民を守るのは私の役目だし……あ、君は違うか。でも助けてもらって放置するのは私の許すところではない。別に深く考えてのことではなくて、これが私なんだ』


 はっきりとした声音だった。ルゥナは至極真面目で、本心なのだろう。

 やっぱり違うなと、ユキトは感じていた。

 死者は強い未練を抱えている。もう未来がないことがわかっているからこそ、最後に自分の願いを叶えようと躍起になる。つまり自己中心的になる人間が多い。

 だがルゥナは、死んだ後ですら他人を案じている。スカベンジャーに襲われそうなときも真っ先にユキトのことを助けようとした。見返りも求めていない。

 どうしてかと考えて、単純なことに気づく。


 ――そうか。いい人なんだな、ルゥナさん。

 

 高潔な人柄、あるいはお人好しとも言い換えられるが、ユキトは少し安心した。

 ここはまったく知識のない異世界だ。面倒なことも想像のつかない苦労も出てくるに違いない。彼女を助けるということは、彼女の抱える問題にも足を突っ込むことにもなる。

 誰であろうと幽霊は助けるつもりでいたが、共に過ごす相手がルゥナなら申し分ないと感じた。


「ルゥナさん……この森から出られる方法が、一つだけある」


『本当か!?』


 ルゥナが詰め寄ってくる。喉から手が出るほど欲しい、といった顔だ。


「霊感のある人に憑き纏うんだ。そうすれば幽霊もその人と一緒に移動できる」


『それはつまり、君と一緒に行動すればいい、ということか』


「どのみちゼスペリア州に行くなら目的地は同じだし、俺が連れて行ってあげることはできる。情けないけど一人で辿り着ける自信もない……一緒に行けるなら俺としても助かる」


 ユキトがそう提案すると、ルゥナは何も言わずに天を仰いだ。

 胸の前で手を組む彼女は『この出会いに感謝します豊穣神様……!』と祈るように呟く。


『私としては大歓迎だ! 故郷までの道案内など造作もない。何ならゼスペリア州内地も案内できるぞ!』


 そこでルゥナは、何かを思いついたように手を叩いた。


『そうだ。うまくいけば君の生活も保障できるかもしれない』


「え、マジで……?」


『ああ。といっても、私という死者の存在を妹が認めてくれればだが』


 含みのある言葉に、複雑な事情がありそうなことを改めて察する。

 ルゥナは真剣な目つきになった。


『私も、決して単純な立場ではない。君の協力は是が非でも欲しいが、一筋縄ではいかないことだけ理解しておいてほしい』


「それはその、こうなった理由と関係がある、んだよな」


 ユキトはチラリと別の方向へ視線を向ける。

 そこには、雨に打たれる彼女の亡骸が横たわっている。

 ルゥナは頷くと、今までの経緯を語り始めた。

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