②-ルゥナ-

『といっても魂である私の声が届くわけないか……しかしこの少年はなぜ急に現れたのだ。見たこともない不思議な出で立ちからすると異国の者とは思うが……ドルニア平原の近く、というのがきな臭いな。斥候の類か? 可能なら領地に知らせたいが、移動ができない……何か方法はないか』


 女はぶつぶつと呟いている。しかも口振りからすると、自分が誰にも見えない存在であることを認識しているようだ。死んだことを理解するだけの時間があったなら、少なくとも死後数時間以上は経過しているのだろう。

 ユキトは注意深く女を観察した。すると女は、彼の視線が自分に向けられていることに気づき始めた。


『……もしかして、私が見えている、とか?』


 ユキトは素直に答えるべきか逡巡した。

 彼女の格好は異質だ。本格的すぎて単なるコスプレにも思えない。そんな得体の知れない人間を相手に、幽霊が見えることを告げてしまって平気だろうか。

 しかしユキトは結局、頷いてみせた。


「見えてる……俺にはあんたが、見えるんだ」


 森の中で誰かに会えるとは考えにくい。女が何者であろうと頼るしかないと判断した。

 女は目をパチクリと瞬きして固まる。『本当に?』と念を押してくるので、ユキトは再び頷く。


『あ、ああ、あああああ……!』


 不明瞭な声を上げた女は、いきなり土下座した。


『こ、これは失礼致しました! よもや導師様であらせられるとは……! 先程の無礼な発言の数々をどうぞお許し下さい』


「は? 導師?」


『とぼけないでください。私のような霊魂を見通した力は紛れもなく導師様である証左。なるほど、きっと異国の導師様なのですね。見慣れぬ出で立ちに困惑してしまいました。しかし導師様、どうかお願いです。できればまだ昇天の儀は執り行われませんよう……私にはどうしてもやりたいことが……!』


 一方的にまくし立てられても何のことかユキトにはさっぱり理解できない。


「あ、あのさ。導師様ってのが何なのかわからないけど、俺は普通の高校生だから」


『コウコウセー? それが導師様の呼び名なのですか?』


 顔を上げた女は首を傾げる。初めて聞いたかのような反応だ。


「……学生って意味なんだけど」


『学生? まさか市井の民でありながら霊魂と接触できる者だと? そのような冗談は好きではありません。納得の行く説明を求めます』


 女が眉間に皺を寄せる。話が通じていない、というより、お互いの常識がズレている感じだ。

 ユキトは戸惑いながらも更に聞いた。


「じ、じゃあ、まずは教えてくれ。ここは一体どこなんだ?」


『野営地からそう遠くないはずなので、ニルベルングの森かと』


「ニルベルング」


『ええ。この森を出た先には我が国の仇敵聖ライゼルス帝国と会戦したドルニア平原が広がっています』


 聞き慣れない単語がぽんぽん飛んできた。日本だと思いこんでいたが違うというのか。もしそうだとしても、言葉が通じていることの説明がつかない。

 何か予想を遥かに上回る、異常な事態が起こっている気がする。

 そう考えたユキトの脳裏にある単語が過ぎった。

 まさかと疑心を覚えつつ、確信を得るために質問を続けた。


「……ええとですね、あなた達の国の名前は?」


『ご存じない、のですか? ダイアロン連合国といえば、東大陸二大国家の一つとして勇名を轟かせているはず。異国であっても聞かないはずがない』


 彼女は驚きを隠せないようだが、残念ながらユキトは一切聞いたことが無い。

 そして彼は予測を言語化した。ここがどこなのか。


 ――異世界。


 半笑いになったユキトはその場に崩れ落ちた。

 慌てて女が駆け寄る。


『どうしました導師様!?』


「待って……ちょっと心の整理するから」


 四つん這いの格好になりながらユキトは何とか平静を保とうとした。

 無理だった。

 日頃よりオカルティックなものに慣れていても、こんな突飛な現象を素で受け止められるほど達観していない。途方に暮れる、とはこんな気持ちを言うのだろう。


 ――マジで異世界、なのか……?


 自分たちの住む世界とは異なる世界。漫画や小説の中ではポピュラーなキーワードだ。一高校生であるユキトもその単語には馴染みがある。

 だが信じ難い。別の世界に来ているなど、すぐに受け止められるはずがない。

 なぜこんなところにいるのか。今後どうすればいいのか。

 混乱が極まった頭に不安だけが連なっていく。


 ――俺、このまま死ぬとかないよな……。


 嫌な想像が過ぎって冷や汗が流れた。


『あの、導師様……お体の調子が悪いのですか?』


 心配そうな女が手を差し伸べては引っ込めている。

 よく見れば彼女の顔立ちはまだ幼さが残っていた。実は年が近いのではないか、と考えたユキトは、そもそも素性をまったく知らないことに思い至る。


「お姉さん、はどちらの方でしょうか」


『ああ、申し遅れました。私の名はルゥナール・ロド・ゼスペリア。ゼスペリア州統治を仰せつかったロド公爵家第一息女にして州長代理を務めております。私のことはルゥナール、もしくはルゥナとお呼びください』


 ルゥナはどこか誇らしげにそう説明した。

 だがユキトの反応が鈍いと見るや、不満げに眉根を寄せる。


『……州長、と説明しても驚かないのですね』


「気に障ったらごめん。俺この世界のこと知らないんだ」


『世界を、知らない……? もしや導師様ではなく天界からの使者でございますか!? ということは私を連れに参られたのだと!』


 勝手に読み違えてルゥナは慌て始めた。ちょっと落ち着いて欲しい。


「違うんだよ。あんたと出会ったのは偶然、だと思う。俺はきっと何かに巻き込まれたんだ……多分」


『思うとか多分とか、先程からどうにも不明確ですね。ならば貴方がここに来られた理由があるのでしょう』


「それがわかってたらもうちょっとマシなんだけど……俺にもわからないんだ」


『……嘘をついているのではないでしょうね』


「え?」


 途端、ルゥナの目がすっと細められた。冷たい眼光が宿る。


『様子がおかしいと思っていたんだ。別の世界などと珍妙な話を始めたのも、私を混乱させるためではないか? 導師の力は本物のようだが、貴様は何を企んでいる。本当のことを言ったほうがいい』


「だから勝手に妄想で――」


 言葉の途中でルゥナが剣を抜き放った。

 喉元に切っ先を突きつけられたユキトは口を半開きにして凍りつく。


『魂だけの身とはいえ、ゼスペリア州統治者であった責任と矜持がある。領地に近いこの地で不審人物を放っておく気はない』


「ちょっと待った! 嘘は言ってない!」


『ならば証拠を見せよ』


 言葉に詰まる。突然こんな場所に居たのだ。証明しろといっても無理だった。


「信じてくれ! 俺はいきなりここにいただけだ!」


『斬る』


 剣が薙ぎ払われた。が、空を斬って終わる。直前にユキトが横に転がることで避けたのだ。

 しかしルゥナは既に剣を振りかぶっていた。剣術などからきしのユキトが次も回避できる保障はない。

 だからユキトは猛然と森の奥へ駆け出した。


『あ! 待て!』


 後ろからルゥナが追いかけてくる。だがおそらく彼女も地縛霊のはずだ。遠ざかれば追いつかれることはない。

 しかしユキトは失念していた。彼女の「器」の存在を。

 全力で動かしていた足が何かに当たってバランスを崩す。前のめりに倒れたユキトは、思わず障害物のほうを振り向いた。

 女騎士が倒れていた。

 一瞬、呼吸を忘れる。ルゥナだ。なぜここに寝ている。先程まで追っていたではないか。

 いや違う。ユキトはすぐに思い違いを正した。


 これは、死体だ。

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