第27話
僕は走りながら簡単に説明した。
「なんてこと……」
美樹の顔が青ざめる。
「あの子……自分の肉体管理情報に不正ツールを入れてるんだわ」
「どういう事?」
「肉体の個人情報……五感に直結する書換不可能ファイルに無理矢理不正ツールプログラムを上書きしたのよ!」
美樹が叫ぶ。
「それって……マズいのかな?」
雷弩が答えた。
「マズいなんてもんじゃねぇよ。そうだな……ナイフ隠すのに自分の腹に刺しとくようなもんだぜ。正気じゃねぇ」
血の気が一気に引く。
「このワールドで、しかもエマージェンシー状態の中でシフト……つまり空間移動なんて自殺行為以外のなにもんでもねえ。ヘタすりゃ脳細胞が壊死するぞ! あの馬鹿野郎が!」
最後は見え始めた駅ビルに向かって叫んでいた。
◆
無人の駅ビル。蛍光灯の明かりが、のっぺりとした店内を照らしていた。
誰もいないエスカレーターを駆け上がり、屋上に出る階段を探す。
「こっちだ!」
雷弩の叫びが無人のフロアに響く。三段飛ばしで身体を上昇させる。鉄製の観音開きの扉を思いっきり押し開いた。
そこは異様な空間だった。
空は真っ暗で灰色の雲が激しく流れ、雲の隙間を雷光が走っていた。暴風が僕たちを打つ。
「そうか、屋上はまだデータが作られていなかったんだ。空のサーバーに自分用の空間仕込んでやがったな」
屋上には何もない。いや、一番奥に見覚えのある物があった。先ほど引き込まれた空間と同じ台座。その上に亞璃栖が浮き、数字の帯が幾重にも回転している。みんなが口々に亞璃栖と叫んだ。
「……無い……なんで! どうしてよ! 全部調べたのに! 性交渉のデータなんてどこにも無いじゃない!」
麻揶の叫びだった。彼女は空中に指を激しく叩き付けていた。彼女にしか見えないキーボードを打っているのだ。
「麻揶……あの馬鹿野郎!」
雷弩が走り出す。
「あっ!」
麻揶がそれに気付いて右手を突き出す。
「下がって! 雷弩!」
バキィンと高音と低音の弾けた音と、それに混じって雷弩の短い悲鳴も聞こえた。
続けてバキィという攻撃音。
「ぎぃあぅお!」
僕はのたうち回る雷弩の前に飛び出した。
麻揶と僕の間の空間が弾ける。
「みんな下がって! 僕ならあの攻撃を無効化できるから」
立ち上がり振り向く。
「麻揶さん……」
彼女の綺麗な金髪はぐしゃぐしゃに乱れ、あの可愛らしかった表情はどこにも無かった。
「無いんだ……麻揶さん……そんなデータ……ある訳無いんだ」
きっと僕も苦い表情をしていたに違いない。
「どうして? あんたたち昨夜ホテルに!」
麻揶がヒステリックに怒鳴る。その時、数列の帯が一気に減って亞璃栖の顔が見えた。ぐったりとして、目をわずかに開き、口元を力なく上下させていた。
「でも何もなかったんだ僕たち……うん、そうか」
僕は亞璃栖を見上げた。
「やっとわかった。そんな理由があったから亞璃栖は積極的だったんだね……でも僕はなぜか違和感があって、その時は彼女に触れることすら出来なかったんだ」
僕は少し自嘲気味に肩をすくめた。
実際情けない話だ。あの夜、ホテルにあったゲーム機、蒼流の部屋で遊んだのと同じ物だった。朝までそのゲームを遊んで帰ったのだ。あのなんでもない時間で初めて彼女に少し近づけたと思った。だからあの後につないだ手が嬉しかった。
「だから、そんなデータは、無いんだ。麻揶さん」
僕は彼女を真っ直ぐに見つめた。
「そんな……そんなこと……」
彼女が膝から落ちる。僕は駆け寄ろうとした。
「この……ヘタレッ!」
急に麻揶が前屈みのまま突っ込んできた。
<避けて! マスター!>
ソウルの叫びに反射的に身をひねる。彼女の身体が僕の右側すれすれを通過した。
右腕に激痛が走る。二の腕から血が溢れた。
「零!」
雷弩の声だ。
「近寄るな!」
麻揶が左手を突き出す。雷弩、美樹、佑は階段の影に飛び退いて隠れた。
「くそっ!」
麻揶が僕の方を向く。右腕が激しく痛んだ。
「あんたがヘタレだから……」
彼女の手に、何か光る物が現れる。それは色のついた蛍光灯のようで、SFに出てくる光のサーベルと同じだった。
<マスター! あの光の剣は非常に強力です! 無効化できません! あの剣は空間データごと全てを切り裂きます! 避けるしか方法がありません!>
僕は舌打ちした。一刻も早く亞璃栖を助けたいのに、麻揶と対峙してしまって動けない。
「何で……なに女に恥かかせてるのよ! この最低男!」
彼女は光の剣をめちゃめちゃに振り回して突っ込んでくる。長いリーチから距離をとって逃げ回るしかなかった。
追ってくる麻耶が突然大量の血を吐き出した。
「麻耶さん!?」
僕だけでなく、後ろの三人も口々に叫んだ。
僕は麻耶に触れて捕らえようと試みるが、目の前に踊る光の軌跡にまるで近づけない。近づくどころか下がる一方だ。
「なんで抱いてあげなかったのよ! ただのスケープゴートのくせして! 亞璃栖がどれだけ惨めなのよ!」
麻揶は涙を流しながら叫んでいた。
え? スケープゴート?
「まだわかんないの!? あんた身代わりなのよ!」
「やめてぇ!!」
亞璃栖が顔だけを床から上げ、悲鳴のように叫んだ。
「亞璃栖!」
「亞璃栖の彼氏はね! 死んだのよ! 亞璃栖と交わることなく!」
どういうこと……? だって……たった一人のレベル9って……。
「本当のあんたを見せてあげるわ!」
麻揶が空中を激しくタッチする。
「やめて! お願い! 麻揶ちゃん! それだけは……やめてあげて……!」
亞璃栖が泣いている。
麻揶も泣いている。
これは……いったいなんなんだ?
僕の思考は考えることを急速にやめていく。
「これが! 今の! あなたよ!」
空中にウィンドウが現れる。
シリンダーのような物体が映し出された。
光量が少なく、すぐには判別出来なかった。見たくなかった。でも視線は画面以外を見ることを許してはくれなかった。
シリンダーの中に時々気泡が浮かぶ。中は液体で満たされているようだ。
僕の鼓動が台風の荒波のように荒れ狂う。見てはいけない。でも瞳を閉じることは出来なかった。
画像が少しずつ動く。
カメラがゆっくりと動いているようだ。液体の中に何かが浮かぶ。気泡以外の何かだ。
たくさんのチューブ。小さく明滅するダイオード。
それはとても損傷していた。
それは生物学的に生かされていた。
左腕だけだった。へそより下は何もなかった。そして……。
剥き出しの脳から何百のカラフルな細いコードが伸び、液体の中をたゆっていた。
でも、なにより、僕の胸を苦しめたのは、その年季を感じさせる風貌だった。
「あんたはね、零! 53歳のサラリーマンよ! 昔も!
僕はこの世界で一人だけのレベル9……。
そうか。二人目だったんだ。
視界が反転する。
地面に倒れたんだと気がつくまで若干時間が掛かった。どうでもよかった。
麻揶が光の剣を振り上げる。誰かが僕の名前を呼んでる気がする。歪んだ麻揶が歪んだ声を漏らした気がする。
——あんたの加納零って名前
——可能性0%からつけられたんだって
クスクスクス
僕は目を閉じた。
全ては真っ白に変わってしまった。
クスクスクス
——僕はもう眠ることにした。
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