第26話
女子寮の前に付いた三人は、困惑の表情で立ち尽くしていた。
「美樹……いたか?」
「いないわ」
「こっちにもいねッス。零もいないッスね」
「おかしい……なんかおかしいぞこれいつぁ!」
◆
「別に不老不死になれる訳でもないのに、哀れな老人たちは寝たきりを恐れて大喜びで札束を積んで、この世界に来たの。生身は寝たきりより酷い状態なのにね?」
クスクスとまた笑い出す。
「それでその老人たちは仮想世界で若い肉体を与えられて大はしゃぎ。さらなる欲求を満たすため札束を積み上げ、わがままを通していったの。グラフィックがここまで向上したのも、レベル深度が急速に上がったのも、全部彼らの札束のおかげね」
クスクス。その声は途絶えることがない。
「苦しみを知らない彼らは、この世界にも、お金の力が反映するように強引に変えていったわ。アミューズメントは充実したけど、それにはリアルのマネーが必要になっていった。金を持つ人間だけが楽しめる世界に作りかえて、優越感に浸っているのよ! あいつらわ!」
唐突な罵声。
止まる笑い声。
空間に静けさが戻る。
麻揶は肩で息をしているように見えた。
「……レベル8と9と最終目標のレベル10の研究は同時に行われていた。そんな時また不幸な事故で一人の青年が重体に……」
「……や! やめて! 言わないで! お願い……!」
亞璃栖が大粒の涙を落としながら喚いた。
「うるさいのよ!!」
パチンと指を鳴らす。亞璃栖の周りの数字の輪が動きを激しくし、カラーが激しく入れ替わり明滅した。
「きゃあああああ!!!」
亞璃栖が仰け反り悲鳴を上げた。
「亞璃栖!」
「零くんも動かないで。まだ話の途中なんだから」
「クソッ!」
「あら? 零くんもそんな汚い言葉を使うのね」
クスクス。
麻揶の声が僕の脳に染みこんでくるようだ。歯を食いしばって耐えるしかない自分に怒りで爆発しそうだった。
<マスター。今の攻撃のおかげで不正プログラムの解析が終わりました。すぐにワクチンの制作を開始します>
(いそげ!)
<了解!>
時間を稼がなくては!
「ねえ麻揶さん……続きを聞かせてよ……」
「ダメ……ダメ……」
弱々しく亞璃栖が漏らすように呟く。声を上げる気力すらもう残っていないようだ。
ごめん亞璃栖、他に時間を稼ぐ手段が見つからないんだ……。
「興味ある?」
麻揶が笑顔で首をかしげた。
僕はゆっくりと頷いた。
「……その怪我をした青年に残された選択は大きく2つ。現実の世界で動かない身体と闘うか、嘘の世界に逃げ込むか」
楽しげに語る麻揶と反対に、目をつむり顔を逸らす亞璃栖。
「でもね一つ問題があったの。彼には脳にも損傷があって、どうしてもレベル9の手術でなければならなかった」
脳に損傷……そんな状態でもこの世界に来られるものなのか?
「家族の同意の下それは行われた。世界にたった一人のレベル9の誕生ね」
心拍数が跳ね上がる。
「レベル9はね、理論上五感のフィードバック率が100%再現出来るシステムよ。まだソフトが追いついてないから、一部を抜かしてレベル7と同じくらいの再現率らしいけどね」
クスクス笑いが復帰していた。
麻揶は最初に言った。僕がレベル9だと。
胸が急に苦しくなる。もう聞きたくない。
(まだか!)
<もう少しです>
僕は舌打ちしそうになる。
「それで?」
僕は少し皮肉を込めて言った。
「あら? まだ聞きたいの?」
クスクスクス。
その笑い声に、怒りで沸騰しそうだった。
「レベル9の青年には可愛い彼女がいたの。看護士二年目の若くてとっても綺麗な彼女がね」
クスクスクス。
僕は亞璃栖を見上げた。彼女は顔を逸らして泣いていた。
「その彼女はね、彼に会いたくて
今度の麻揶の笑顔には影があった。
「馬鹿にしてると思った。私たちがどれほどの苦しみと悲しみの果てにここにいられるようになったのか、そいつは醜い老人たちよりも許せなかった」
困ったような顔で僕を見る。
「麻揶さん! だからこんな事してるの!?」
麻揶は一瞬目を丸くしたが、すぐにあきれたような顔に変わった。
「そんな訳無いじゃない。その程度でいちいちヒス起こしてたらここではやっていけないわ」
「じゃあなんで……」
「話を続ければわかるわ。……レベル8はね、レベル7の五感再現率を少し上げて、手術をより安全に改良したもので、一つの特徴があったの。それは首の後ろにコネクタを取り付ける事で簡単にコンピューターとの接続を物理的にはずせるようにしたもの。私たちみたいに頭中からコードが飛び出したりしてないわ。つまり気分次第でリアルとバーチャルを好きに行き来できるシステムね」
麻揶が立ち上がり、座っていた中央の台座の周りをゆっくりと回り始めた。
「このシステムの最大の利点ってなんだと思う?」
一周回ったところで僕に聞いてきた。
「……話せない人と話せる……とか」
上手く言えなかったが意思疎通が一番だと思った。
「はずれ。このシステムの最大の特徴はね、身体の感覚を切り離せること」
意味がよくわからなかった。
「例えば視覚。バーチャルの視覚を脳に送るとき、とても困ることがあるの、それはなんだ?」
「え……? それは……」
僕は口ごもる。
<それは実体の視覚情報です>
僕は余計な横やりに舌打ちをしたくなった。
「リアルの……視覚情報……?」
「ふーん? やっぱり零くんって凄いんだ。その通りだよ」
少し悔しかった。
「実体の感覚を同時に切ってあげないとだめなんだ、つまりね……このシステムの最大の利点って、リアルの痛みから解放されることなんだ」
なるほどと思った。
「モルヒネなんかより強力確実な痛み止めみたいなものとしてのこの機能。本当に嬉しかった」
彼女は再び同じ所に座って、どこか空中を見た。
「それなのに……痛みも知らない人たちがぞろぞろ……あの老人たちはまたお金を積んだの。さらなる欲求のために」
彼女の手は音を立てそうなほど強く握られた。
「……でもね、その欲望は金になる。会社にしても、省の人たちにとってもそれは金のなる木……後回しにされていたその研究を進めることになった。……世界に一人ずつしかいないレベル8とレベル9を使って!」
麻揶は立ち上がって亞璃栖を睨み付けた。
「仮想SEXのデータを渡す約束でこの女は自らレベル8になったのよ!」
今度こそ僕の頭の中は真っ白に飛んだ。
<マスター! ワクチンが完成しました! 防御モード起動、先ほどと同じ攻撃であれば完全無効化できます!>
僕はその言葉に爆発したみたいに飛び出した。
「やれ! ソウル!」
<はい、マスター>
「えっ?」
麻揶は不意を突かれ呆気にとられたが、すぐに右手のひらを僕に向けた。
「弾けろ!」
バキィン!
甲高い音と、軽い衝撃があった。彼女と僕の間に光り飛び散る英文字。プログラムの文章の一部に見えた。
「えっ……え? シールド!? なんで!?」
麻揶は飛びずさって僕と距離を置いた。その隙にお盆の中央、台座に駆け上がる。亞璃栖の真下に来たとき、彼女を取り巻く数字の帯が割れるように砕け散る。花火のように英文字が飛び散った。
「そんな! ありえない!」
麻揶が叫ぶ。
落ちてきた亞璃栖をしっかりとキャッチする。
「零……く……」
「大丈夫?」
「うん……でも……なん……で」
「ソウルが力を貸してくれた」
「え? 生きて……たの? 蒼流……くん!」
「……蒼流くんが残してくれたプログラム」
「……そっか……」
「ちょっと休んでてね」
そっと彼女を床に下ろす。
「麻揶さん……もう終わりにしようよ……どんな理由があるにしても……」
一歩彼女に近づく。麻揶は一歩引いた。
「近寄るな! くるな! なんで……」
彼女の顔は歪んでいた。
右手を突き出して何かを打ち出してくる。僕の周りに展開された不可視の防壁がそれを無効化して砕く。
「蒼流くんが……僕にAIを残してくれたんだ……不正ツールを無効にしてくれるみたいだ」
僕が近づくたびに、彼女は後ずさる。お盆の端まで下がり、そこで止まって僕のことを睨み付けてきた。
「ソウル。麻揶さんを一時的に捕らえることは出来る?」
<相手に触れてください。離れては無理です>
「わかった」
あまり気が進まないが、今はこの方法しか考えられなかった。
「そうなんだ……蒼流くんそんなツール残してたんだ……」
彼女の身体から急に力が抜け、肩を落とす。僕はほっとしてゆっくりと近づいた。
「うん。凄い生意気なAIだよ」
<失敬な>
そういう所が生意気なんだよ……とは口には出さなかった。
「麻揶さん、ごめんね」
彼女の肩に触れようとした瞬間、彼女の身体にブロックノイズが走る。
「え?」
<マスター! 後ろです!>
振り向くと麻揶が四つん這いになって大量の血を吐いていた。
「げあぅ!」
「えっ?」
「麻揶……ちゃん?」
体力が少し戻っていたのか、亞璃栖がよたよたと麻揶に近寄った。顔を上げた麻揶は歯を食いしばっていた。口から顎まで血で真っ赤だった。鬼のような形相だった。
「どうしても! データが必要なの! 私の……」
僕は走り寄る。あと数歩!
「私の娘の為に!」
僕の右手が麻揶に触れる寸前、彼女と亞璃栖はブロックノイズを残して消え去った。
何も掴めなかった右手が、ただ浮いていた。
突然視界が真っ白になった。いや、明るくなったのだ。
「零!」
「零くん!」
この声は……。
「雷弩! 美樹さん!」
視界が戻ると、元の女子寮だった。
「どうなってんだ? 説明しろ!」
叫ぶ雷弩に片手を突き出す。
「後! ソウル! 二人の居場所は?」
<駅ビル屋上。例の不正ツールが再び使われています>
「ここから止められないの?」
<無理です>
「何を独り言いってんだよ!」
雷弩が怒鳴る。それを無視して続ける。
「じゃあ僕を麻揶さんみたいに移動させて!」
<それも無理です>
「移動? どういうことだ?」
そこに佑が走ってきた。男子寮にいたようだ。
「見つかったッスか?」
「亞璃栖と麻揶さんは駅の屋上だって!」
僕が走り出すと、三人も慌てて付いてきた。
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