第24話


 麻揶に教えてもらった時計ウィンドウを表示させる。デジタル表示に設定し、ウィンドウの大きさを適度に変更し、視界の隅に置いた。

 本当に便利だと思う。


 地図に移動の軌跡を表示させると、無駄無く効率良く探索できた。今の僕には効率を求めることが、あの悲しそうな表情に繋がるとは思えなかった。どうせバーチャルな世界なら便利でなにがいけないのだろうと。


「二時四十分だ。そろそろ駅前に移動しようか」


 視界の隅に表示していた時計を見て言った。


「そうだね」


 角を曲がって駅の方へ向かう。やや急な下り坂になっていた。

 広めの道にでると、海へ吸い込まれていくような錯覚を覚えるようだった。例の物理演算とかいうのが動いていたら、アスファルトの陽炎も、夏特有の白く霞むような空気感も味わえたかもしれない。

 今は無性に昨日までの景色を返して欲しかった。

 クリアでのっぺりとした風景は、エッジがききすぎていて、気にし始めると止まらなくなっていた。


 僕と麻揶は無言のまま坂を下る。何か話した方がいいと思ったが、それを思っている時点で、何も話せなくなっているという事実に気付いていない。

 僕はこの世界の何かを聞こうと質問を考えたが、思考が雲のように漂うだけで、言葉にはまとまらなかった。


「何のためにこの世界が作られたと思う?」


 数歩先を行く麻揶が振り返らずにぽつりと言った。


「何のため……なんだろ? ゲーム? 剣と魔法の世界なんて面白そうだよね」


 これは答えじゃないな。


「同時多発的にバーチャルへのアプローチは発生したの。ゲームもそうだし、バーチャルショッピングモールなんてのもあった。医療、福祉、建築、未来シミュレーション、ファッション、たぶん人間が想像出来るあらゆる可能性に一度はアプローチしたんじゃないかな」


 なぜだろう。彼女の話はデジタルの話なのに、人間臭さしか感じられない。


「ゲーム、バーチャル、オンラインの三つが合わさったとき、それは火がついたように進歩したの。人はそれを望んだのね」


 三つの単語の意味を考えてみる。なるほど、自分が成長する剣と魔法の世界に行き着いたのかもしれない。


「今はね、その恩恵に預かれるのはほんの一部の資格のある人たちだけ。もちろん零くん、あなたもよ」

「僕も? 資格って、なに?」

「あるゲーム会社はね、それをもっと一般に普及させるために全面協力してるの、もっとデチューンされた形になるけどね」


 話が本質からずれた気がする。


「どんな資格が必要かわからないけど、別に普及するのは悪い事じゃないんじゃないかな?」


 資格とはお金だろうか? 一瞬、学生証に内蔵された残金が頭に浮かんだ。


「良い悪いの定義がよく分からないけど、悪いことでは無いと私も思う……」


 彼女はずっと正面を向いたまま坂を下っている。そろそろ左折だ。商店街のアーケードに入る。全ての店のシャッターが下がっていた。

 よく考えてみたら通行人も車も動いているのを見ていなかった。まるでゴーストタウンだと急に背筋が冷たくなってきた。無人で無音のアーケードを歩く。風の音も、モーターの音も、ゴミも、石ころも、ホコリも、何もない。

 ただ原色の看板と灰色のシャッターが並んでいた。


「街を歩いていた大半の人はNPC……つまりただのプログラムよ、駅前でよく観察してると、まったく同じ人間が何度も歩いているわ。相当数のパターンがあるから、無意識だと気が付かないの」


 また沈黙。


「ねえさっきの話。どういう意味だったの?」


 彼女はやっと立ち止まって僕の顔を見た。


「意味なんてないわ」


 駅前には五人がほぼ同時に集まった。顔を見れば結果なんて聞く必要はなかった。


「零、お前は寮に戻ってろ」

「え?」

「今から俺たちで四方向に散る。ツールが無いとここからは無理だ。お前は自室で待機してろ」

「でも!」


 僕の叫びを雷弩が片手で制した。


「今さっき、俺たちGMより上のシステムチームに音声通信の許可を取った。GMは特権でどこでも使えるんだけどよ、お前は自室にいないと駄目だ。通じない」


 彼が自室と指定した意味はわかった。


「安心しろ、必ず呼び出す。だから待ってろ。ここは現実の世界じゃねーけどよ、一つだけ確実な事があるんだぜ?」


 雷弩がニカリと笑う。


「なによ、それ」


 僕ではなくて美樹が聞いた。


「俺たちは仲間だってことさ」


 雷弩は唇を片方だけ思いっきり持ち上げた。僕たちは口をあんぐりと開け呆れたが、一瞬後に吹き出した。


「クサいクサい」

「臭うッスね!」


 雷弩が片手を突き出す。一度みんな顔を見合わせて、その上に手を重ねていく。


「俺は亞璃栖を仲間だと思ってる。なんかヤヴァイ事に巻き込まれてるかもしんねぇ。仲間を助けるのに理由はいらねぇ。皆で亞璃栖を捜すぜ?」


 全員が「おう」と力強くハモった。


 ◆


 一人で自室に戻る。一分が長かった。

 何もすることの出来ない自分がもどかしい。もう、この世界がヴァーチャルだと理解したんだから、元の記憶もドッと戻ってくれば良いのに。そうしたら自分の中に一つくらい使えるスキルがあるかもしれないじゃないか!

 狭い部屋の中をぐるぐると回ってみるが、頭は回らない。十分ほどで自分がどれだけ冷静でないかに気付く。


「馬鹿だな。僕は」


 イスに深く座る。

 焦って得られるものなんてないんだ。まずは落ち着かなくてはならない。大きく深呼吸すると、少しだけ頭は冷えたようだった。

 今は連絡を待とう。

 そう決めたら心が一気に楽になった。

 ふと、机の上に置きっぱなしのCDケースに目がいく。

 蒼流が置いていった音楽CDだ。ただ待つだけなら、音楽でも聴こう。ケースを開いて円盤を取り出した。


 瞬間。


「え?」


 視界にブロックノイズが走った。

 次に目の前に新しいウィンドウが開いた。


『ただいまローディング中です』


 僕がそれを二度読み返した所で、そのメッセージウィンドウは勝手に閉じて、視界の左下にCDのアイコンが表示された。

 僕はCDケースから円盤を取り外したままの姿勢で固まっていた。たっぷり二分は動けなかったと思う。


 緩やかに思考が回り出す。僕は取りあえず、CDをケースに戻して机に置いた。

 アイコンは消えなかった。イスから立ち上がり、ベッドの縁へ腰掛けた。ベッドのグラフィックはのっぺりとしたものに変わっていたが、腰から伝わってくる感触はベッドのそれだった。


 ゆっくりと深呼吸。

 CDのアイコンをタッチした。

 まずウィンドウ、それは映像だった。


「これを見ているということは、零のツールが開放されたと言うことだ」


 それは忘れることの出来ない声だった。


「ならば、この世界がどんな所かもう良く分かっていることだろう。悩むことはない。受け入れてしまえば良いだけだ」


 映像には僕の良く知っている人物が写っていた。


「いつだって、真実より目の前に作られた平和が現実なんだからな。カップラーメン喰いながら他の国の戦争のニュースを見ているのと何も変わらない。それでも悩むならみんなに相談すればいい。必ず力になってくれる連中だからな。俺はもう手伝ってやれない」


 心臓が、極度に強い鼓動を打った。


「それよりも、このデータを残したのには別の意味がある。ちょっとばかりこの世界がきな臭い事になってるみたいだ。これはみんなにも黙ってたんだが、俺は本当はGMより上のシステムチームの一員だ。その中でもGM用のツールを作るっていう、ちょいと変わった仕事をしていた。ハック対策ツールなんかも作ってたんだが……どうもかなりのハッカーがこの世界に紛れているようだ。俺のツールでもなかなか引っかからない」


 僕は脳裏に亞璃栖の姿を思い浮かべ、そして首を激しく振って打ち消した。


「そこで俺が趣味で作っていたプログラムとGMツールを組み合わせて新しいツールを作った」


 新しいツール?


「支援AI。人工知能ってやつだ。もともと俺はそっちのプログラムの人間だったんだが、このシステムに入ることになったとき、開発チームにそのまま招かれた」


 よくわからないが、蒼流はプログラム開発なんかをやってたって事かな?


「それでこのAIを……零、お前に託したいと思う。もちろん受け取らなくてもかまわない、それでもしもお前が受け取ってくれるのなら……」



 ——俺がお前の ソウル になろう。



 涙が流れた。

 どうして僕になのかわからないが、蒼流が僕に託してくれたものだ。受け取らない訳がない。


『AIシステムを実装しますか? YES/NO』


 震える指でYESをタッチした。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る