第六章

第22話

■■■■■ 第六章 ■■■■■


 初めはそれが夢だと分からなかった。完全な闇だったからだ。


「零……零……」


 誰かに呼ばれている。ずっと奥の方からだ。僕は今眠い。後にしてもらえないだろうか?


「零……零……」


 僕の願いも虚しく声は続く。


「なんだよ、うるさいな……もの凄く眠いんだ。後にしてくれよ」


 闇に言った。

 闇は諦めが悪かった。


「零……零……もし俺の声が聞こえたら……」


 声はだんだん明確に僕の眠りを邪魔するようになってきた。


「もし俺の声が聞こえたら……俺の名前を呼んで欲しい……そうしたらお前に伝えることが出来る……」


 そしてまったく同じセリフが全く同じ口調でまったく同じ声で3度繰り返された時、僕は叫んでいた。


「蒼流!」


 どうしてすぐにその声に気付かなかったのか!


「……やっと名前を呼んでくれたな。このメッセージがお前にちゃんと届くかどうかは賭だったけれど、必ず届くと信じて俺の言葉を残す。聞いて欲しい」


 それは蒼流の声だった。

 僕は何度も彼に話しかけたが、僕の声は届いていないらしく彼は途切れることなく話し続けた。まるでテープに録音したものがひたすら流れているようだった。


「これを聞いていると言うことは俺はもうそこにはいない。本当はちゃんと話すつもりだったが、どうも俺にはそんな時間が残されていないらしい。さっきからどんどん消えていくんだ。まあ自業自得、報いを受けるって奴だろう」


 自嘲気味の含んだ笑い声が挟まる。世界はただ闇で、声だけがどこかにあった。


「……まずいな、空白が……増えてきた……白い……くそっ……遅かった……零……亞璃栖に……気をつけ………………」

「蒼流くん? ……蒼流! 蒼流!」

「世界……は……ータ……ーディ……はは……よなら……」

「蒼流!?」


 途端に世界が明るくなった。


 僕は自分の叫び声で目が覚めたらしい。

 昨日と同じ、カーテンの隙間からレーザーのような光が差し込み、部屋にういたホコリが浮いて見える。

 僕の部屋だ。

 ベッドの上で半身を起こして天井を見る。


「蒼流……くん」


 夢だ。

 夢だ夢だ夢だまた夢だ!

 僕は腕を振り上げて思いっきり壁をぶん殴る。痛みが手にじんわりと残った。


 ◆


 着替えを済ませて下に降りると、食堂の横で何人かのクラスメイトたちとすれ違った。

 軽いあいさつをかけられたが僕はそれに返すことが出来なかった。口が貝みたいになっていたと思う。

 僕の表情はあまり体裁の良いものではなかっただろう。それでもクラスメイトは特に気にする様子もなく笑顔で通り過ぎていった。

 朝食をトレーに乗せて、雷弩と佑の正面に座る。


「おはよう」


 心の奥にタールみたいな粘度でへばりつく感情を無理矢理抑え込んで絞り出した。


「ういす」


 眠そうに雷弩が片手をあげる。佑はやたら楽しげに昨日と同じセリフを口にした。


「夕べはお楽しみでしたッスか?」


 僕はトレーを置く。荒い音がした。


「お? もしかして怒ったッスか?」


 予想外。という風に目を丸くしていた。


「今朝、蒼流くんの夢を見たんだ」


 口調も少し荒かったかもしれない。


「蒼流の夢ッスか」


 僕は無言の返答を返して食事を始めた。目玉焼きにベーコンにパン。それにプチトマトだった。雷弩は何かを考えるような仕草をしている。


「どんな内容だった?」

「時間が無いとか、限界だとか……消えて行くみたいなことも言ってたかな。まあ夢の話だよ」


 亞璃栖に気をつけろ。そうも言っていた。僕の夢はどうも自虐的で意味不明なことが多い。


「蒼流の奴、お前に何か言いたいことでもあったのかもな。んで生き霊を投げ飛ばしたにちげーねえ。奴ならそれくらいやる」


 雷弩はいつものニカリ顔を浮かべた。

 そうか、そんな考え方もあったのか。それなら嬉しいと思う。生き霊ならどこかで生きている訳だから。少しだけ気分が良くなって、一気に食事を片付ける。


「みんなに話したいことがあるんだ。放課後にでも話すよ」


 僕は決心していた。


「わかった。とりあえず学校いこうぜ、遅刻する」


 ◆


 二つの寄宿舎から蟻が列を作るがごとく、学校までの道を学生たちが連なっている。


「おはよ~」


 美樹が女子寮から走ってくる。横に麻揶もいる。適当にあいさつを交わした。

 五人が集まる。どう考えても一人足りない。蒼流の時を思い出し、背筋に寒気が走る。


「亞璃栖は?」

「亞璃栖だって」


 ニシシと口元を押さえて美樹がいやらしく笑った。


「一晩で呼び捨てでございますよ?」


 同じく麻揶も口元に手をやりプククと笑う。


「まったくまったく。最近の若いやつぁ~」

「同い年でんがな」


 二人は異口同音にくぐもった笑い声を上げた。


「亞璃栖は?」


 僕は二人の反応を無視してもう一度聞いた。彼女たちの反応は予想していたので慌てなかった。少なくとも表面上は。


「女の子には色々事情があるんですよ」

「亞璃栖は時々重いみたいだし……保健体育の授業でもするか? 零くん?」


 麻揶の言葉に慌てて首を激しく横に振った。


「なんだ、亞璃栖のやつ休みかよ」

「そうみたい」


 雷弩に麻揶が答える。


「んじゃここで突っ立っててもしょうがねえ。とっとと行こうぜ」


 だらしなく歩き出した雷弩の後をみんなでついて行く。途中で雷弩が小声で話しかけてきた。


「女性は大変ッス」


 僕は頷いた。


 ◆


 教室に入ると、黒板に目がいった。大きく『自習』と書かれていた。

 黒板の空いたスペースにさっそく数人の女子が落書きを始める。僕たち五人は一カ所に集まった。チャイムが三度鳴り一限目の時間になっても教師は一度も現れなかった。


「全クラス……いえ、全学年が自習になっていて職員室にも入れませんでした」


 様子を見に出ていたクラスメイトが戻ってくると、そう説明してくれた。


「変だな」

「変だね」


 しばらく五人で何が起きたのか話していたが、特に思い当たることもなく、すぐにネタが尽きた。雷弩がため息をつく。


「そういや零、なんかみんなに話があるとか言ってたろ? 亞璃栖も揃ってた方がいいか?」

「亞璃栖にはもう話したことだから。そうだね……うん。聞いて欲しい」

「なになに? 婚約会見?」


 身を乗り出してくる美樹に「茶化すな」と雷弩に制され、彼女は不満そうな顔をする。


「色々考えたんだけど……この生き方も悪くないけど……」


 四人の顔が急に真剣になる。僕の言う事を想像出来たようだ。


「でもやっぱり知りたいんだ。本当の事」


 一人一人の顔を見る。


「僕は……ここにいなかったんだよね?」


 控えめな声で喋っていたので、この四人以外には聞こえていないと思う。クラスは適度なノイズに包まれていた。


「やっぱり昨日か? ビリヤードは……まずかったかな」


 雷弩がため息とともに吐き出す。


「その前からずっと違和感はあったんだ。……積み重ねかな?」


 僕は表情をくずした。上手く笑えたと思う。


「僕は、誰なの?」


 しばらく沈黙。全員の視線が雷弩に集まる。雷弩がチェーンを鳴らしながら後頭部を掻いた。


「お前の本名は俺も知らねえんだ。ただ、お前がこの世界に慣れるように手伝うのが……俺たちの今の仕事だ」


 雷弩は観念したように、イスにだらりと崩れる。


「やっぱり。そうだったんだね」


 どくん。

 実際に彼らの口から直接聞くと、予想していた以上の衝撃を心臓に与えた。


「わりぃ。騙すつもりは無かったんだ……そのな……」

「うん。不思議と騙されたとか思ってないんだ。僕がここで生きていけるように頑張ってくれてたんだよね?」


 口に出してみると自分で思ってる以上に気が楽になった。


「そう言ってもらえりゃ助かるぜ」


 少しほっとした風だった。


「それよりも本当の事を教えてよ。まずここはどこなの? 何県? 僕みたいな人は他にもいるの? それに蒼流くんはなんで消えたの?」


 疑問が次から次へと溢れる。とにかく思いついた物が次から次に勝手に口から出ていった。


「それは……」


 雷弩が口ごもる。


「もう言っちゃっていいんじゃないかなぁ?」


 麻揶だった。


「そうだね。もう表面だけ取りつくろっても零くんは納得しないよ」

「確認した方がいいッス」

「その辺の判断は私たちに任されてるよ」


 四人が言葉を交わす。どこからとか、どこまでとか、どうやってとか、そんな単語が繰り返し使われた。僕は黙ってそれを見ていた。


「わかった。じゃあ美樹、お前から説明してやってくれ。俺からだと誤解されたり、大事な説明がすっぽ抜けそうだぜ」

「わかった」


 美樹が頷いて、僕の正面に座る。三人も姿勢を正して僕を向く。

 いよいよ、真実が顔をだす。

 きっと聞けば後悔するような真実が。


「まずね……」


 美樹が呼吸を整えながらゆっくりと話し始めた。


「この世界の事なんだけど……」


 僕は無言で続きを促す。彼女がセリフを続けるために口を開いたとき、突然激しい音に包まれた。


「なっ?」


 サイレンのような音にクラス中が慌てる。


『皆様、落ち着いてお聞きください』


 男性の声だった。


「校内放送……?」

「違う!」


 僕のつぶやきを雷弩が悲鳴のような怒鳴り声でかき消した。


「これって……」


 麻揶が怯えたように佑にしがみついた。僕は鳴り響くサイレンもどきに思考が止まる。


「間違いないエマージェンシー・モードだ!!」


 ◆◆◆ ◆◆ ◆◆

         ◆

         ◆

         ◆

         ◆◆ ◆◆◆◆◆ ◆ ◆◆


               世界は

                 一変した


            ◆◆◆ ◆ ◆◆◆◆◆ ◆ ◆ ◆◆◆◆ ◆◆◆

 ◆◆◆◆ ◆◆◆◆◆◆ 


 まず、僕の目の前に<EMERGENCY MODE>と赤い文字が浮いて現れた。


 首を振っても、その文字は正面に居座り続ける。

 太陽を直視して目の中に焼き付いた残像がどこを向いても同じ場所にある感覚だ。


『エマージェンシー・モードが発令されました。ただ今よりエマージェンシー・モードが解除されるまでログアウト出来ません』


 男性の声が360度全ての方向から聞こえてくる。


『ログアウトしたい方は、各医療施設までお越しください』


 僕の視界の右横に四角いガラス板のようなものが現れる。手で触ろうとすると、するりと突き抜けた。

 そのガラス板にこの町の地図が表示される。何カ所か赤い印が表示されていた。

 僕の入院していた病院と、学校の、おそらく保健室もマークされていた。


『現在不正ツールと不正アクセスを確認しております。不審な物には近づかないようにお願いします。不審なもの、怪しい人物を見つけた場合、近くのゲームマスターまでお知らせください。現在音声通信も映像通信も、シフトによる移動も行えません』


 雷弩、佑、美樹、麻揶の頭上に『GM』というアルファベット2文字が浮かぶ。


『すべてのゲームマスターはGMツールを使用し、不正アクセス者を特定してください。なお探査ソフトの実行のため、一部マップデーターの物理演算処理を停止いたします。移動に問題はありません。一部のアミューズメント施設も使用出来ません。エマージェンシーモードが解除されるまでご協力をお願いいたします』


 四人の頭上に浮かぶGMの文字。それはゆっくりと回っていた。目の前に浮かび続ける<EMERGENCY MODE>の文字。僕はただ呆然とするしか無かった。


「なんつーか……」


 雷弩が後頭部を掻く。


「最低の答え合わせだったな」


 顔を真っ直ぐにこちらに向けると、彼はニカリと笑った。


「ようこそ。仮想世界へ」


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