第19話


「ごちになりやす!」


 四人の声が重なった。

 亞璃栖の冷たい視線がちくちくと首筋のあたりに刺さって痛い。あの後、亞璃栖がぐんぐんと調子を上げ確実なスペアでスコアを伸ばしてくれたのにも関わらず、僕がひたすらに足を引っ張っての負け。特に最後の連続ガーターの時はもう、泣いて逃げだそうと思ったくらいだ。

 何一つ良いところを見せられず、どころか最悪な姿だけを残してボウリングは終了したのだ。


 みんなは遠慮無く高いものばかりを注文する。特に雷弩なんてサーロインステーキにスパゲッティーにサンドイッチ、さらにスペシャルジャンボパフェとかいう、名前だけで胸焼けしそうな代物まで注文していた。


 どんだけ喰う気だ。雷弩。

 残りのメンバーもセットにデザートまでしっかり頼んでいる。遠慮という言葉は彼らの辞書に無いらしい。


「いやータダ飯だと思うと100倍うめぇな!」


 三口でステーキを平らげると、スパゲッティーも三口で食べてしまう。お前は食のブラックホールか。不覚にも見とれてしまった。フードファイターになれるよ。雷弩。

 見ているだけで胃もたれしそうだったので視線を逸らす。隣のドリアをちびちびと食べる亞璃栖と目があう。彼女は半目になったあと、視線を反対に向けた。


「食べたらどうしようか?」


 亞璃栖は僕以外のみんなに話しかけた。


「カラオケ! 私歌いたい!」

「いいッスね! 声量だけなら自信あるッス!」


 声量だけ……それは自慢になるのか?


「うぃ。んじゃカラオケで決まりだぜ」


 とりあえず、僕の同意を取るつもりは無いらしい。

 五桁に届いてしまった伝票を手に、僕はとぼとぼとレジに向かった。


 ◆


 カラオケで歌える曲は一つも無かった。

 それ以前に、歌手名も曲名も思い出せない分からない。無理に歌うことすら不可能だった。自分の部屋にあったCDだって、一度聞き流しただけで、まるで憶えてない。


 しばらくはノリでつき合っていたが、急に冷めてしまい、トイレに行くフリをしてエントランス脇の小さな吹き抜けのロビーに出て、堅いソファーに腰掛けた。


 横にあった灰皿を見て、一服したい……ほとんど無意識に思った。


 数瞬後それが煙草のイメージだったことに気付いて飛び上がった。

 丁度エントランスに入ってきたカップルが僕を凝視した。僕はどれだけ飛び上がったんだ。慌てて座り直すとカップルは興味を失って受付のカウンターに行った。


 冷静に考えろ。

 僕は今。確かに煙草を吸いたいと思った。

 強い衝動ではない、でも逆に凄く自然にそう考えたような気がする。考えたというより、当たり前のように求めたというか。

 僕は煙草を吸っていた?


 雷弩という友だちをイメージした。

 彼と親友だったのであれば十分にありえる事なのではないか?

 彼を呼び捨てに出来るくらい親しい仲なら、彼の影響で吸っていた可能性は十分にありえる。雷弩が吸っているのは見たことは無かったが、顔を合わせているほとんどが学校関連なのだ。今日もたまたま吸っていないだけで、普段吸っている可能性は十分にある。

 僕と雷弩は悪友で、僕という人間もそういう色に染まっていて、今はそれを思い出せないだけなのかもしれない。


 しかし……。


 例の違和感が沸き起こる。十分にあり得る予測なのに、またもや正体不明の違和感に支配されてしまった。目の前に答えがあるのにどうしても掴めない。亞璃栖がどうしてみんなを連れて遊び回るのか、なにかそこに大きなヒントがあるのか?


 もしかしたら彼女は教えているのではないだろうか?

 僕が自然に気付くように。

 確かにただ教えてもらっても、僕がそれに納得できなければそこでお終いなのだ。真実は自分で見つけろって事か?

 見つけてやるとも。

 絶対に。


「何か思い出した?」


 彼女の声だった。僕は声の方を見ずに小声で答える。


「煙草を吸っていたかも……さっき急に吸いたくなった」


 僕は前を向いたままだった。


「そう……」


 彼女の声にはいつもの元気はなかった。


「僕は……」


 静かに言った。


「少しずつ自分で真実に近づいていこうと思う」

「そう……」


 長い沈黙。

 エントランスに流れるどこにでも落ちているポップスが邪魔だった。


「真実が……」


 彼女はかすれるような声で続けた。


「いつも本当だとは限らないよ?」


 僕はゆっくりと顔を上げた。

 そこに彼女はいなかった。


 ◆


 部屋に戻ると佑が片腕をぶん回し、顔をトマトみたいに真っ赤にしてシャウトしていた。

 自慢していただけあって、その音量はハウリングを起こしまくるのに十分だった。残りの四人もやけくそのように一緒にシャウトしていた。音量には音量という事だろうか?

 みんなの膝をまたぐように雷弩のとなりに行く。


「よう兄弟! 楽しんでるかぃ?」


 肩をばんばんと叩いてくる。


「まあまあ、かな。僕も歌いたい所だけど、やっぱり思い出せないみたい」

「そーかー。一曲くらい思い出せたら良かったんだけどよ」


 アップテンポな曲に合いの手も激しくなっていく。その間隙を縫って雷弩の肩を叩いた。


「雷弩は煙草とか吸わないの?」


 雷弩はシャウトを止め、ゆっくりと僕に首を向ける。予想外の質問だったようだ。


「ああ……まぁだいぶ前に禁煙したぜ。なんで?」


 激しい後奏が終わって、次の曲の準備の為の短い無音の状態が訪れる。数秒前とは打って変わり、刻が止まったの如く完全な沈黙だった。


「零が、喫煙、していたか、だって?」


 区切りながらゆっくりと、慎重に口に出しているようだ。

 僕は頷く。

 雷弩の目が泳ぐ。縦に、横に。だが僕は目を逸らさない。しばらく口ごもっていたが、迷いを見せながらも話し出した。


「ああ……吸ってたな」


 彼の視線は定まらない。彼らしくない。


「俺もお前も確かに……」


 僕はじっと見つめていた。彼も観念して、視線をこちらで固定する。


「まあ今は吸ってねぇ訳だからよ!」


 問題はそこではない。


「僕は煙草を吸っていたんだね?」


 ゆっくりしたテンポの曲が流れ出す。


「あっ僕だ」


 亞璃栖がマイクを探す。でも彼女の視線は僕を捕らえていたと思う。


「吸ってたな」


 諦めたように雷弩がため息を漏らす。


「ありがとう」


 僕は笑顔を作って見せた。僕はやっと真実に一歩近づいた。

 そう思った。

 真実の本当の意味にまったく気付かずに。


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