第五章

第18話

■■■■■ 第五章 ■■■■■


 駅前に七時半。

 それが彼女の答えだった。


 寮から歩いて二十分くらいと言われていたので七時前に寮を出発した。一度正面の女子寮を見た。ここで待っていれば亞璃栖は出てくるのだろうけど、それをせずに駅へと歩いていった。

 何となくだけれど彼女の求める物が想像出来たから。


 待ち合わせで遅れてくる彼女を待つだろう。確信に近い思いがあった。


 駅までは早歩きで十分ほどだ。バスとタクシーの停まるロータリー。その中央の花壇からポールが一本。

 その先端に面白みのない丸いアナログ時計が乗っかっている。

 まだ七時前だった。いくらなんでも早すぎた。


 魚を象ったオブジェ。ここが待ち合わせ場所だ。

 角張っていてやたらにシュールなオブジェの下に腰掛けた。そういえば部屋の机の引き出しに入っていた腕時計を身につけてきていたんだった。

 やたらにごっついダイバーズウォッチでアナログとデジタルの両方が表示されていた。自室にあったのだから僕の物だろう。ロータリーの柱時計と見比べる。針は同じ所を差していた。


 やっと七時になった。

 ただ待っているだけなのも暇なので、周りを観察してみることにした。

 駅名を見ると『風樹学園駅』だった。

 駅を背にして左側の方に商店街のアーケードがあり、細々とした店が奥の方まで続いているようだ。

 右手に少し広い空間があってそこに魚のオブジェがある。つまり僕はいまそこにいる。もちろん正面はロータリー。ぐるっと回って正面に広い道路があって、その両側に銀行や商用らしきビルが並ぶ。

 もう一度戻って駅の右側、オブジェのさらに奥。大きな建物がある。コンクリートの白い壁が垂直になった大きなビルだ。

 ボウリング・カラオケ・シネマ・ビリヤード、ダーツ、レストラン、ブックス、バッティングセンター、フットサル、ゲームセンター、クレーンゲーム。

 壁一面に娯楽施設の名称が並ぶ。室内の遊びは大概たいがい揃っているようだ。

 24時間の文字が一際目立つ。きっと今日の目的地はここだろう。


 一通り観察し終えるとまた暇になる。この珍妙な魚もどきの下から離れる訳にもいかない。本でも持ってくれば良かった。

 ……僕はどんな本を読んでいたんだ?

 漫画、小説、絵本……はないか、それとも学術書とか。そんな馬鹿な。ジャンルは何だろう。恋愛、アクション、ミステリー、まさか萌えとかいうジャンル……否定はしきれないけれど、自分の部屋を見る限り、そういう方向性は無いと思う。


 部屋に本はほとんどなかった。つまり本を読まない人だった?

 自分の好みも分からないのに何を読むつもりだったんだろう。おかしくなって笑っていた。


 でも本屋に行くのは良いかもしれない。並んでいる本を見たら記憶を取り戻す切っ掛けになるかもしれないし、なにか面白そうな本をみつけるかもしれない。

 幸いお金はかなり持っている。本屋の場所はこのビルの中と分かったのだから、明日にでも来てみよう。

 今日は振り回される予感がしていた。

 たぶん、当たる。


 腕時計を見る。まだ十分も経っていなかった。

 無意識に人波を眺める。背広を着た無表情なサラリーマンに色彩抑えめなOLが大半だった。お互いがお互いに無関心。普通がそこにあった。なぜか安堵している自分がいる。

 いつしか僕の意識は雑踏に溶け込み同化していく。

 背景がグレーに統一されていった。無関心無表情止まらぬ人々、その清流にもにた粛々しゆくしゆくと流れる流れに僕は乗っていきたい。いや、意識はすでにその流れに身を任せていた。


「ごめんね零くん、待った?」


 ポンと肩を叩かれた。

 それは予想していた言葉であり、ほぼ想定内の行動だった。他には後ろから目隠しをされて「だーれだ?」のパターンと、遠くから手を振りながら「お待たせ~!」と元気良く走り寄ってくるパターンだ。まずこの三つのどれかだろうと確信していた。

 セリフも、行動も完全に予想の内だった。

 ただ一つを除いて。


「雷弩ーーー!!」


 力一杯叫びながら振り向く。僕の頬に指がざっくりと刺ささる。不意の痛みに悶絶しそうになった。痛みが強かった訳ではないが、どれもこれも不意打ちすぎた。

 雷弩は僕の肩に置いてあった人差し指をカクカクと曲げて、ニカリと笑いやがる。


「さすが零! お約束すぎだぜ!」


 細く白いスラックスと白の半袖開襟シャツを素肌の上に直接だらしなく着ているが、シャツ自体は皺もなくパリっとしていた。

 金のチェーンは絶賛増量中で色黒の彼はどこぞの土着民族に見えなくもない。両腕のチェーンの数も半端じゃない。防御力でも上がるのだろうか?


「何分前にいたかな?」

「二十分前にジュース一本ッス!」

「僕は三……いや四十分前に来てたと思うな」

「あははは! じゃあ私は大穴で一時間前!」


 麻揶、佑、亞璃栖、美樹の順番だった。


「んじゃ残りの三十分前」


 最後に雷弩。

 勢揃いだった。


「なんで……」


 僕は思わずみんなを指差した。


「期待してた?」


 悪魔のように素敵な笑顔で亞璃栖が首をかしげた。


「えええええええええええええええええええええええ!?」


 きっと黄金の国ジパングまでこの叫びは届いただろう。コロンブスもびっくりだ。


 ◆


 僕は猛烈に裏切られた気分になった。

 ああ! その水色より濃く青よりも淡いノースリーブのワンピースはとっても素敵だよ!

 ああ! 肌の見える肩も胸元もうなじも、どきどきするほど綺麗さ!

 ああ! 足の甲がむき出しのピンクのサンダルだってとっても新鮮さ!


 ……でも。

 なんでこんなにオマケがいるんだよ!?

 と。

 きっかり15秒間、僕は心の中で叫んだのさ。畜生。


「やあ……」


 ぎこちなく片手を上げて、僕はようやくみんなにあいさつした。我ながら最低のあいさつだった。亞璃栖を除いた四人がニヤニヤと、それはもういやらしい顔を僕に向けていた。

 ……もう何も知らなくていいから帰ろうかな……。

 泣きそうだった。


「ここに来る途中に見つかっちゃってさ」


 亞璃栖がニコニコと語り始める。



「って言ったら信じてくれる?」

 100%計画的だ。亞璃栖を上目遣いに一瞥した。彼女は無垢な笑顔を返してくれた。畜生、誤魔化されないからな!

 そんな……可愛い……笑顔なんか……には……。


「大勢の方が楽しいよね?」


 それはもう、音と光が出そうなほどとびっきりの笑顔だった。


「うん……そうだね」


 はい。僕の負けです。絶望した。自分に絶望した。


「んじゃ、話が通ったところで、どこいくよ?」


 雷弩がアミューズメントビルの壁に書かれた文字の一覧を見上げていた。


「少し身体を動かさない?」


 美樹。


「うんうん。じゃあボウリングやろうよ」


 麻揶。


「ボーリングは久しぶりッス!」


 佑。


「行こうよ零くん」


 亞璃栖が僕の左腕に絡みついてきた。薄手の布越しに柔らかい感触。

 僕はもう何でもいいやと思った。

 割り切ったら気が楽になって、やっとその光景に気がついた。

 美樹が雷弩に、麻揶が佑とそれぞれ腕を組んでいたのだ。


「気がついた?」


 亞璃栖がさらに密着してくる。

 当たってます。亞璃栖さん。


「今日はトリプルデートなんだから」


 目だけを横に動かすと彼女の顔がくっつきそうなほど近くにあった。


「安心した?」


 彼女の意図は読めないが、とりあえず流れに乗ろうと決意した。

 今は左腕の感触に集中したかった。


 ◆


「しゃあ! ストラック!」


 コーンと小気味良い音で充満していた。反響した音に包まれてなんだか気持ちいい。左手で右の二の腕を叩き、力強くガッツポーズ。金のチェーンが体中で踊る。


「すごい! えらい!」


 美樹が跳ね回る。出るところがしっかり出ている体型の彼女はシンプルなリボンの付いたフェミブラウスに黒っぽいサブリナパンツで締めている。

 ペアごとの点数を合計して、負けたら昼食を奢るというチーム戦になっていた。

 雷弩は一投目こそガーターを出したが、その後三連続ストライクで丸焼きだった。一人で突っ走っている。残りのメンバーのスコアは似たり寄ったりだ。実質佑のチームとの一騎打ちとなっていた。


 そりゃ負けたくない。少しは良いところを見せたい。とは思うものの……。

 美樹が三本四本と倒してチームチェンジ。佑の番だ。


「零にだけは負けないッス! やるッス! 男を見せるッス!」


 僕に名指しで挑戦状を叩きつけてきた。望むところだ。スコアは完全に横並び。たぶんビリ争い。


「負けないよ」


 僕も静かな闘志を燃やす。


「上等ッス! やるッス! 倒すッス!」


 佑は背中に巨大な炎を背負ってレーンに立った。背中に赤い勝利の文字を燃やして投げた球は見事に溝に吸い込まれていく。


「いっ! 今のは……気のせいッス!」

「うわあ……」


 麻揶が半目で佑を睨む。


「のおおおおおおお!」


 佑が両膝を着いて身体を仰け反らし叫んだ。

 続く2投目で8本を倒すも、スペアの取れないボウリングはスコアがまるで伸びない。


「交代交代!」


 楽しげにレーンに出る麻揶。

 デニムのミニスカートにパステルピンクのキャミソール。ポロシャツにジーンズの僕とは大違いだ。

 佑もハーフパンツにノースリーブシャツ。その上に半袖のシャツをボタンを留めずに引っかけている。安全マークの黄色いヘルメットをかぶせたら肉体労働者に見えなくもない。


 改めて考えてみると僕が圧倒的にセンスが無いようだ。もう少し気をつかった方がいいかもしれない。

 カコーン。


「やった! やった!」


 スペアを取って大はしゃぎの麻揶。これは引き離されるかもしれない。僕は気合いを入れ直してレーンに入った。

 もちろん背中に炎を背負って。


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