第17話


「お疲れー」


 ようやく教室の片付けが終わり、机とイスを普段通りに並べ終わった所だ。


「さすがに疲れたッス!」


 巨体を左右に揺らして佑が机の上に腰掛けた。彼の身体だと机がイスに見える。授業中はさぞかし狭苦しい思いをしていることだろう。


「私たちは帰るねー。おつかれー」


 クラスメイトたちが次々に帰宅し、教室には僕を含めて六人が残った。つまり昨日までの七人から一人いなくなった人数だ。


「みんなはどうするの?」


 亞璃栖が全員を見渡す。

 寮に帰る以外の選択肢があるのだろうか?

 一昨日おとといのようにみんなで食事に行こうかという意味かもしれない。


「後夜祭の事ッスか? どうするッスか?」


 佑が全員を見渡す。


「とりあえずのぞいてみっか?」

「そうだね」


 雷弩の返事に亞璃栖が頷く。


「後夜祭?」

「ああ、大したことはやんないよ。体育館で賞の発表と、校庭でキャンプファイアー」

「うちのクラスは賞とってないッスか? 人いっぱい来たッスよ?」

「行けば分かるさ、行ってみよう!」


 美樹が拳を突き上げる。


「んじゃ行ってみるか」


 六人は固まって歩き出した。


 ◆


 熊でも心臓麻痺で殺せそうな強烈な視線を生徒会長が雷弩に突き刺していた。

 直接関係のない僕たちもその余波で凍り付いて動けない。生徒会長は体育館のステージの上にいて、僕たちはその下に立っている。雷弩が一歩前に出ていて、ほぼ垂直に見下ろされている状態だった。


「各クラスの学園祭実行委員は全員出席。私は確かに伝えたはずだが?」


 会長は無表情で余計に恐怖を増大させる。


「あ~そうだっけ?」


 雷弩は明後日の方を向いていた。今にも鼻をほじり出しそうなわざとらしい言い方だった。


「えろ~スンマセンでしたね~」


 両手をズボンのポケットに突っ込んで、上半身をのけぞらせ、会長に猿顔を見せつけた。会長は微動だにしなかった。


「……君たちのクラスは特別賞だ。投票数は四番目だったが演劇部を除いてコメント欄の書き込みがダントツで多かった。生徒会枠から『話題賞』を贈る」


 会長が指をパチンと鳴らした。似合いすぎの動作だった。これで白ランだったら完璧だろう。

 メガネの役員が賞状を持ってきて雷弩にうやうやしく渡す。


「おめでとうございます。とっても怖かったって口コミも凄かったんですよ」

「マジ?!」

「余計な事は言わなくていい。……今からここを片付ける。君たちは早々に出て行きたまえ」


 ご立腹のようだ。僕たちは一礼してそそくさと外に出た。雷弩だけは入口で振り返り舌を突き出していたが。


「生徒会長おっかなかったッス。うちの出し物に置いとけば気絶者続出だったッス」

「気絶させるのが目的になってるじゃないか」


 亞璃栖が笑って答えた。


「……会長だらけのお化け屋敷……」


 美樹がぼそり。


「ぶっ!」

「心霊現象極まれりだな」

「こわーい!」

「気絶するッス」

「僕泣いちゃうかも」


 みんなで腹を抱える。

 夕方の放課後。

 ふと笑い声が途切れる。


 一瞬の沈黙が次の言葉を遮る。一度訪れた沈黙は、嫌でも僕たちに一人の人間の存在を思い起こさせる。

 気分が一気に反転する。たった半日で忘れる事なんて、忘れたふりをし続けるなんて誰も出来ない。沈黙が彼の声に聞こえる。

 しばらく無言で歩いた。

 きっと間の一瞬のおかげで、全員の頭の中に彼が浮いてしまったのだろう。

 校庭へ出ると急に前方が明るくなった。夕日よりなお朱い炎の柱がゆるゆると踊っていた。


「踊ろうぜ……みんなで」


 まるで炎の踊りに魅入られたかのように、雷弩の目に炎が映っていた。


「そうだね。踊ろうか……しょうがない雷弩一緒に踊ってあげる!」


 美樹が雷弩の手を取った。


「行くか!?」


 雷弩がニカリと笑って二人で駆け出す。炎の周りで踊る群れに紛れてどこにいるのかもう分からない。


「おッス、麻揶さん……」

「はいはい、私で良ければお相手するよん」


 佑の差し出す巨大な手を麻揶が取って、やはり二人で走り出す。僕は無言で亞璃栖に首を向けた。もちろん笑顔が返ってくる。

 どちらともなく手をつなぎ、僕たちも翔け出した。


 揺れる炎に合わせて、僕たちは踊った。

 ゆらゆらと。炎のように。

 輪になって囲んでいつしか炎と一体に。


 これこそが祭りだった。

 何種類もの歌と何十の踊りを、自我が溶けて無くなるでどこまでも続けた。


「マイムマイムマイムマイムマイムベッサンソン!」


 声は炎より高く、天に届いていた。きっと星の住民は眠れなかった事だろう。


 ◆


 僕は熱を冷ますため、校庭の隅の段差に腰を下ろしていた。

 火の始末をずっと眺めていたがそれも終わり、もう学校には誰も残っていない。先生たちもいつの間にかいなくなっていた。


 いや、もしかしたらいなくなったのは周りの人々ではなく、僕なのかもしれない。

 僕一人が世界からちょっと外れてしまったのだ。蒼流みたいに。

 きっと僕はもう一生一人なのだ、誰もいなくなったこの世界をいつまでも彷徨さまようのだろう。なぜかそれが当たり前の気がする。

 両目を閉じる。


 深呼吸をすればそんな訳がないと理解できる。なのにこの安心感はなんなのだろう?

 寮に戻って、寝て、起きれば、また明日から当たり前の日常が当たり前に始まるのだ。きっと平凡で退屈で死にたくなるような真っ平らな毎日が。

 ……今の僕には日常すら思い出せない。積み重ねてきた当たり前の日々がないのだ。僕の平凡な日常はいったいどんな姿をしていたのか。そこに雷弩や蒼流や亞璃栖はいたのだろうか?


 目を開けて空を見る。空気が澄んでいるのか、沢山の星が瞬いていた。

 ああ。生きている。

 不思議とそれだけは真実のようだ。


「なにひたってるんだ~。もしかしてナルシストなのかな?」


 斜め後ろから声がした。


「帰ったと思ってた」

「ずっといたよ。気付かなかった?」


 僕は頷いた。彼女は本当にずっといたのだろうか。全く気付かなかった。


「なんで声を掛けてくれなかったの?」

「ん~、気付いてくれるの待ってたから」

「じゃあなんで声を掛けたの?」

「本当に気付かれなかったら悲しいじゃないか」


 彼女が横に来て座る。スカートを手で押さえつける仕草が女性らしかった。


「何を考えてたの?」


 彼女も真っ直ぐ。もう煙も立っていないたき火の燃えカスを見ていた。


「一人ぼっちになる夢を見てた」

「夢?」


 彼女が僕の方を向いた。


「世界から一人ずつ人が消えて、最後に僕一人が取り残されるんだ」


 僕は正面を向いていたが、視線はただ闇を見ているだけだ。


「やっぱりナルシストだったんだ」

「え?」

「だって世界には自分だけいればいいって事でしょ?」

「違う……と思う。怖かったし」


 同時にそれが当たり前のようにも、安らぐようにも感じていたことは黙っていた。

 彼女が立ち上がる。背中を見せたまま言った。


「僕や雷弩、美樹ちゃん、麻揶ちゃん、佑くんが」


 手を腰の後ろで組んで半回転。


「蒼流くんみたいに消えたら悲しい?」


 振り向いた彼女の顔は闇の中でよく見えなかった。僕は頷く。


「とても」


 それだけを口にした。

 そう。

 蒼流の事だって一つも納得していない。蒼流の事を悲しみたいのに、僕の手には真実ってものが欠片も乗っていなかった。

 知るべきだ。

 僕は真実を知るべきなのだ。そしてその答えは目の前の少女が知っている。

 おそらく。

 全てを。


「……亞璃栖……さん」


 人生はいつだって大切な物を得るのと同じだけ大切な物を差し出さなくてはならない。

 僕にその覚悟があるのだろうか?

 両目を閉じてもう一度ゆっくりと自分の深いところで確認する。

 両目を開く。


「教えて欲しいんだ」

「何を?」


 彼女の反応は早かった。

 僕は一瞬呼吸を止める。


「全てを」


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