第16話
実は、演劇の事はかなり楽しみにしていた。
だが、今さっきの会話が脳の大部分を支配していたせいで、劇の内容はまるで頭に入っていない。
観客席が暗いことも、思考への没頭に拍車をかけていた。あそこで僕は聞くべきだったのだろうか。何が答えでどの道が正解で、そもそもどこに向かっていたのか。
果てしない思考の迷宮に迷い疲れ、しだいにまぶたが重くなっていった。
だから、それが夢であることはすぐに分かった。
何もない真っ暗な空間。もちろん体育館なんかじゃない。ただひたすらに真っ暗で、おそらく無限に広がっている。なんとなくわかった。
少し先の空間になにかぼんやりとした光が浮かぶ。縦に細長い柔らかい光だ。それは変形をしていき、膨らみ、一度ひょうたんのような形になったあと、四肢を生やし、人の形になる。
全裸の亞璃栖になった。
僕も全裸だった。
まったくロクでもない夢だなぁ。疲れているのかもしれない。そういえば医者もしばらくは疲れが出やすいと言っていたな。
「殺風景だ」
不思議と彼女の裸体に心が反応することはなかった。薄ぼんやりと光っている身体が作り物っぽかったからだ。
まぁ夢なのだから作り物には間違いない。
どうせ夢なのだから、想像力で花の一輪でも咲かせてみようと思ったのだが、上手くいかなかった。
「君はもうちょっと慌ててくれるかと思ったよ」
亞璃栖がそのくびれた腰に手を当てる。
「からかい甲斐が無いよ」
残った手で軽ろやかにボクを指した。
心のどこかで彼女にこう言ってもらいたいと望んでいるのかと、少しげんなりとする。
「殺風景だ」
「二度言わなくても聞こえてたよ。ベッドでも出そうか?」
「やめてくれ」
夢だと認識した瞬間、身体の感覚が無いことには気がついていた。
夢だと気がついていなかったら、もしかしたら楽しいことがあったかもしれない。
「残念。フラレちゃった」
彼女が一回転する。すると彼女を中心に大きな光の輪が現れた。その輪はどんどん大きくなり、僕と彼女を包み込む。厚みはないが幅のある輪だった。
ぺしゃんこになったドーナツ型と言えばいいだろうか。
光の輪は膝上くらいの高さに落ち着く。彼女がそこに腰掛けた。僕もまねして腰を下ろした。
「何か言いたいことがあるんだろ? 言いなよ」
「あれ? さっきから口調が荒い気がするよ?」
彼女はそこで足を組み、太ももの上に立ち肘して顎を乗せる。
「夢の中でまで丁重に生きたら疲れる」
「そうだね」
彼女は急に優しげな笑顔を作った。
「何か思い出した?」
首をかしげて聞いてくる。
「何も……いや」
今朝の夢の事を思い出す。夢ばかりだ。
夢の中で夢を語るのか。
自分の馬鹿馬鹿しさに笑ってしまう。
「ネオンが見えた。たぶん歓楽街だと思う」
僕も足を組んでみた。
「それだけ?」
「それだけ」
僕の方を見ながら、ふ~んとか言っている。
「逆に聞くけど、僕ってどんな奴だった?」
「しらない」
即答されて、当たり前だと思った。彼女は僕が作り上げた幻想なんだから。
「あ。でも一つだけ君のことで知ってることがあるよ?」
楽しげに指を差してくる。
「知りたい?」
僕は腕を組んだ。知りたいと言うより、聞いてみたいと思ったからだ。
「教えてくれ」
じっと彼女を見る。
「ちょっと偉そうだよ? 君」
そして、ハアとため息。
「ごめんね。時間切れみたい。また機会があったらね。チャオ」
彼女は手を振りながら光の粒子に分解されていく。いくら自分の中に知っている事が無いといっても、今のオチはどうかと思う。しかもチャオだ。自分を納得させる嘘の一つも作れなかったのだろうか?
僕の身体が光の砂に変わって、蛍のように飛び散っていく。夢の時間は終わりのようだ。
演劇を観れば良かったと眠ってしまったことを後悔した。
◆
盛大な拍手が空間を覆っていた。意識がゆっくりと戻ってくる。身体の感覚もちゃんとある。
隣で亞璃栖が涙を流しながら激しく手を叩いていた。よく見ると、他の観客も目が潤んでいるようだった。寝ていたのは僕くらいだったらしい。首を動かすと亞璃栖と目が合った。
「良かった-! 僕感動しちゃったよ! 面白かったね! 零くん……?」
高い位置のカーテンが開けられ、光が差し込む。とっさに僕は目を細めた。
「ごめん。寝てた」
彼女が目を丸くする。
「えええ? それは損だよ! もう一回観る?」
僕は首を横に振った。
「う~ん。そうだね。次は午後みたいだし……ほんともったいないよ」
身体を起こして立ち上がる。
「僕もそう思うよ」
「まあいいや。なにか食べようよ」
亞璃栖は上機嫌だ。そんなに演劇が良かったのだろうか?
適当に相づちを打って外に出る。変わらず強い夏の日差しが世界を照らしていた。手でひさしを作って近くの銀杏の木を見上げる。どこか遠くで蝉が鳴いていた。
さっきの夢。
かなりはっきりと憶えていた。
いつもは霧に霞んで消えてしまう感じなのに。朝の夢だって、もう印象しか残っていない。睡眠時間が短くて憶えているのだろうか?
「ねえねえ。ケバブだって。食べてみようよ」
歩いていた彼女が振り向いた。彼女が一瞬全裸に見えた。首を振って二度頬を叩く。
太陽が
明るい笑顔で楽しげに歩く彼女を見ると、もしかしてさっきの夢と同じように劇の前に見たテラスの彼女も妄想だったのではないかと、そう思えてきた。
「ケバブってなんだっけ?」
僕は首をかしげた。
◆
教室に戻って
「と、とりあえず戻ろう」
受付では美樹と麻揶が必死になっていた。
「どうなってるの? これ?」
亞璃栖が尋ねた。
「亞璃栖! 零くん! ひ~ん! たすけてー」
麻揶が飛び出し亞璃栖にひっしと抱きつく。
「なんかね気絶するほど怖いって口コミで広がっちゃってるみたいなの、朝から凄いんだよ~」
「零!」
教室の出口側から雷弩が出てきた。
「お前もう大丈夫なのか?」
片手をだらしなくズボンのポケットに突っ込んだまま僕の横に来る。
「大丈夫って何が?」
何の事だろう?
「おいおい。朝一番でふらふらどっか行っちまったのはお前だろう……本当に大丈夫か?」
眉をしかめて僕の顔を覗き込んでくる。
近いよ。雷弩。
「全然大丈夫だよ。休んだら落ち着いた」
そういえば数時間前まで僕は情緒不安定だったんだ。
今は普通に戻ってたから、なにか遠い記憶のように感じてしまっていた。
「亞璃栖、こいつどうなのよ?」
雷弩が首を亞璃栖に向けて、親指で僕を差す。
「もうすっかり落ち着いたみたいだよ」
亞璃栖が笑顔で答えたので雷弩も納得したみたいだった。
「じゃあ二人は受付変わってくれ。美樹と麻揶はそのまま飯喰いに行ってくれ」
「雷弩はどうするのさ?」
「二人が戻ったらちゃんと行くさ」
僕は頷いて、受付を変わった。
よく考えたら蒼流がいない分、忙しかったはずだ。急にみんなに申し訳なく思った。せめて今から頑張ろう。
目の前の仕事に集中したら、余計な考えが浮かばずに、気楽に時間は過ぎていった。
学園祭終了の放送が校内を満たした。
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