第14話


「いやー。すげぇ人来たなぁ。驚いたぜ」


 円形の大きな学食は開放されていたので、いつもの七人で集まっていた。テーブルの上には雷弩が屋台を廻ってかき集めて来た余り物が山と積まれている。

 たこ焼き、焼きそば、お好み焼き、ポテトに焼き鳥、エトセトラエトセトラ。まだ明日もあるというのに気前の良いことだ。

 今日は寮の夕食も無いので、丁度良いからと、全員でその(少しグロテスクな)食料の山を突いていた。


「ごめんね、気がついたら手伝ったんだけど」


 麻揶が申し訳なさそうに上目遣いに雷弩を見ている。


「気にすんな、そういうローテだったんだからモーマンタイ!」

「口に物を入れて喋るな」


 蒼流が顔をしかめて、顔をハンカチで拭った。


「明日は俺たちがしっかりやるから、雷弩たちはゆっくり廻ってくるといい」


 黒縁のメガネを丁重に拭って、かけ直す。


「それにしても、最後まで沢山人が並んでたよね。明日また来てくれって追い返したけど」


 美樹がフライドポテトをほおばる。

 学園祭初日終了の放送が流れた後、すぐに美樹、麻揶、蒼流、佑の四人が戻ってきてくれて本当に助かった。蒼流の機転で明日の優先権を配らなかったら、暴動まがいの騒ぎになっていたかもしれない。

 僕はしばらく会話に参加していなかったが、やはりこれが最善だろうと口を開いた。


「明日は僕も手伝うよ」

「大丈夫ッス! 四人でやるッス!」


 佑が小さなお好み焼きを一口で飲み込む。いや、佑の身体と対比しているので小さいと思ったがごく普通の大きさだった。


「うんうん!」


 美樹と麻揶が激しく頷き、蒼流の口の端が少し上がる。


「でも、明日はもっと人が来るかもしれないし……」


 言葉を続けようとしたら、亞璃栖が割って入ってきた。


「じゃあお昼から僕たち手伝うよ。午前は僕も零くんも遊ばせてもらうね」

「そうだな、俺も……」


 亞璃栖が雷弩にビッと指をさす。


「雷弩は昼の二時間だけでいいからね!」

「おいおい、お前たちだけで格好つけんの? 格好つけは俺の専売特許だぜ?」


 わざとらしく手首のチェーンで音を立てた。


「雷弩、お前は今日頑張りすぎだ。明日は大人しく遊んでいろ」


 蒼流がたこ焼きを箸でつまみながらメガネのレンズを光らせた。


「なんか俺だけ仲間はずれ? みたいな?」


 雷弩が猿みたいな表情を作る。


「大丈夫ッス! 雷弩は学園祭を一緒に廻ってくれる女に困って無いッス! うらやましいッス!」


 佑が豪快な笑みを浮かべた。


「俺は女に困ったことがないって、いつも言ってるもんねぇ」


 美樹が持っていた缶ジュースを雷弩の方へ軽く振った。


「しゃーねぇ。明日は四号でも誘ってぶらつくかー。最近亞璃栖は零にべったりだしよー」


 猿顔を僕に向ける。言うべき言葉が見つからなくて、周りのみんなを見たが、ただ肩をすくめられただけだった。亞璃栖はわざとらしく焼きそばの山を箸で突いていた。


 取り留めもなく、意味のない、それでいて心が踊る、そんな会話をひたすらに繰り返し、そのくせどんな会話だったのかなんてこれっぽっちも憶えてない。ただ、妙に楽しい感触だけが僕の中に残っていた。


 紫色に染まる夕焼け雲。

 尋常ではないその美しさ。とっくに水平線の向こうへ沈んだはずの太陽が空気を伝播して地上の低いところに不思議な色を残していた。限りなく赤に近いオレンジに照らされた黒髪の少女の横顔が、何よりも大事なはずの会話の感触よりも、強く脳裏に焼き付いていた。


 今はもう瞬く星に包まれ。

 時計の針がどうしてそんな所を差しているのかわからない。

 楽しい時間は。

 いつだって地球の自転速度で通り過ぎていくのだ。


 今日は早く寝ようと言うことで、帰宅後すぐに各自の部屋に散った。

 狭いが好感の持てる寮の部屋に戻ると、タンスからジャージの下だけを取り出して着替える。薄手のシャツに首を通した所で部屋の扉を叩く音がした。


「零、ちょっといいか?」


 蒼流の声だった。

 なんだろうと思いながら扉を開けると、彼はまだ制服で、手に缶ジュースを二つ持っていた。

 部屋の中に入れると僕にジュースを手渡し、蒼流はベッドの縁に腰を下ろした。


 並んで座るのも変だと思ったので、僕はイスに座った。プルタブを押し上げて一口飲んだ。そのまま蒼流が話し始めるのを僕はじっと待った。彼が口を開くまで五分は掛かっただろう。


「なんていうのか、大したことじゃないんだ……」


 彼にしてはキレがない。どうしたというのだろう?

 彼がまた口を閉じてしまったので少し考えてみる。

 男女の相談とかだろうか。しかし不得手には見えない。いや、むしろ彼には得意分野に感じられる。そんな相談だったら僕が力になれることはないだろう。自分の気持ちすら雲に浮いた状態で棚上げしているというのに。


「相談事なら、僕よりも雷弩の方が適切に答えてくれるんじゃないかな? 僕はほら、記憶も全然無いし」


 自分の中で記憶が無いことはそんなに辛いことではなかった。友人の相談に乗れない事の方がよっぽど辛い。

 そもそもこの頭の良い蒼流の力になれる事柄を想像することすら出来なかった。もちろん僕に出来ることであればなんでも力になるつもりだ。

 だからこそ、最善であると思う雷弩の名前を口にしたのだ。


「……いや、やっぱりいい。悪かった」


 蒼流が立ち上がる。


「僕に出来ることなら遠慮しないでね」

「本当の事を言うと、何をどう伝えて良いのか、俺の中でもまとまっていないんだ。すまない。もう少し整理してみようと思う」


 指でメガネを押し上げる。


「まとまったらまた来る」


 そう言って扉を出ようとした。


「話してみたら? 話しているとまとまるって事あるでしょ?」

「……そうだな」


 彼が振り返って数秒考える。

「じゃあこれを預かってくれ」


 渡されたのはCDだった。

 この部屋に飾ってあるポスターと同じ歌手の音楽CDだった。新譜だろうか?

 蒼流が壁のポスターを見て、口元をゆがめる。


「聴きたければ聴いてくれ」


 僕は頷いた。


「寝るところ悪かった。おやすみ」

「うん。おやすみ、蒼流くん」


 扉が閉じられる。

 しばらくそのまま立っていた。しかし思考すべき事は思いつかなかった。

 明日は今日以上に忙しい。早く寝よう。

 CDを机の上に置いて、ベッドに潜り込んだ。意識は一瞬で闇に落ちた。


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