第13話
一度緊張がほぐれてしまえば後は気楽なもので、想像以上に驚いてくれる来訪者たちに、僕たちも大いに楽しませてもらった。
雷弩が一度スタッフ通路から顔を出してきた。
「一人交代の時間なんだけど、そいつには受付やってもらうから、このまま二人で頼むわ。結構客来てるぜ」
三人で親指を立てる。
この狭い空間に亞璃栖と3時間は閉じこもっていたことになる。
「さすがにちょっと疲れたよ。僕」
「そうだね、少し疲れたかもしれない」
僕は空気入れをピストンさせながら答える。
「亞璃栖さん休んで来なよ。僕は一人で大丈夫。慣れてきたから、一人で出来ると思うんだ」
覗き穴で位置を確認したらすぐにしゃがんでコックをひねれば、一人でもなんとかなりそうだった。
慌てて音を立てないようにだけすれば十分やれる。
「僕はそういう意味で言ったんじゃないよ」
少し語気を荒くして睨んでくる。彼女は真っ直ぐに僕を見下ろしてきた。何を言えばいいのか思いつかなった。
沈黙の時間を壊してくれたのは悲鳴だった。
亞璃栖は無言で覗き穴に顔を戻した。僕も急いで空気圧を上げていく。
「うわあああ……あっ……? おい? おい!」
声の様子が変だった。
「おいっ! 陽子! おいってば! しっかりしろよ!」
明らかに様子がおかしい。僕は急いでスタッフ通路に潜り込んだ。白い手の空間まで戻る。
「どうしたの?」
「よくわかんないけど気絶しちゃったみたいなの」
女子の一人が答えてくれた。
「え?」
僕は手を差し入れるゴム紐の隙間から順路を覗く。確かに女の子がぐったりとしていた。一緒だった男子生徒が女の子に呼びかけていた。
僕はペン型LEDライトを取り出し、隙間からそれを突き出す。
「使ってください。すぐ行きます」
「あ……ああ……陽子! おいってば!」
男はライトを受け取ると、明かりを女の子の顔に当てていた。僕は急いで通路を這い進む。
廊下に出ると、雷弩と男子生徒が先ほどの女の子を両側から支えていた。
「大丈夫!?」
僕が三人の前に出る。
「あの……すいませんでした……もう……平気です」
答えたのは女の子だった。どうやら意識は戻ったらしい。安堵の息が漏れた。
入口横の受付のイスに一度座ってもらう。列になって待っていた人や通りがかりの人が野次馬になって次第に周りを取り囲んでいく。
「大丈夫なのか? 陽子?」
男子が声を掛ける。
「うん。もう平気……でも気を失うなんて始めてかも」
微笑みを返す陽子の顔を見て、周りの全員が安堵の息を吐いた。
「念のため保健室に連れて行こう。亞璃栖」
いつの間にか横に立っていた亞璃栖に雷弩が言う。
「この子に肩を貸してやってくれ。零も念のためついてってやってくれ」
雷弩の指示は素早い。
「わかった。でも仕掛けはどうしよう?」
「ああ、丁度交代してもらおうと思ってたんだ。そのまま二時間休憩してきてくれ」
「雷弩は?」
「お前たちが戻ってきたら、終わりまで休むつもりだ。だから下手に気を遣って速攻で戻ってくんなよ?」
雷弩が僕を指さす。手首の金のチェーンが小さな音を立てた。
「わかった。二時間で戻るね」
「ういさ。いてらー」
そのまま雷弩はざわついていた野次馬に簡単な説明を始める。
「行けそう?」
僕は陽子と呼ばれていた女の子に聞いてみた。
「もう大丈夫です。保健室には行かなくても……」
「だめだよ。とにかく一度行こう。問題が無ければすぐに帰してくれるよ」
亞璃栖が有無を言わせない口調で言った。
「そうだよ陽子。ちゃんと行こう」
連れの言葉に陽子は申し訳なさそうに頷いた。立ち上がると自分の足で歩いていた。足取りもしっかりしていたので、問題無さそうでほっとする。
四人でゆっくりと保健室へ歩いた。
保健医が瞳孔を確認したり熱を測ったりして、問題なしと言ってくれた。陽子と連れの男子が何度も頭を下げた。僕と亞璃栖はお大事にと言い残してそこを離れた。
「それにしても驚いたね。零くん」
教室に戻るでもなく、ただなんとなく無目的に歩きながら彼女の言葉に頷いた。
「びっくりしたよ、でも大事にならなくてよかった」
「そうだね」
二人で軽い笑顔を見合わせる。
「雷弩が二時間戻ってくるなってさ」
僕は肩をすくめた。
「じゃあ二人で少し廻ろうよ。どこに行こう?」
取りあえずパンフレットに目を落とす。一つ気になる名前を見つけた。
「何かあった?」
僕の目が止まったのに気付いたのだろう、彼女が僕のパンフレットを覗き込む。彼女の横顔が近づいて、髪が数本風で流れた。心臓がまた暴れそうになったが、極力平静を保った。
「えっと、ほら。オリジナルの演劇……昨日の演劇部がちょっとだけ気になったんだ」
昨日体育館で少しだけ見た、あの迫力のシーンを思い出す。女性騎士がどうなったのか少しだけ気になった。
「僕もあれ、とっても気になってたんだ! 忘れてたけどさ。……上映時間1時間半もあるんだね。それに今からだと途中になっちゃう」
パンフレットのタイムスケジュールを指で確認しながら残念そうにつぶやいた。
「そうだ!」
彼女が急に声を大きくした。
「明日一緒に観ようよ! 午前の部なら観られるよ! どう?」
もちろん、その真夏の海のような輝かしい笑みを向けられて、断る理由なんて、砂粒ほども見つけられなかった。
◆
結局、たこやきや、やきそばなんかを食べながら校内を見て歩いていたら、戻る時間になっていた。亞璃栖といると時間の流れが普段よりも数倍速い。誰かが彼女といるときだけこっそりと時計の針を早めているのではないだろうか?
心の中で叫んだ所でも、時間は逆流したりはしないので、教室に足を向けた。
階段を上がり、自分たちの教室の階に来たとき、それに気付いた。
「わっ。いっぱい並んでるよ」
彼女に説明されるまでもなく、その長蛇の列は嫌でも目に飛び込んできた。僕と亞璃栖は顔を見合わせてから、足を速めた。
教室の前では雷弩が一人で受付をしていた。
「ただいま雷弩」
雷弩が声に反応して振り返る。
「おお! 良いところに戻って来やがった! 二人で受け付け頼む!」
彼は言い終わる前に立ち上がった。
「雷弩、食事は?」
「無理! んじゃここ頼まぁ!」
彼は即答して、すぐに出口側のスタッフ通路に飛び込んだ。彼の慌てぶりと行列を二度見て、再び僕と亞璃栖が顔を見合わせる。
「なあ、入って良いの?」
受付に座った途端、目の前にいたカップルが声を掛けてきた。大学生らしき派手な格好の男女が肩を抱き合っている。
「お待たせしました。こちらにお名前のご記入をお願いします。中では壁に体重をかけたり、走ったりしないようお願いします」
ノートに記入してもらっている間に亞璃栖が入口を覗いて、タイミングを確認していた。
それからは、何か余計な事を考える暇もなく、ただこの行列を
気がつくと、学園祭初日終了の放送が流れていた。
入りきれなかった人たちに、急いで明日優先で中に入れるチケットを作って帰ってもらった。
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