第10話


 臨時のゴミ捨て場にはそれこそ山のようなゴミが積み上がっていた。


「そうか、大学部のゴミも一緒だから」


 彼女が大学棟を指さした。


「なるほど」


 ぷちぷちシートは探すまでもなく一カ所に大量に積まれていた。僕と亞璃栖でシートを抱える。重さは無いと同じなので持てるだけ持った。

 なんとか教室に戻ると美樹と麻揶が入口の飾り付けをしていた。受付の飾り付けはもう終わっていた。


「おやおや、やっと帰ってきましたよ」

「まったく、そう頻繁に乳繰り合って疲れないのかな?」 

「まあお若いですからね、二人とも。ふぇっふぇっふぇっ」


 二人で顔を見合わせてくぐもった声をハモらせる。


「いいから手伝ってよ」


 亞璃栖が半目で言った。


「へーい」


 美樹と麻揶の返事がハモった。君たちこそ仲が良いと思うよ。

 一瞬もの凄い駄目・・な想像をしてしまって激しく首を振った。ある意味で健全で、もの凄く不健全な想像だった。


 廊下にプチプチシートを置いて出口側を覗いてみる。雷弩と蒼流が作業していた。


「駄目だな。箱がうまく潰れてくれない。これはやめた方がいい」


 蒼流が出口スペースから、暗幕をめくって中を覗いていた。僕に気付いて蒼流が振り返る。


「おかえり。雷弩のアイディアは駄目だった。何か考え直さないと」


 順路の奥から雷弩の「なんだとー!」と言う声が聞こえたが、暗幕のおかげか、ボリュームは小さかった。

 蒼流にプチプチシートを渡す。


「……なるほど。これはいい」


 蒼流の口元がゆるむ。


「数の確保は?」


 口元を引き締めて聞いてきた。


「ゴミ捨て場にまだ沢山あるんだ。今すぐ行けば必要な量は確保できると思うよ」

「じゃあ無くなる前に取ってきた方がいいな。雷弩!」


 呼ぶまでもなく、暗幕をくぐって雷弩が出てきたところだった。


「零と亞璃栖と美樹と麻揶で取りに行ってくれ。軽いんだろ?」


 頷くと雷弩が僕の肩を叩いた。そのまま雷弩は段ボールを撤去し始め、蒼流がそれを受け取り廊下に投げていった。


「行こうか」


 姦しい三人組がばらばらに返事を返してくる。

 雑多な廊下を歩く。三人が前を歩いていた。僕は少しだけ離れた距離で付いていく。距離は数歩だが、なぜかとてつもなく遠くに感じた。


 あれ?


 地平の先まで廊下が続いているような錯覚。走り出しても彼女たちに追いつかない。

 ここはどこだっけ?

 僕は歩いていた。そう。歩いていたんだ。


 いつの間にか色取り取りのネオンの街を歩いていた。

 そうだ。

 僕は歩いている。


 赤や青や緑や黄色の看板に興味はない。より暗い方向へ足を運べばいい。

 世界には僕一人しかいない。手も足も真っ暗だ。何も見えない。

 僕はあたりを見渡す。光が見えた。僕は安堵してその光に向かう。


 全てが白く輝いた。


「そっちじゃないよ零くん!」


 その声に僕の意識が弾けた。

 顔を上げるとあと一歩の所に白い壁があった。圧倒的な質感。見上げるとオーバーハングして見えた。

 心臓がうるさい。

 振り向いて自分の居場所を確認する。


 外の円形の食堂を抜けた場所だった。

 どうやって歩いてきたのか、身体にまるで感覚が残っていない。


「零くんどうしたの? 疲れた?」


 亞璃栖が小走りに近づいてきて僕の額に触れた。


「うーんちょっとだけ熱があるかな?」


 手に神経を集中させて彼女がつぶやく。目の前に彼女の顔。その眼を見てられなくて僕は気付かれないように視線をそらせる。

 ちょうど鎖骨の覗いている箇所で目が止まってしまった。


「どうしたね? お疲れかい?」


 美樹だった。僕は慌てて視線をそちらにやる。


「やっぱり微熱があるみたいだなあ」


 亞璃栖はまるでそこに僕の体温でも書いてあるかのように目線を上にしたまま言った。


「じゃあ零くんは少し休憩してなよ。亞璃栖は一緒にいてあげな」

「うん」

「ご休憩の意味を取り違えて余計に疲れて帰ってこないようにね。にひひ」

「お馬鹿」


 美樹と麻揶が申し合わせたようにいやらしい笑いをハモらせる。相手をすると余計に疲れそうなので、僕は黙っていた。

 二人が手を振って先へ行く。


「とりあえず、座ろうよ」


 お昼を食べたテラスのテーブルに座る。身体は問題ないのだが、少しだけ頭痛がする。少し休ませてもらおう。

 深くイスに座り込んで目をつむった。


「ちょっと待っててね」


 亞璃栖はそう言い残して食堂に消えた。

 一人になると、蝉の声がどこからか聞こえてきた。手でひさしを作って、細目を開ける。

 相変わらずの夏の空が広がっていた。


 さっきのはなんだったんだろう?

 失われた記憶だろうか?

 もっともそれ以外に考えられるものなんてないのだけれど。


「はい。どうぞ」


 テーブルの上にグラスが置かれた。

 沢山の氷のなかに細かな泡が沢山浮いている。赤と白のストライプのストローが刺さっていた。


 グラスも氷も泡もサイダーも、全てが透明なのに、その向こうの亞璃栖の顔はゆがんで人の顔とも判断できない。

 とても不思議だった。


「何度もサボって申し訳ないよ」


 ストローから、刺激の強い冷たい液体を流し込む。喉が冷たく焼けるようだった。


「病み上がりって自分で思っているよりも体力を消耗してるんだよ。無理しちゃ駄目だよ。美樹も麻揶もあんな言い方だけど、零くんのこと気遣ってるんだ」


 亞璃栖がクリームソーダのアイスをすくって口に入れると、とろけるような笑みを浮かべた。

 アイスが好きなのかもしれない。憶えておこう。

 何の為にかは自分でもよく分からなかった。


「それに無理をするとみんなにベッドに縛り付けられちゃうかもよ?」


 またアイスをすくって幸せそうな笑みを増す。


「それは怖いな……うん。お言葉に甘えて少し休ませてもらうよ」


 彼女は何度も頷きながらアイスを口に運ぶ。僕の言葉に頷いているのか、アイスの咀嚼なのか判断はつかなかった。


 僕はさっきのことを話してみるべきか少し考えた。

 一瞬浮かんだネオンの街。亞璃栖は何か知らないだろうか?

 しかし下卑たネオンのイメージが僕の口を開かせるのを躊躇ちゆうちよさせた。知らないと答えられるよりも、もっととんでもない蛇でも出てきてしまったら、僕は自分の立ち位置を完全に失ってしまう。

 どんな事がとんでもない事なのかも自分で分からないのに、ただ不安だけが広がっていく。


「飲まないの?」


 亞璃栖が氷が溶けて量を僅かばかり増やしたサイダーを指さした。

 僕はストローで炭酸を啜った。甘い刺激が僕の身体を覚醒させてくれる。ぼんやりしていた意識は方向性を持って、ようやく落ち着いてきた。


「なんだね二人とも、こういう時は大きなトロピカルジュースを二人で啜るものだよ」


 ケタケタと明るい声が背後から聞こえた。


「美樹さん」


 振り向いた先には美樹がいた。麻揶と二人で巨大な段ボール箱を抱えていた。人間が10人くらい入れそうな大きさで、中にプチプチシートがぎっしりと詰まっていた。


「丁度よい入れ物があったから、一回ですみそうだよ」


 美樹がその巨大な段ボール箱をべちべちと叩く。よく見ると箱には『怪獣着ぐるみ一体』という文字と、その怪獣らしきシルエットが黒単色でプリントされていた。


「たぶん大学生たちが買ったんだろうね」


 麻揶が言う。


「僕、良く知らないんだけど、こういうのって高いんじゃないかな?」


 亞璃栖が箱の怪獣のシルエットをまじまじと見ていた。


「最低で100万円くらいするんじゃなかったっけ?」


 うろ覚えの知識で(当たり前ではあるが)いい加減に答えた。間違っていても問題は無いので、無責任に零してしまった。


「なんだ、中身もあったら良かったのに」


 美樹が舌打ちする。


「コレを買った大学生たちが鬼のような形相で取り戻しに来るだろうね。理由如何問わず」


 僕の言葉に美樹がぷるぷると首を横に振った。


「めんどくさいだけだね」


 その通りだと思う。


「早く行こうよ。体調が良くなったのなら手伝って~」


 自分の身体より大きい段ボールを抱えていた麻揶に気付いて、残ったサイダーを一気に喉に流し込む。麻揶の代わり、僕が段ボールの後ろを持ち上げた。

 亞璃栖も急いで自分の分を飲み干すと僕のグラスを持って食堂に走っていく。


「二人で前を持って」


 美樹と麻揶が段ボールの前方を持って進み始める。空の段ボールを運んでいるような感触だった。

 そういえば、ネオンの街の事を聞きそびれた、と後で気がついた。


 ◆


 教室には雷弩と蒼流と佑の三人しか残っていなかった。


「他の奴は帰した。女子は上がってくれや。後は俺たちでやっとくからよ」


 雷弩の提案に僕は頷いた。時計を見るともう夜の7時を過ぎていた。外が明るくてそんな時間になっていたとは気付かなかった。


「じゃあ始めようか」


 僕の言葉に雷弩がニカリと笑う。


「ねえ、看板作り直さない?」


 少し低い位置から声がした。身長の低い麻揶だった。


「なんでッスか? よいと思うッスよ?」


 出口の仕掛けを手直ししていた佑が、のしのしと廊下に出てきた。


「素晴らしい出来ッス」


 僕も同意見だ。


「私思ったんだけど、お化け屋敷じゃないよね?」


 麻揶の言葉に僕と雷弩と佑が顔を見合わせる。蒼流も出口の暗幕をくぐって廊下に出てきた。


「お化けいないよね?」


 言われてみると、小岩さんとか唐傘おばけとかヌリカベとかそういうお化けは出てこない。あえていえば、白い腕くらいだろう。


「どっちかって言ったら心霊現象よね?」


「確かに……」


 蒼流が片手を組んで、残りの手でメガネを押し上げる。


「だから心霊の館って描き直した方がいいと思うんだ」


 男子四人が顔を見合わせる。女子三人は軽く視線を交わしただけだ。


「じゃあ入口には黄泉の入口って書こうよ。前口上とシンクロしてると思うんだ」


 亞璃栖が嬉しそうに入口を指さす。それをみて美樹が指をパチンと鳴らした。


「じゃあ出口には現世の扉かな?」

「そうそう!」


 女子三人が手をつないで輪になり、ぴょんぴょんと跳ね回る。


「じゃあ今すぐ始めないと明日に間に合わないね!」

「うんうん!」

「壁いっぱいに黒塗りの段ボールを立てて、白抜き文字で看板作ったら目立つと思うんだあ!」

「いいねいいね!」

「麻揶天才っ!」


 勝手に盛り上がる三人組を見て、蒼流が肩をすくめた。


「そっちは彼女らに任せて、俺たちは最後の仕掛けをしっかり作ろう。順路の段ボール張りも残ってる」


 蒼流の表情は楽しげだった。


「……そうだな。んじゃ任すわ」


 雷弩もニカリと笑った。男子四人で最後の仕掛けを作るために、中に潜り込もうとすると、後ろから肩を掴まれた。


「君はこっち」


 美樹がノートとボールペンを差し出した。


「例の前口上を文面にしたまえ。より恐ろしくね」


 美樹のウインクに背筋が伸びた。


 結局作業は深夜にまで及んだ。

 下校時間なんてとっくの昔。たぶん桃太郎がまだドンブラコしていたくらい昔だ。しかし教師たちも見て見ぬフリ。そういうことなのだろう。

 校内のあちこちに人が残って作業しているようだ。特に部活動の人間たちはかなりの数が校内に残っているようだった。


 手分けして看板を作り、落とし穴の仕掛けを完成させ、順路にも黒塗り段ボールを敷き詰め、視界を悪くする飾り付け、さらに人員の配置や役割ごとの簡単なマニュアルも作成した。



「終わった……かな?」

 僕はノートを片手につぶやいた。いつの間にか僕が進行役になっていた。ノートに書き込んだ進行表のほぼ全てに○印がついた所だった。結局マニュアル作りを含めてほとんど執筆作業と指示出しと、作業工程のチェックで、ずっと座っていた。

 もしかしたらみんなが体調を気遣ってくれたのかもしれない。

 どすんと佑がしゃがみ込んだ。


「いやー。疲れたッス。腹減ったッス!」


 廊下に直に座っていると、動物園の白クマみたいに見えるから不思議だった。


「ファミレスでも行くか」


 雷弩がスタッフ用通路から窮屈そうに出てきた。机の下のスペースに無理矢理作った通路だからとにかく狭いのだ。


「おごり? ねえおごり?」


 麻揶が雷弩の腕に自分の腕を絡めた。身長差のせいか兄妹にも見える。


「え? おごり? おごり?」


 今度は美樹が反対側の腕に絡みつく。

 ……うらやましくなんかないぞ。


「亞璃栖になら喜んでおごっちゃうよん? お礼はデートっちゅーことで……」


 雷弩は二人から腕を引き抜いて亞璃栖に手を差し出す。その手をパチンと彼女に叩かれた。美樹と麻揶が雷弩に舌を突き出している。


「遠慮しておくよ。僕だけ奢ってもらうなんてごめんだよ。でもみんなで食事に行くのは大賛成さ!」


 亞璃栖がくるりと回って微笑んだ。


「この時間だと、ファミレス・ドライアードだな」


 いつの間に現れたのか、蒼流は廊下の壁に寄りかかり、黒縁のメガネを指で押し上げた。


「ゆくぞー! ついてこい皆のもの!」


 美樹が廊下の先を指さして前進。

 全員が「おー!」とときの声を上げ14の足がばらばらと音を立て、廊下の先へ消えていった。


 もちろん。

 たとえ記憶が戻らなくとも。

 この時間は永遠に続くのだと。

 僕は疑わなかった。


 そんな。


 幻想を確かにその時信じていたのだ。


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