第9話


 体育館を少し離れた木陰で僕は二人に頭を下げた。


「ごめん。僕のミスだ」


 雷弩と亞璃栖が顔を見合わせる。


「おいおい、貸してくれないのはあのスカしたパツキン野郎がケチなだけだろ、お前が悪りぃなんて思ってねぇぜ?」


 雷弩は顎を突き出し複雑な表情をしていた。


「大き過ぎるんだ」

「は?」


 僕の言葉に雷弩が間抜けな顔をする。


「あのエアマットの大きさだよ。教室の半分が埋まる大きさだったんだ」


 考えてみれば一言でエアーマットといっても、色々な大きさや形があるのだ。あれはおそらく棒高跳びに使うエアーマットだ。あんなものを借りても逆に困る。


「どんなエアーマットを借りたいのか生徒会室でちゃんと言わなかった僕が悪かったんだ。本当にごめん」


 もう一度頭を下げた。


「別にでかい分にはいいじゃん。そうだ! いっそ落とし穴は外の窓にしようぜ! たまげるだろ!」

「たまげすぎだよ! 危なすぎるし本当に死者が出るよ!」


 教室の普通のお化け屋敷を歩いていたら、いきなり青空と地平線の見える空中に飛び出したらどうだろう。おそらくマットに身体がめり込んだ後、自分に何があったのか理解して気絶するかな。下手したら心臓麻痺で死ぬかもしれない。

 その時生徒会長の言葉を思い出した。


『エアマットを使わなければならないお化け屋敷なんてものはもっとごめんだ』


 あれは嫌みでも皮肉でもなく、本気で言っていたのかもしれない。もちろんエアマットを借りられないことを見越しての言葉ではあるだろうが。

 その切れ味に背筋が凍り付きそうだ。あの人は敵に回してはいけない。本能の部分がそう囁いていた。


「んで、どうする? このまま戻ってもしょうがねぇぜ?」

「うん……」

「なんか別のもんで代用できねぇか?」


 僕は唇に拳を当てて考える。


「そうだね……体育用のマットより弾力があって、人が一人沈めるほどの厚みがあり、かつ机の幅くらいに収まる物……」

「そうやって条件だけ聞くとよ、すげぇご都合ばっかり言ってるよな」


 雷弩が口をへの字に曲げる。彼の言う通りだった。そんなご都合主義なマットなんて存在していないだろう。


「それでも何か考えないとね」


 亞璃栖が明るく言った。確かに、出来ませんでしたでやめるのは違う気がする。もっとよく考えてみよう。三人銀杏の木の下で唸りながら悩む。


「そうだ!」


 雷弩が顔を上げた。


「段ボールを重ねたらどうだ? 机一個分の高さに積めばいけそうじゃね?」


 そのアイディアは僕の中で一度没になったアイディアだった。


「うーん。ちょっと弾力が足りない気がするんだよね」


 段ボールの束の上に乗っても、むしろびくともしない気がする。


「試してみるわ!」


 雷弩が立ち上がる。


「亞璃栖さんも一緒に行ってあげて。僕はもう少し考えてみたいんだ」

「んにゃ、それなら亞璃栖は残れ。零と二人でもうちょっと考えてくれよ。何も思い浮かばなかったら30分くらいで戻ってこい」

「わかった」


 僕と亞璃栖が頷く。


「んじゃお先!」


 コンパスの長い雷弩が走ると、あっという間に校舎に消えてしまう。


「ねえ零くん。段ボールで上手くいくかな?」

「難しいと思うんだ。ただ積むだけでは意味は無いと思うし、段ボールを箱にして並べる事も考えたんだけど、やっぱり弾力と安全性がね」


 亞璃栖が木の根元に座り込み、僕を見上げた。そしてすぐ横の地面を指さす。そこに座れという意味だろう。

 彼女と1cmほど幅を開けて隣に腰を下ろした。


 正面先に体育館の入口が見える。

 先ほどの頼りにならない門番と目が合った。彼は慌てて下を向いた。

 別に睨んだ訳ではないんだけど……。


「布を縫い合わせて中に空気を入れるとかは?」


 彼女が指を立ててこちらを向いた。焦点が合わないほど近い。ごまかすように僕は言う。


「ちょっと強度が不安かな、それなら布を敷き詰める方が良いと思う」

「そうかー」


 ちょっと残念そうだった。


「じゃあ布を集めようか」

「かなりの量が必要になると思うよ。他に良い案が出なければ、集めてみようか」

「そうだね」


 彼女が笑顔を浮かべた。

 何か、アイディアが喉元まで出かかっている感触がある。

 だから他の意見を聞いてもピンとこない。布を集めるアイディアはかなり良いと思う。

 そうだ。段ボールと組み合わせたら、かなり使える気がする。十分実行可能だと思う。なのだけれど……。


「何か思いつきそうなの?」


 笑顔のまま声を掛けてくれた。少し驚いて彼女を見る。そんなそぶりをしていただろうか?


「なにか……うん……そう」


 言葉に出来ない、何かとても良い物を忘れてしまっているような、記憶が思い出せないのとは違うもどかしさ。

 あとちょっとでポロッと口からこぼれそうな感覚のせいで、他のアイディアが耳に入っていない。頭をぐるぐると回す。


「う~ん」

「彼は演劇には出ないのかな?」


 亞璃栖の視線の先に、体育館の入口で座り込み下を向いてなにやら手を動かしている例の枯れ葉のような男性がいた。


「何してるんだろう?」


 彼女の質問はもっともだ。彼はせわしなく手と指が動いているがゲーム機を持っている様子でもない。何か持っているようではあるが、ここからでは遠くてよく分からない。とにかく彼が熱中しているのは確かだ。


「ノミでもつぶしてるのかな?」


 僕は適当に答えた。実際どうでもよかったからだ。


「猫でもいるのかな? ……あっ」


 亞璃栖が嬉しそうに微笑む。


「そっか。あれか」


 僕は答えなんてどうでも良かったのだが、彼女のその笑顔に釣られてつい聞いてしまった。


「なに?」


 彼女は白い歯を見せて笑う。


「知りたい?」


 いたずらな視線に僕は頷いた。


「ぷちぷち」


 彼女が胸を張って答えた。言葉の意味より、突き出された膨らみの方が気になった。


「ほら、ぷちぷちだよ、ぷちぷち。引っ越しの時にいろんな物包むでしょ? 指でぷちぷち潰す半透明のシートだよ」


 亞璃栖が両手を出して親指を細かく動かす。その姿勢のおかげで気になっていた部分が隠され、止まりかけていた思考が戻る。


「ああ、あれ」

「そう、あれ。僕さ、あれ始めると止まらないんだよね。友だちであれをロールで買った人がいるんだよ。凄いよね。時々もらうんだ」


 あははと彼女は笑った。


「それだよ!」


 僕は叫んで立ち上がった。亞璃栖が目を点にする。僕は門番の所に走り寄った。


「なっ! なんだよ! もう中には入れないぞ! 怒られるんだからな!」


 怯えながら言っても、説得力がないと思う。彼の持っていたぷちぷちのシートをひょいと取り上げた。


「なっ! なんだよ! あげないぞ!」


 僕の手からひったくって取り戻す。


「欲しかったらゴミ捨て場行けよ! いっぱいあるから!」


 彼は大事そうにそれを背中に隠した。そんなに守るほどのものだろうか?


「ありがとう。助かりました」


 僕はとびきりの笑顔を向けた。


「ゴミ捨て場はこっちだよ!」


 すでに走り出してる亞璃栖が手招きしていた。僕が走り出すと、彼女も振り向いて走り出す。

 ひるがえった短いスカートに心臓が一度ジャンプした。


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