第7話


 僕たちが戻ると案の定、美樹と麻揶が突っかかってきた。


「おーおー。姫と王子のご帰還ですぞ?」


 超が付くほどわざとらしく美樹が肩をすくめた。


「まあまあ、きっとお二人は私たちの遙か先、大人の階段を昇ってしまったのですよ。マッハで」


 今度は麻揶が、これも超が付くほどわざとらしくおどけて言った。


「その階段を昇ったにしては早すぎませんか? 麻揶さん」

「きっと交通事故のように一瞬だったのですよ。まさに昇天」


 美樹がひっくり返ってゲタゲタと腹を抱えて笑い転げた。

 麻揶も前のめりに廊下に倒れ込み、肘をついてダンダンと床を叩いていた。下品な上に笑いすぎだと思った。

 亞璃栖が二人に何かを言いかけてやめる。何となく何を言おうとしたのかは予想が付いた。そしてそれを言わないことを賢明だと思った。


「ほっとこう。零くん」


 僕は頷いた。

 美樹と麻揶の笑いがピタリと止まり、二人が顔を見合わせる。妙にまじめな顔だ。何かあったのかと思ったが、二人の顔の筋肉はみるみると緩んでいき、再び二人は激しく笑い出した。

 止める気も無いらしい。僕は天井を見てから、雷弩を捜した。すでに順路の骨格は出来上がっており、教室の中は真っ暗で、入口の空間以外なにも見渡せなかった。


「雷弩は奥かな?」


 順路に首を突っ込んでみるが、黒塗りの段ボールで出来た細い順路がカーブしており、先は全く見えない。もちろん真っ暗だ。


「どこかをバラしてるって言ってたよね」


 僕は亞璃栖に聞いてみた。笑い転げている二人に聞くつもりは毛頭無かった。


「そう言ってたと思うよ」

「探してくる」


 僕が順路に踏み込むと、亞璃栖も階段を上がって僕についてきた。


「狭いね」

「雷弩の要望で二人がくっついてギリギリ通れる幅に作ったからね」

「こんな風に?」


 彼女が僕の腕に両腕を絡めてきた。


「これなら並んで通れるね。行こうか。零くん」


 順路の奥に彼女が僕を押し込んでいく。


(当たってるんです! 当たってるんです! あの! 柔らかいものがもの凄く当たってるんです!)


 僕は心の中で悲鳴に近い叫びを上げた。

 押されるままに順路を進みながら僕は思った。彼女は着やせするタイプなんだと。


 そんな事で頭がいっぱいになっていたせいで、僕はそれ・・に特大の悲鳴をあげてしまったのだ。


「ぎゃお?」


 腕、腕、腕!

 真っ白な腕!


 暗闇に浮かび上がる無数の腕!


 それは順路の真ん中地点、僕が考えた仕掛けだった。

 真っ黒な左右の壁から真っ白い腕が同時にズバッと何本も飛び出してきたのだ。

 耳元で亞璃栖も悲鳴を上げていた。

 絡みついた腕が真下に引っ張られる。それに釣られて僕も尻餅をついてしまった。

 もしかしたら、彼女に引っ張られなくてもへたり込んでいたかもしれない。それくらい不意打ちだった。


「なるほど。こりゃすげぇわ」


 奥から雷弩の首がやってくる。手に持った懐中電灯を首の下から照らしていたのだ。いつの間にか黒いシャツに着替えていた。

 壁から突き出ている手の指が、わきわきと動いている。怖い。

 壁に作られたゴム紐の隙間からクラスメイトのニヤニヤした顔が見えた。もちろん笑い声も漏れ聞こえる。


「び……びっくりしたじゃないか!」


 亞璃栖が怒鳴った。ちょっとだけ涙目だった。


「すんごい悲鳴だったねぇ」


 美樹と麻揶が、僕たちの来た順路から現れる。それを見て僕はピンと来た。


「あっ」


 そう言うことか……。

 僕は半目で二人を睨む。


「え? な、なに?」


 亞璃栖が僕の表情の変化に気付いたようだ。


「美樹さん、麻揶さん。さっきの二人の馬鹿笑い……合図だったんだね?」


 僕は眉をひそめた。やられたと思ったからだ。


「ああ!」


 亞璃栖も気がついたらしく声を上げて、美樹と麻揶を恨めしそうに睨み付けた。


「これだけ見ても結構こえーな」


 雷弩は白く塗られた無数の腕に懐中電灯の光を当てる。僕はため息をついてから言った。


「当日は顔を黒く塗るか、黒い布でも被った方がいいね。隙間から割と見えるから」


 ニヤけた表情を向けてくるクラスメイトを一瞥した。


「ありゃ、確かに結構目立つなぁ」


 隙間を覗き込むと、白いワイシャツがかなり目立った。


「明日は黒い服を持参してもらおう。それより効果抜群じゃねーのよ。身をもって証明してくれてありがとよ! 亞璃栖! 零!」

「……どういたしまして」


 半目で雷弩を睨み付けることぐらいしか出来なかった。

 雷弩が手を差し出してきたのでそれを掴んで立ち上がる。亞璃栖も引っ張り上げる。


 そして三人顔を見合わせて吹き出した。


 雷弩の話によると作業が難航しているのは順路最後に設置する落とし穴だった。

 このお化け屋敷の仕掛けは三つしかない。

 最初の白い腕、次に圧縮空気を吹き出す場所、最後に落とし穴だ。


 最初の待機室を仕掛けとしても四つしか無いわけだ。落とし穴はそのまま出口につながるので、順路を進まずに出口から入っていれば、こんな子供だましに引っかからなかったのに。と思いながらも、腕に残る柔らかい感触が忘れられない。

 出口の所へ行き雷弩が声をかける。


「どうよ?」


 机で作られた床に長方形の穴が空いている。そこだけ机が外されているのだ。その中央に腕を組んで蒼流が立っている。


「悩み中」


 仕掛けから目を逸らさずに蒼流が答えた。体育で使うマットが一枚その穴の中に上向きのコの字に折り曲げられ置かれていた。


「初めの予定では縦長の板を二枚渡して、上に人が乗ったら、下向きに観音開きに開いて乗っていた人間を落とす予定だった……」


 蒼流が机の下に潜り込んで、二枚の板をパカパカと開け閉めする。


「問題がある。1つは強度。縦長の板を縦開きだからな……、一度閉めるから雷弩、乗ってみてくれ」

「おういえ」


 二枚の板が閉じられて「いいぞ」と蒼流の声がする。

 雷弩がその上に乗るとぎしっ、みしっと嫌な音を立てた。


「うへっ……これ壊れるように・・・・・・出来てるなぁ」


 雷弩が数歩下がって僕たちのいる机の上に戻ってくる。壊れるように出来ているんじゃなくて、壊れるかもしれないだろう。

 蒼流が開いた板の間から出てきて立ち上がる。


「次が距離の問題だ。安全に板から落とすには端では困る。しかし真ん中まで歩かせると、今度は正面の壁に頭をぶつける可能性がある」


 蒼流が正面の壁にしてある机を触る。

 黒塗りの段ボールは張り付いているが、クッションの代わりにはならないだろう。たしかにちょっと危ないと思う。


「最後は、このやり方だと常に男手が四人は必要になると思う。タイミングの合わせ方も問題だ。二日間も落とし穴専属のメンバーをここに拘束するわけにはいかないだろ?」


 メガネを指で押し上げながら雷弩を見た。

 雷弩は無言で頷く。

 蒼流はそのまま腕を組み、最初と同じポーズになった。


「うーん。別の仕掛けに変えるか? なんかアイディア浮かばねぇ?」


 蒼流は首を横に振った。おそらく最初に言った「考え中」なのだろう。

 僕は唇に拳を当てる。意識しての動作ではない。


 思考が回転し始める。

 ベルトコンベアに乗った沢山のネタ。


 トロ、いくら、赤貝、あなご、いか、サーモン……短い直線、強度、正面の壁、高さ、観音開きの板が二枚……。

 100円の皿の上にはお化け屋敷のゴール地点の材料が乗って流れていた。ベルトコンベアの速さはどんどんと増していく。


「床、段ボール、暗幕、落ちる、くぐる……」


 僕のつぶやく声に雷弩が気付いた。


「お? 何かアイディアでそうじゃん?」


 期待して僕の顔を見る。


「正面の……かべ……積んである机は取っ払って……左右の積んである机に棒を渡し……そこに暗幕を釣れば……壁の問題は解決すると思う。元々この壁まで歩ける訳じゃないから……」


 僕はまだまとまりきっていない考えを口に出していく。

 喋りながら案がまとまる事っていうのは少なくないからだ。

 蒼流が「なるほど」と頷いた。


「二枚の板は……危ないから外して……黒塗りの段ボールを穴の上に置こう」


 僕はマットを畳んで机と同じ高さにする。そのうえに黒い段ボールを一枚置くと、机と同じ高さの床に見える。


「雷弩、その段ボール踏み込んでみて。マットがそれしかないから、気をつけてね」


「わかった」


 雷弩はゆっくりと足を出して段ボールの上に体重をかけていく。マットが沈み込み、雷弩の身体はゆっくりと降下していった。


「このマットだと堅すぎるからもっと柔らかい……そう、エアマットが使えればそれが一番いいんだけど、とにかくマットそのものの高さを順路と同じ高さにするんだ……雷弩、そこに倒れ込んだ姿勢で寝転んでみて」


 蒼流はマットを広げて、その上にうつぶせに倒れる。


「僕の頭の机の部分が暗幕になるから、出口側からこれをめくって、中の人にこうやって手を出して引っ張り出してあげるんだ」


 手を差し出すと雷弩がそれを掴んだ。

 今は机のトンネルになっているので、出口まで引っ張り出すことは出来ないが、見ていた人には意味が通じたらしい。


「おお」


 感嘆の声がそこら中から聞こえる。手空きの人が集まって、机の隙間などから見ていたようだ。

 僕は急に気恥ずかしくなった。

 蒼流が腕を組んだまま僕に視線を移し、口元を緩める。


「なるほど」


 妙に楽しげだった。

 パンッ! 雷弩が手を叩く。


「いいじゃねぇの! コレでいこうぜ! 蒼流! 机の手直し頼むわ」


 蒼流がメガネを押し上げて不適な笑みを浮かべた。十分返事になっているから凄い。


「ねえねえ」


 一部始終を見ていた亞璃栖が顔を出した。


「ここだけ床が段ボールに変わっちゃったらすぐに分かっちゃうんじゃない?」

「そんなもん、順路全部に段ボール敷き詰めるしかねぇだろ。黒塗り段ボールもっと作って、皺だらけにして敷き詰めてくぜ。佑頼んだ」

「了解ッス」


 出口の外から覗いていた、熊みたいな体格の佑が答えた。


「段ボール集めて来るッス」


 そのままのしのしと、佑はどこかへ行ってしまった。


「零は俺と一緒にエアマットを借りに行くぞ」

「僕も行くよ」


 雷弩の言葉に亞璃栖が続く。


「OK、んじゃ、あとみんなよろしく、蒼流頼んだぜ」

「任されよう」


 蒼流がメガネを押し上げる。

 どこまで狙って作っているポーズか分からないが、彼がやると不思議と嫌みがない。同じ男として悔しい気がする。


 雷弩が教室を出たので僕も亞璃栖も付いて出た。

 長い廊下は戦場のように騒がしかった。


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