第二章

第5話

■■■■■ 第二章 ■■■■■


 何か夢を見たような気がする。


 朝起きると、頭痛も治まり、スッキリとしていた。

 すぐに頭がフル回転し、昨夜の事を思い出す。

 ゲームの事は考えないことにした。そんなに重要な事とは思えないし、記憶が戻れば、全て解決するだろう。

 それよりも学園祭の事をもっと考える方がいい。改善の余地はまだあると思う。せっかく参加するのだから、僕もみんなの役に立ちたい。


 お化け屋敷のレイアウトを頭に描く。

 頭の中に電球が灯った。あとで雷弩に相談してみよう。


 制服のまま寝てしまったことを思い出し、慌てて予備の服を取り出す。

 着ていた服はカゴに入れて廊下に出しておく。そうすると夜までに洗濯をして戻しておいてくれるらしい。廊下に出ると、いくつも似たようなカゴが並んでいた。僕は安心して階段を下っていった。


 食堂に行くと雷弩と蒼流と佑、さらにクラスメイト達が集まっていた。僕はカウンターで朝食を受け取り、その一角へ近づく。


「おいっす、零」


 雷弩があくび混じりの挨拶をかけてきた。


「んじゃ俺たち先いくわん」


 名前の思い出せないクラスメイト数名が、空の食器を持って立ち上がる。

 彼らが手を振ってきたので軽く振り返した。その空いた席に座ることにした。


「体調はどうだ?」


 蒼流がメガネを指で押し上げて聞いてくる。


「寝たら気分は爽快だよ。記憶の方は何も思い出せないけど」


 僕は意識して笑顔になった。


「そうか」


 蒼流の端正な口元がゆるむ。


「ありがとう、蒼流くん」


 蒼流はヤカンから生ぬるい麦茶を注いでくれた。


 ◆


 寮を出ると黒いポニーテールが揺れていた。亞璃栖だった。


「おはよう」


 今日は瞳の中に青空が浮いていた。昨日遠くに見えた海と同じだ。まぶしくてとても見ていられない。

 僕は視線をそらしながら「おはよう」と返した。


「昨日は眠れた?」


 歩き始めた僕たちの一団。亞璃栖は僕の横に並んで歩いた。


「うん」


 彼女を真っ直ぐに見ないように注意して答えた。


「無理しちゃダメだよ? 少しでも体調がおかしかったらすぐに言ってね?」


 彼女が横から僕を覗き込む。顔色を見ているのかもしれない。僕は頷いて早足になる。


「ねえ雷弩」


 僕は三歩先いく雷弩に声をかけた。彼女の視線に耐えられなくなったのだ。

 どうしてこんなに僕は恥ずかしがっているのだろう。本質を外した質問を自分に課す。

 もっとも意図して分からないフリをしているのだから、答えが出るはずも無かったが。


「なんだい? 朝っぱらラブラブの零さんよ」


 雷弩が下唇を突き出して振り返った。


「お邪魔なら離れて歩きましょっかい? 零さん」


 身体を大きく曲げて真下から見下ろ・・・される。彼の頭頂部はアスファルトに擦れそうだった。


「青春ッスね!」


 たれ目の熊そっくりの佑が大声を出す。同じ道を行く他の生徒たちの視線が集まった。


「朝から見せつけられる身にもなって欲しいね」


 蒼流も振り向いた。口元が緩んでいる。明らかにからかわれていた。


「うわー。最低だよ君たち」


 亞璃栖は片手を腰に、片目をつむり、わざとらしく三人を指さした。

 意図的にオーバーにやっていると思う。


 ぱっと彼女が僕を向く。

 近距離に彼女の顔が来て、硬直してしまう。


「こんなお馬鹿たちはほっといて先に行こうよ!」


 視界が前方に飛んだ。手を引っ張られているのだと、一瞬後に気がついた。

 僕は引かれるがまま、俊足の彼女に引っ張られていった。

 きっと僕の顔は赤かったに違いない。


 ◆


 教室は机が積み上がっていたので、クラスメイトたちはみんな廊下にたむろしていた。

 学校中どこも似たようなもので校内は騒然としていた。


「おはよー亞璃栖」

「おはよう美樹ちゃん」

「はよー」

「おはよう麻揶ちゃん」


 亞璃栖が、先に教室に来ていた美樹と麻揶を見つけハイタッチを交わす。二人が僕にもあいさつしてきたので「おはよう」と返した。


「おお亞璃栖だけではもの足りず、美樹と麻揶にも触手を伸ばしておりますぞ?」


 雷弩だった。


「そんな浮気者は忘れて俺の胸に飛び込んでおいで! マイハニー!」  


 大きく腕を広げるが、その胸に飛び込んだのは「お馬鹿」の冷たい一言だけだった。

 昨日の七人で一塊になって廊下で雑談が始まる。もしかしたら元々この七人はいつもつるんでいる仲間だったのかもしれない。

 相づちを打ちながら、僕はどこかもどかしく感じていた。

 雷弩の事も亞璃栖の事もみんなの事も早く思い出したい。

 僕たちがどんな関係だったのか、僕の立ち位置はどこだったのか、あの瞳がいつも誰を見ていたのか、それを考えてしまう。


 根岸先生は出席だけ取ると、後はまかせると言って、さっさと引き上げてしまった。放任主義なのかもしれない。

 雷弩が号令をかけると、半数以上のクラスメイトは「部活の準備があるから」と、そそくさと消えてしまった。

 頭を抱えて大声でのたうち回る雷弩を横目に蒼流に聞いてみた。


「みんなサボり?」

「いや、部活にいったんだろう。どの部も賞金狙いで気合いが入っているからな」

「学校の行事なのに賞金がでるの?」


 亞璃栖がそんなことを言っていたが、やっぱり学校で賞金というのはどうもピンとこない。


「ああ。私立の強みなのかもしないが、学園祭を盛り上げたいんだろうな」

「そうなんだ」


 蒼流は壁に寄りかかって、メガネを指で押し上げる。妙にさまになっていた。


「うちの学校は部活動に力を入れてるし先輩が手伝えと言えば逆らえないだろ。しょうがないさ。残った人数で精々クラス賞でも狙うさ」


 いったい、いくつの賞があるのだろう? 僕の表情に気付いて蒼流が口元を緩ませる。


「優秀賞ってのが一番上の賞で全体投票から選ばれる。大抵は部が選ばれるな。気合いの入れ方が違いすぎる。部費としてプールされるから、弱小文化系まで下克上で必死さ。最有力候補は演劇部だ」


 蒼流の察しの良さに僕は脱帽する。


「それと教師賞と生徒会賞。時々特別賞が出るが……」


 蒼流は廊下に残ったメンバーを見渡して楽しげに言った。


「まあ無理だろうな」 


 そして彼は僕の肩を軽く叩く。


「でもまあ、やるなら気合い入れてかないとな」


 そう言って片手をあげて教室に入っていく。どうも彼には独特の雰囲気があるようだ。

 僕も取りあえず昨日の続きをしようと、廊下に積んであった黒塗りの段ボールが乾いているか確認する。


「おう零、お前にやって欲しいことがあるんだけど」


 雷弩が横に来る。


「入口を作ってくれよ、任せるからよ」


 教室の右の出入口を親指で指さす。


「あ、ちょうど入口の事でアイディアがあったんだ」

「お?」


 別の所へ行きかけていた雷弩がそのまま身体を一周させた。


「なんだよ先生。なんか昨日みたいなすげぇアイディアがあるん?」

「良いかどうかはわからないんだけど……取りあえずこんな感じなんだ」


 僕は雷弩に細かく説明する。


「いい! それめちゃいいぜお! 西郷先生!」


 なんで西郷……?


「美樹! 麻揶! 亞璃栖! 零を手伝ってやってくれ! 他の奴は順路作りに入ってくれ! 仕掛け作りは蒼流が音頭取ってくれ!」


 蒼流が軽く頷く。

 他の残ったみんなも手を挙げてのろのろと立ち上がった。でもあまり嫌々という雰囲気はない。雷弩の指示通り動き出す。


「何をするの?」


 麻揶は小柄で、僕よりも頭が一つ分以上背が低かった。

 濃い金髪で肩くらいの長さ、ふわっと浮いたような髪質で、もしかしたらパーマをかけているのかもしれない。なんとなくシュークリームを連想させた。


「この入口に待機スペースを作るんだ」


 亞璃栖と美樹も横に来て、女子三人が首をかしげる。


「えっと、麻揶さん美樹さんこっちに」


 教室のドアの前に二人を立たせて、僕だけ教室に入って扉を閉めた。

 教室の中で扉に振り向く。一度深呼吸をしてから思いっきりうつむいて、意図的に上目遣いを作って、ゆっくりと扉を開いた。


「ようこそ……常世とこよから隔離されし……黄泉よみの入口へ……」


 口元に下品な笑みを浮かべる。姿勢を低くするため、顔はほとんど横を向いていたと思う。


「ちょっと……びっくりした」


 麻揶が美樹の腕にしがみつく。美樹がケタケタと笑った。

 僕が教室の中へ手を差出し、二人に中へ入れと無言で示す。二人が教室の入口に踏み込んだところで、後ろ手に扉を閉めた。

 入口は机が取り外されていて、床の見える小さな空間になっていた。敷き詰めた机の上に順路が作られるので、階段を設置するためのスペースだ。


「ここでしばらくお待ちください……なあに、焦らずとも人間ならば一度は必ず行くところ……もっとも、引き返すのならば、今のうち……くっくっくっ」


 僕は姿勢を思いっきり低くして見上げるように語った。我ながらわざとらしいと思うが、不思議と恥ずかしいという気持ちは沸かなかった。

 麻揶が僕の低い笑い声に身体をびくりと震わせる。


「あははははは! 零は大根だね!」


 美樹が僕を指さして腹を抱えていた。僕は肩をすくめた。


「このスペースに暗い小さな部屋を作るんだ。今みたいに誘い入れてここで待機させる。順路に人が溜まらないようにするのと、大きめの自然音を聞かせて、意識を現実から切り離す」


 美樹と麻揶が顔を見合わせた。


「するとどうなるんだろ?」


 真後ろから声がして、身体が一瞬強張る。亞璃栖だった。


「えっと……」


 急に口が廻らなくなってしまった。


「どうなるのかな?」


 もう一度興味津々に聞かれた。僕は彼女に気付かれないように小さく深呼吸して答える。


「ここで待たされている間、きっとこう考えると思うんだ『これは作り物だから』とか『演出だから』とか『怖くない』とか」


 三人が頷く。


「そうなるともう、勝手に自分の怖いものを思い浮かべては、それじゃないから大丈夫と、不安をどんどん大きくしているのに気付かずに、怖いものに対する思考のアンテナを広げている状態になっているんだ。そうなったら子猫を見たって怖いと思うよ?」


 三人が顔を見合わせた。通じたかどうか分からないので追加してみる。


「例えば、いつも通い慣れている道で、たまたま夜に通ってしまったとき、急に怖く感じて、一生懸命『ここはいつも通っている道。ただの道』とか思い込もうとするんだけど、そう考えればそう考えるほど風の音、木のざわめき、犬の遠吠え、しまいには自分の足音までを意識してしまう。つまり、怖さを意識させてあげれば、あとは勝手に怖がってくれるって事。この部屋はその恐怖を意識させるための部屋にするんだ」


 偉そうに語りすぎたかもしれない。言い終わってから後悔した。調子に乗っていた。謝った方がいいかもしれない。何の表情も無い三人の顔を見てそう思った。


「あるある! そういうこと! 亞璃栖もある?」

「あるよ! 僕このあいだコンビニに行くときになったよ!」

「私なんてしょっちゅう~」


 急に三人が手をつないで飛び跳ね回る。きゃいきゃいと騒ぐ三人を横目に、ほっとため息をついた。


「そっちはなんだか楽しそうじゃねーか、おい」


 黒塗りの段ボールを抱えて僕の横を通りながら、雷弩が僕に耳打ちしてきた。


「あ、雷弩」


 通り過ぎようとしていた雷弩を呼び止める。


「ここの出入口をしばらく通行禁止にしたいんだ、それと暗幕があと二枚くらい必要になりそうなんだ」


 頭の中で描いていたレイアウトを思い出す。


「通行止めはOK。でも暗幕はダメだな。一枚で何とかしてくれぃ。黒塗りの段ボールをもっと作るから、それでなんとかしてくれ」

「わかった」


 雷弩が大声を上げて、通行止めの件をみんなに伝えてくれた。


「張り紙もしておいてくれ」


 僕は頷きながら頭の中でレイアウトを変更していた。


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