第4話


 その日の作業は夕方までかかった。


 並べた机がずれないようにガムテープで完全に床に固定してから、レジャーシートを敷き詰める。これで土足で上がっても大丈夫。

 通路とか迷路とか呼んでいて分かりづらかったので、順路という呼び方に統一し、順路の幅は二人がくっついてぎりぎり通れる幅にした。

 ペアでなければ入れないからだ。


 暗幕はもらってきた分だけでは足りなかった。雷弩が追加で数枚を工面してくれたが、全く足りなかった。

 解決策として、段ボールを黒く塗って補うことにした。

 蒼流と佑が他のクラスを廻って段ボールをかき集めて来てくれたので、それを黒く塗って、教室の廊下に積み上げる。

 キリがよかったので今日の作業はそこで終了になった。


 最後まで残っていたのは僕を含めて七人だった。僕、雷弩、亞璃栖、美樹、麻揶、雷弩、佑の七人。この六人の顔と名前は完全に覚えた。

 七人で固まって帰ることになった。この学校の生徒は全員寮生だから、帰る場所も同じだった。


 話題はもちろんこのお化け屋敷の話だ。

 自然音のCDをどこから手に入れるのか、驚かせるのにもう一工夫出来ないか、落とし穴には俺が良いアイディアがある、お客さんはたくさん来てくれるだろうか、そんな熱の籠もった会話だったと思う。


 いつしか僕は皆の中に溶け込んでいった。

 話に夢中でうつくしい夕焼け雲にも、オレンジと紫にグラデーションする空を映した海のスクリーンにも、アスファルトの蜃気楼にも気付いていなかった。でも、きっと身体はそれを感じていただろう。心地よさだけが僕の心を走っていった。


 寄宿舎は道を挟んで男子寮と女子寮に分かれていた。

 坪内亞璃栖、田中美樹、吉田麻揶の女子が僕たちに手を振った。


「また明日ね」


 亞璃栖の鈴のような声を余韻に残して、男四人組も男子寮に入った。


「さあ! 飯めし!」


 色気も何もない。もっとも色気のある雷弩なんてごめんだったが。

 寮はコンクリート建てでかなり大きかった。一階に広い食堂があって、パイプ椅子と長机がたくさん並んでいた。


 所々に調味料と、金色のでっかいヤカンが置いてあった。

 奥がカウンターのようになっていて、お盆を持ってそこにいくと、無口なおばさんが食器に山盛りのカロリーをよそってくれるのだ。

 僕たち四人は固まって席に着く。食事を受け取りにいくと、おばさんにぎろりと睨まれた。遅くなったのが良くなかったかもしれない。


「明日の朝飯以降、学園祭の後の振替休日までもう飯でねぇからな」


 雷弩が口から米粒を飛ばしながら僕に教えてくれた。親切は嬉しいが、米粒の弾丸はいらない。顔が悪い方へゆがんでしまう。


「次の土日は学園祭だ。食べ物には困らないだろう」


 そう言ったのは毛利蒼流だった。黒縁のメガネに意志の強そうな締まった唇が印象的だった。

 雷弩が野菜の煮物から、にんじんを掴んで、蒼流の皿に乗せていく。蒼流は特に気にせず、そのにんじんも含めて煮物を食べていく。


「雷弩、佑、零、予定が無ければ、食後に俺の部屋でゲームでもしないか? いつものシリーズの最新作だ。四人同時にプレイ出来る」


 蒼流は淡々と話しながら、おかずを素早く消費していった。


「もう新作でたッスか」


 佑が熊みたいな身体を揺すって、近くのヤカンを取る。湯飲みにぬるい麦茶を注いだ。


「どうする?」

「俺はもちろんやるぜ」


 雷弩が答える。


「いくッス!」


 たれ目の目尻をさらに下げて巨漢の北島佑が明るく答えた。

 三人の視線が僕に集まる。


「迷惑でなければ。是非」


 みんなの笑顔が返事だった。


「蒼流くんの部屋って何号室?」

「311号。飲み物は持参してくれ」


 蒼流は空になった容器をカウンターに片付けていた。僕も立ち上がってカウンターに片付けた。


「じゃあ311に集合な」


 雷弩はまだ食べていた。どう見てもその量は三人前を超えている。食事の邪魔をしてもしかたがないので、僕たちはそれぞれ自分の部屋に戻った。


 僕は307号室だった。

 昨夜に病院からこっちへ案内されていた。部屋は狭いが一人部屋だ。

 扉には生意気にもカードキーロックがついている。カードキーはもちろん学生証だ。


 ノブの下の黒い四角い板に学生証をかざすとガチャリと鍵が外れる。

 扉自体は薄そうで、蹴り飛ばせば簡単に中に入れそうだった。鍵の意味はプライバシーの保護程度の役割なのだろう。


 部屋はいたってシンプルだった。

 縦長の部屋でシングルのパイプベッドに机と本棚。

 机の上にはCDプレイヤーとヘッドフォンが置いてある。扉の正面の壁には申し訳程度に窓があり、小さなカーテンが掛かっていた。入口の横に狭いクローゼットもあった。太めのパイプが一本あり、ハンガーが掛かっている。その下に小型の洋服ダンスが備え付けられていた。


 部屋の壁に女性シンガーのポスターが飾ってある。

 なぜシンガーと分かるかと言えば、ポスターの中の女性がマイクを持って熱唱している写真だというのもあるが、本棚に並んでいたCDの約半分が、このポスターと同じ名前のものだったからだ。

 もちろんまったく覚えがない。


 昨夜この部屋に案内されたとき、しばらくこの狭い部屋を探索し、なにか思い出せないかとCDを漁ったり、もちろん聞いてみたりしたのだが、思い出せることは何一つなかった。

 それはごく普通のJ-POPであり、聞けば聞くほど自分が好んで聴いていたという印象からかけ離れていった。


 僕はこの歌が好きだったのだろうか?

 この歌手のファンだったのだろうか?

 ポスターを貼るほどこの女性の容姿に惹かれていたのだろうか?


 僕は考えるのをやめて部屋を出た。考えても無駄な気がしたからだ。

 蒼流の部屋も同じ間取りだった。

 なので男四人が入ると息が出来ないほど狭苦しい。特に愛嬌のある熊みたいな佑の巨体は、部屋のどこにいても身体がぶつかるような気がした。


 この部屋にもポスターが貼られていたが、ゲームかアニメか判別のつかないポスターが壁一面に所狭しと張られていて、本棚にはゲーム機とゲームソフトが並んでいる。勉強の道具は見あたらなかった。

 その黒いゲーム機から伸びるコントローラーを蒼流に渡される。居場所を求めて、ベッドの縁に腰掛けた。蒼流も隣に座っていた。

 机の上の液晶テレビを四人で取り囲む。蒼流が手早くゲーム機本体の電源を入れた。


「1時間コースでいいな? 有り無しの1時間……と」


 蒼流がカタタタとコントローラーを手早く操作して、画面を進める。言っている意味も、やっている事も、さっぱりわからない。


「名前はランダムでいいよな」


 雷弩と佑が頷く。僕は無言だった。

 画面の中で目まぐるしく絵や文字が入れ替わる。


「零は赤い奴な」


 雷弩の言葉に、僕は空返事をした。何に対しての返事かすら、わからなくなっていた。

 液晶テレビの中にカラフルなデフォルメされた地図が表示される。その地図の上に3頭身のキャラクターがひしめき合っていた。地図の上に大きなサイコロが2つ現れてそれが回る。

 3と4が出て「7」と大きく表示された。黄色のキャラクターが地図の上をあるく。よく見ると順路がほうぼうに枝分かれしていた。


 スゴロクのようなものか?

 思考が追いつく前に蒼流、雷弩、佑の番が終わったらしい。


「零の番だぜ?」


 雷弩が僕の肩を叩く。なんだか彼の声が遠くから聞こえて来るみたいだった。


「……零?」


 彼が眉をひそめて僕を覗き込む。

 そもそも、僕は手に持った黒いコントローラーの感触に戸惑っていた。


 これは、どうやって使うものなのだろうか?

 ボタンらしきものがたくさんついている。

 それどころか持ち方すらよくわからない。

 複雑怪奇な形をしている。

 蒼流の持ち方を横目に見て、持ち方はなんとか分かったが、やはり何をどうして使うものかはさっぱりわからない。


 これがゲーム機のコントローラーだということは分かっているのに、どうやって使うものなのか全然思い出せない。

 僕はこれに触ったことがあるのだろうか?

 汗が、手から、額から、じわじわと湧き出してくるような感覚を覚えた。


「疲れてんのか? ……そりゃそうだよな」


 雷弩が後ろ手に頭を?く。


「悪かった。今日は終わりにしよう」


 立ち上がる雷弩を慌てて制した。


「もう少しやろうよ! やり方を教えて欲しい……もしかしたら何か思い出すかもしれないし」

「そうか? じゃあまず、このボタンが決定で……」


 雷弩と蒼流に教えられて、たどたどしくゲームを再開した。

 もしかしたら、やっていたら身体が思い出してくれるのではないかと期待したのだが、もちろんそんな希望は何の役にも立たず、時間だけを無駄にした。

 ゲームの操作方法は憶えたが、何かを思い出すことは無かった。

 解散して自分の部屋に戻り、そのままベッドに倒れ込む。


 少し頭痛がした。


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