第3話


「暗幕は音楽室に取りに行くようにと、各クラスの学園祭実行委員に連絡したはずだが?」


 シルバーの高級そうなメガネフレームの男性が、そのメガネの中央を指で押し上げながら言った。

 あまりにもその仕草が自然で、しばらくそれが嫌みだとはわからなかった。

 生徒会室はまるで戦場で、巨大な机の向こうに逆光で立つ生徒会長以外は皆怒号を発していた。


「体育館で椅子を出す前に演劇部がゲートの飾り付け始めちゃってる!」


 おさげにメガネの女の子が飛び込んでくる。


「また演劇部かよ! 誰か行って今日は追い出せ!」


 ホワイトボードに何かを殴り書きしていたオールバックの男子が怒鳴る。


「なんなら殺してもいい!」

「私には無理ですぅ!」

「ああっ! 俺が行くよ!」


 オールバックの男子が僕たちぶつかりながら横を通り過ぎていった。

 正面の生徒会長は僕たちに視線を投げたままの姿勢で微動だにしていない。僕も亞璃栖も次の行動を起こせなかった。


「会長! ガムテープの在庫がなくなって……」


 別の生徒が飛び込んでくる。


「購買部にいって買い足して来たまえ。それでも足りないようなら、外に買いに行きたまえ。少しは頭を使ったらどうだね? 洋司くん」


 洋司と呼ばれた生徒はバネ人形のように跳ね、直立不動になって叫んだ。


「買いに行ってきます!」


 なぜか軍式の敬礼だった。

 洋司が廊下に消える音を背中で聞く。


「君たちも……」


 メガネをもう一度上げ直す生徒会長。


「退室したまえと言わなければ、部屋を出ることすら出来ないのかね?」


 まるで蛇だ。


「失礼しました!」


 僕は慌てて生徒会室を飛び出した。

 人の邪魔にならない所まで移動して、亞璃栖と顔を見合わせる。


「僕、圧倒されちゃったよ」


 彼女の言葉に頷いた。


「でもちょっと楽しそうだった」


 僕は一度生徒会室を振り返る。


「そうだね」


 彼女は笑った。


 暗幕は思っていたより大きくてかさばった。

 音楽室には大量の暗幕が机の上に出され、生徒会の一人であろう女子が、取りに来た人間と枚数を確認していた。

 僕たちは渡されたノートにクラスと名前を記入すると、二人でなんとか持てる量の暗幕を渡される。


「重くない?」


 亞璃栖が声をかけてきた。そういう言葉は男性の方から言うべきだったと後悔した。しかしもう言われてしまったので返事を返す。


「大丈夫、持ちにくいだけ」

「無理しちゃダメだよ? 病み上がりなんだから」


 僕は彼女の思いやりに大きく頷いた。

 視界を遮る黒い布の束に悪戦苦闘しながら、なんとか教室に戻っていった。彼女より5割増しで多く持ったのは、男としての意地だ。

 男女差別とか、ナンセンスとか言われようとも、こういうのは譲れないものなのだ。


 教室に戻ると、あまりの乱雑さに居場所が無くなっていた。

 廊下に面した二カ所の出入口周辺以外に机がびっしりと敷き詰められていた。床が一段高くなったようにも見える。そういえば、どんなお化け屋敷をどのように作るのか知らなかった。


「こことここの机は外すぜ、そんで出入口にするわけよ」


 雷弩が机の上に上ばきを脱いで立っている。背の高い彼が机の上で仁王立ちすると、巨人を見上げている錯覚を起こす。


「ただいま雷弩。暗幕もらってきたよ」


 僕はとりあえず机の端の方へ暗幕を置いた。結構重かったので早くおろしたかったのだ。亞璃栖の暗幕も受け取り、同じ場所へ重ねた。


「おお! よく戻ったマイフレンド!」


 雷弩が僕に両腕を広げて抱きついてこようとしたので避けた。雷弩はその勢いのまま亞璃栖に抱きつこうとする、もちろん彼女にも避けられた。


「何これ?」


 僕は敷き詰められた机を指さし聞いてみた。


「この机の上に、お化け屋敷の通路を作る。んでお化けが机を外した穴から顔を出して脅かすって寸法よ! もちろん通路の横から上から下からの波状攻撃に恐れおののくのだ! うはははは!」


 実に楽しそうに笑い声をあげた。僕も釣られて顔がほころぶ。


「えーっと、通路がこうなって……んで、こっちが……この辺に穴がいるか?」


 黒板に描かれた図面に合わせてお化け用の出入り場所を決めているようだった。


「通路は……暗幕を使って暗くするんだよね?」


 僕の言葉に作業に入りかかっていた雷弩が振り向く。


「うん?」


 僕は黒板の横に行き、空いたスペースにチョークで教室の見取り図を描く。


「この通路は全部直線と直角で出来てるね」


 雷弩が描いたものなのか元の通路は教室の広さいっぱいを使って細かく折れ曲がった迷路図だった。もっとも迷路と言っても分かれ道があるわけではない。そこまで部屋は広くないからだ。


「……人は暗闇の中、直線ではなく曲線にぐるぐると歩かされると、あっという間に方向感覚を失うんだ」


 僕はぽつぽつと語り始める。雷弩だけでなく、他のクラスメイトも僕の話に耳をかたむけ始めたようだ。

 黒板の図に書き足していく。のの字2つ並んだような線だ。


「方向感覚を失った人間は恐怖心が増すんだ」


 曲線と曲線の隙間に×印を書き加える。


「一見単純な形に見えるけど、中を歩く人間には全体像はまず想像できない。そしてこの×印の場所までは脅かす仕掛けは一切配置しない。全行程のほぼ半分」


 僕は雷弩の描いた地図を指さした。


「初めの予定では、入ってすぐに脅かし始めて、それ以降ほとんど同じ脅かし方が続くけど、これは入った人がすぐに飽きてしまう思うんだ」


 もう一度、自分で描いた地図の説明に戻る。


「こちらは狭い通路をゆっくり進むと1分以上何もない状態が続くと思う。お化け屋敷と銘打っているわけだから、中の人は脅かされると思っています。それがいつまでたっても脅かされない、しかも教室の中なのに方向感覚はだんだん狂ってく……」


 集まってきたみんなの顔が真剣だった。

 そういえばなんでこんな話を始めたのだろう?

 途中でやめるのも変なのでそのまま続けることにした。


「中の人が方向感覚を失う前に脅かしては逆効果になると思うんだ。この印の所まで何もしないこと自体が仕掛けだと思ってもらえば。中の人はいつ脅かされるのだろう? いつ来るんだろう? まだ来ないのか? 僕はどのくらい進んだんだ? 分かれ道を見落としていたのか? お化けは休みか? どんどんと不安と恐怖が育っていきます。人は理解出来ないこと、わからないことに恐怖するから……」


 では記憶の無い僕はどうなるんだ?


 何も分からない。心に恐怖があるのだろうか?

 よく分からない。そんな僕が何を偉そうに恐怖を語っているんだろう。そもそもなんで僕はこんな話を始めたんだろう。気がついたら口が開いていた。


「音は自然の音が良いと思う。昼の波の音は安らぐけど、どこに海があるかわからない暗闇から聞こえてくる波の音、さまよい歩く夜の森、風の音、鳥の声。全てが恐ろしく感じるから」


 ギャラリー達の顔が僕を好奇心の眼で見ていた。


「仕掛けは3つで十分だと思うんだ。初めから予定されていた、これと、これと、これ」


 雷弩の描いてあった地図のその仕掛けに○を控えめにつける。


「これなら必要な人数も少なくなるし、効果も上がるんじゃないかな」


 とりあえず言い切って、自分で描いた図を黒板消しで一気に拭き取った。生意気なことをやってしまったと後悔した。


「零!」


 雷弩の大声はよく響く。失敗したと思った。謝るべきか立ち去るべきか一瞬迷った。


「零! お前はすげぇ! これでいこう! マジいいよ! 決まりな!」


 雷弩が大げさなジェスチャーで、クラスメイトを促した。みんなも頷いている。


「零! 図面を黒板に書き直してくれ! さっきの丸が2つ並んだような道を描いてくれ」


 雷弩に背中を叩かれて、僕は急いでさっきの図を書き出す。今度は雷弩の図面を書き直したので、黒板の半分の面積の大きさだ。


「よし! 美樹と麻揶は図に合わせて測量し直してくれ。をおお! 燃えてきた!」


 彼が腕に力を入れると、回りの人間も「おー!」と合わせた。


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