第2話


「と言うわけで、今日と明日は学園祭の準備。土日が本番だ。手を抜かずに頑張るように。加納の怪我のことはみんな知っているな? うまくフォローしてやれよー。俺は職員室にいるから用事のある人は職員室に来るように。あとはクラス委員にまかせるからな」


 そう言って根岸先生は教室を後にした。

 体育会系っぽいのにドライな印象を受けた。話し方なのか態度だったのかは自分でもよくわからない。ただの印象だ。

 空になった教卓に雷弩が立った。


「んじゃ、とっととおっぱじめるぞー。まず役割分担な」


 言いながら雷弩が黒板に『お化け屋敷』と記したのだが、それが恐ろしいほどの達筆で驚いた。僕の表情に気がついた雷弩がニカリと笑う。


「ほら、学園祭実行委員なら、年に1回役割があるだけだろ? 図書委員だのクラス委員長だの、常に仕事のあるのは性に合わねぇからな。一気にガッと集中よ!」


 僕の驚き顔の意味を取り違えたのだろう。長々と説明してくれた。僕はなるほどと思った。


「ああ……」


 雷弩が大きなため息をついた。


「メイド喫茶やりたかった……亞璃栖のメイド服姿を拝みたかったぜ!」


 笑いが起こる。


「なんで僕が名指しなのさ?」


 亞璃栖が唇を尖らせる。


「そりゃ亞璃栖のメイド姿を見たかったからさ」


 雷弩は肩をすくめた。


「答えになってないよ」


 亞璃栖が頬をふくらませる。


「俺と零でメイド喫茶を推してたのにな。なぁ? 零?」


 一瞬呼ばれているのが僕だと分からなかった。まだ名前が僕の一部になっていない証拠だ。それよりも、僕がメイド喫茶を推していた?

 クラスのどこからか「そういえばそうだったね」と聞こえた。


「うんうん」


 クラスがざわついた。僕がどんな状況でメイド喫茶を推していたのか分からないが、クラスメイト達の笑顔を見る限り、下心のあるような感じではなかったようだ。

 もしかしたら僕は明るい奴だったのかもしれない。頭の中でかくれんぼしている記憶が戻ったら、今の僕はどうなってしまうのだろう?

 少し心の中がざわついた。


「そうだ!」


 雷弩が大声を上げた。


「ならお化けが全員メイドの格好すればいいんじゃん! 女子全員でさ! 俺天才!」


 まさに名案とばかりに雷弩が飛び上がる。


「それで紅茶を運んだら、メイド喫茶って言うんじゃないかな?」

「うっ……」


 半目の亞璃栖に睨まれ、雷弩は言葉を詰まらせた。

 再び笑いに包まれた。


「ちくしょう! 分担決めるぞ! アミダだ!」


 学園祭実行委員の強引な一言で個々の希望も聞かずに、無理矢理分担を分けられてしまった。


「んじゃ始めるぞ~。まずは……」


 雷弩が黒板に書かれた役割分担を指さした。


「あのー」


 前の席の男子生徒がのっそりと立ち上がる。さっきの紹介の時に名前の聞けなかった人だった。


「ごめん、部活の準備があるから」


 そう言って、そそくさと教室を出て行ってしまう。


「は?」


 雷弩が間抜けな声を出した。


「私も部活優先って先輩に……」


 一人が立ち上がると我も我もと、クラスの半数ほどの人間が教室から出て行ってしまった。


「うおおお?」


 早くも穴だらけの分担表を前に頭を抱えて奇声を上げる雷弩。


「しゃあねぇ残った奴でやるぞ。ゆう蒼流そうる! 二組と四組から机をありったけもらってきてくれ、あのクラスは机使わないはずだから」

「任せるっス!」


 肩幅があり、がっしりした体つきの男子が立ち上がる。佑と自己紹介しくれた人だ。見た目は大きいがちょっとたれ目で愛嬌がある。

 もう一人、黒縁メガネに細長く鋭い目をした細身の男子が立ち上がり、無言で頷く。二人は教室から一緒に出ていった。


「美樹、麻揶まや! 俺が今から図面描くから、それに合わせてビニールテープを貼ってくれ」

「おっけー」


 明るく二人の女子が答えた。


「亞璃栖、零! 生徒会室に行って暗幕を貰ってきてくれ!」


 僕と亞璃栖の名前が呼ばれ、身体が一瞬硬直する。

 亞璃栖を見ると雷弩に返事をしていた。


「よろしくっ!」


 雷弩が僕たちにウインクした。男からもらってもあまり嬉しくない。

 彼は教室に残ったクラスメイトに指示を続けていた。見た目より面倒見の良い奴なのかもしれない。


「行こうか、零くん」


 亞璃栖がすぐ横に来ていた。

 僕が頷くと亞璃栖が歩き出す。僕はその後について行った。

 教室を出ると、廊下はすでにごった返していた。

 机や段ボールが積まれ、新聞紙の上で大きな看板を描いてる人もいれば、妙な格好で歩き回る人もいる。コスプレなのか仮装なのか僕には判断できなかった。


「なんだか、凄く気合入ってるね」


 学園祭って文化祭の事だと思うのだけれど、こんなに凄いものだったか思い出せない。ただやはり凄いという印象だけが今の言葉を吐き出させた。


「あれ? 誰にも聞いてないの? 風樹の学園祭には賞金が出るんだよ」


 亞璃栖が立ち止まり振り返った。


「え? 学校の行事に?」


 彼女は頷く。


「賞金っていっても、この町でしか使えない電子マネーだけどね」

「ああ……」


 僕は病院で受けた説明を思い出した。

 この学校を含む町全体が風樹グループという企業の実験都市らしい。幼小中高大の揃った学園都市で学生は全員住み込みの寮生活という変わった仕組みだ。


 町のほぼ全ての人間が風樹グループと何らかの関係があるらしい。病院も風樹グループの私立病院らしい。

 そしてこの町でのみ使える電子マネーで全ての流通が成り立っているとの事。


 僕は学生証を取り出す。

 ICチップが埋め込まれていて、これが財布の代わりになる。この町でなら自動販売機だろうが駄菓子屋だろうが精算出来るらしい。まだ病院の自動販売機でしか使ったことはない。


「無くしちゃだめだよ?」


 彼女が後ろ手に少しかがんで僕を斜めに見上げる。僕は出来るだけ冷静にうんと答えた。

 校舎は真新しく窓も多い。曲線を多用した建物で、いかにも私立校といった感じだ。天井が高く廊下もとても広い。

 窓から見下ろすと下は広いテラスになっていた。その奥には円形のガラス張りの建物が見える。


「あれは食堂だよ。大学部の人も来るから、お昼は凄い賑やかなんだ」


 よく見るとテラスのテーブルには何人もの生徒達がいて、学園祭の打ち合わせだろうか、書類を挟んで喧々囂々けんけんごうごう侃々諤々かんかんがくがくしている大所帯もあれば、明らかにサボりでお茶をしている人もいた。


「そうか、零くんは学校の事も全然覚えてないんだよね?」


 僕は頷く。


「じゃあ手が空いたら校内を案内してあげるよ」


 亞璃栖が横に並んだ。僕とほぼ同じ身長だった。女子にしては少し高めかもしれない。

 僕の視線と同じ高さにある瞳になぜか緊張してしまう。ふとその瞳が反対に逸れた。その時やっと彼女の瞳を見つめていたのだと気付いた。

 顔に血が昇った。慌てて視線を前方に集中させる。


「こっちだよ。零くん」


 彼女は渡り廊下を折れて進む。視線を逸らされたのではなく、ただ彼女は曲がっただけだったらしい。

 僕はそこに渡り廊下があったことすら気付かなかった。


「ほら、ちゃんと僕についてきて」


 彼女が立ち止まって振り返る。スカートが持ち上がった気がする。太もものラインに心臓が高鳴った。


「生徒会室ってどこなの?」


 僕は彼女に三歩で追いつき、横並びに歩き出して聞いてみた。


「職員室の上の上って聞いたよ。僕も良くは知らないんだ」


 職員室には朝に寄った。その上の上ということは三階、つまりこの階と言うことだ。


「身体は……なんともないの?」

「え?」


 彼女は少しうつむき加減に横から僕を覗き見ていた。心臓がせわしなくなる。


「うん。記憶は全然だけど、身体はむしろ軽いくらいかな?」


 肘を折って、両手を握りしめた。


「そっか」


 亞璃栖は満面の笑みを浮かべた。心臓がとてもうるさかった。


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