神話への架け橋2

 ほぼ黒の色、滑らかな肌触り、硬いはずなのに柔らかさを感じさせ、こうして触れてるだけで力強い息吹を感じる気がするわ。


 特に、下半身をびちゃびちゃにしながら、落ちないよう無様に虫みたいに枝にへばりついて、カサカサと這い進む虫みたいな恰好のあたしには、より強く感じられるんでしょうね。


 皮肉めいた考え、そうとでも思わなきゃやってらんないぐらい消耗してた。これでまだ一日が始まったばかり、これから先はまさしく未知の領域、神話の世界、そして帰りたくても帰り道のない極地だった。


 ……マミーが出てこれるなら道もあるはず、流石に十年に一度だけの期間限定ってわけでもないでしょうし、先のことは先に考えましょう。


 ふわり、唐突に枝が少し揺れて、びくりと強張り、ぎゅっとしがみつく。


 あれだけ落ちてなおまだ高いこの場所、上からは細く見えた枝は、実際に細かった。それこそあたしのウエストぐらい、腕を回せば両手が互いの肘をつかめる程度、そこらの木でも細い部類の太さしかなかった。


 それだけあって、あたしたちの激突受けてもしなるだけで折れずに済んだのは末端でも世界樹ってことかしら。


 必死に余計なこと考えて、下を見ないように前だけ見て、濡れた股をこすり付けながら這うように先へ、世界樹へと向かう。


 這って、進んで、揺れたら抱き着いて、収まったらまた這って、進む。


 無様、みっともない、だけどこれが安全かつ常識的な最速の移動手段、だというのに、最初に踏み出したマミーの姿ははなから見えなかった。


 ほぼ直線な枝の上にに見えないということはすでに渡り切ったということ、だけどそれにはこの枝は長すぎて、世界樹は遠すぎる。


 少なくとも這っての移動で姿を見失う距離じゃない。歩いてもギリギリ、せめて小走りでないと、見失えないでしょうね。


 やっぱり人外、常識を超えた伝説、頭おかしいわ。


「ねーねーヘミリア、ちょっといいこと思いついたんだけどきーてきーて」


 もう一人、頭のおかしい生身が一人、あたしの後ろにぴったりと着いてきてた。


「ねーー聞いてる?」


 エレナ、後ろからロープ引いて意識も退こうとしてくる。


 本当は先行ってほしいけど、その位置の入れ替えができる余裕は、あたしにはないわ。


 それとロープ、互いに結んだのを結びっぱなしにして、命綱にしてる。


 片方が落ちてももう片方が残って引っ張り上げられるとのことだけど、あたしのか弱い細腕であんなでかい胸、無理に決まってるわ。だから落ちた時に備えてナイフの準備はしてあるわ。


「……寝ちゃった?」


「おきてるわよ。それに聞こえてるわよ」


 煩わしくも返事を返す。


 この旅で、エレナについて学んだこと、退屈になるとお喋りが止まらなくなるのだ。


 考えてること思ったこと、思い出話に想像からの法螺ファンタジー、しゃべり好きな女の子はたくさん知ってるけど、この状況で口が止まらないのはある種の才能だわ。


「ほら、わたしたちこの枝乗るのに飛び降りたでしょ?」


「そうね」


「アレすんごく楽しかったじゃん」


「どこがよ」


「えーー楽しかったよー。迫力とかスリルとか。あれはまる人は絶対はまると思うんだ。だからアレで商売しようよ」


「……人を突き飛ばす商売?」


「そうだけど、そうじゃなくって、もっと安全にしてさ。ロープ足に結んで頭から落ちるようにしてさ、さんにーのっせ! でジャンプ、落っこちてびょーん! 楽しい! 人気出るよ!」


「声が大きいわよ」


 窘めるつもりで振り開けると、エレナ、むしゃむしゃなんか食べてた。


「……何よそれ」


「はい、ヘミリアの分」


「いらないわよ。それより、何?」


「世界樹の葉っぱ、この枝の端っこに生えてたやつ。多分新芽、ヘミリア落ち着くの待ってる時とってきたの」


「捨てて、食べないで、吐き出して、すぐやめて。お腹壊したらどうすんのよ」


「大丈夫、みたいだよ。痺れもないしえぐみも青臭さもなくて、むしろさわやかいい香り。ひょっとしたら茶葉にしてもいいかも」


 応えながらもしゃもしゃ、平然と食べてる。


 その姿、ベーコンに重なって、もう言葉が通じないんじゃないかと気が抜ける。


 なんかもう、退屈しきった赤ちゃんがそこらの物を舐り倒すのとおんなじね。


「あ」


 そのエレナが声を上げ、上を見上げる。


 釣られて見れば広大な木陰、いくつもの木の葉と枝とが重なり合った巨大な天井、その中に一つ、動く影、落ちてきていた。


 まばらな木陰と星灯りの隙間を縫って現れたのは、あの巨大カマキリだった。


 鎌足を畳み、逆に背中の羽根は広げて、まるで不格好なトンボみたいに飛ぼうと羽ばたいて、だけど大きすぎる体に落下の勢い、上がることは叶わず、減速するのがやっとのようだった。


 そんなカマキリが、そこそこ近い距離、とは言ってももの投げたら届くかどうかぐらいの虚空を抜けて、真っすぐ下へと落ちて行った。


 音も気配もない、通り過ぎるような落下、目で追っていくとドンドンと落ちて行って、そしてある一点で力尽きて、崩れるように落ちて行った。


 多分、あそこの高さが、綺麗な空気と汚い空気の境界線ね。


「……でさ、ロープの先を釣り竿みたいにしなる棒に繋いだら、落ちる衝撃も緩和できて、いっそ安全だと思うんだ。それともいっそ下に水張った方がいいかな? どう思うヘミリア?」


 カマキリの落下しも、エレナの口を止めることにはつながらなかった。


 ◇


 ゆっくりとだけど確実に進んでいけばいつかはたどり着ける、そう自分に言い聞かせて、あたしたちは進み続けた。


 ほぼ真っすぐだった枝は太い他の枝から分かれたもので、分岐点を過ぎれば一気に太く、立って歩ける程度に平となっていた。


 ここまでこすり続けた股を冷やしながら焚火を作って火をつけて、改めて見回せば思いのほか遠くまで見れて、そして他の枝に沢山のモンスターがいることにやっと気が付けた。


 おなじみとなったカマキリ、太い枝にカプリ着いてるカブトムシ、枝の上に落ちてる木の葉を食む芋虫、枝と枝との間に見え見えの太い糸を張る蜘蛛、動くまで完璧に擬態してたナナフシ、全部が巨大だった。


 いえ、ここまでくるとあたしたちが例外的に小さいのよね。


 人と虫との力関係が逆転した世界、最弱は人、だから見つからないよう目立たないよう、おっかなびっくり枝を進み、時に迫るテントウムシを火で追いやって追い落とし、やっとの思いで最後の分岐点、たどり着けた。


 枝の付け根は木の葉か苔か、溜まり重なって土のようになっていて、平らな上には若干の勾配に湿り気、他の草木やキノコが生えてちょっとした丘のようになっていた。


 その上を滑り移動する巨大カタツムリを避けて進めば、ようやくの世界樹の幹だった。


 その樹皮は深い黒色、その姿はまるで岩の崖、触れれば指に痛みが走るほどささくれだった表面、冷たく、苔の蒸した臭いがした。


 見上げればどこまでも垂直、吸い込まれそうな木陰、圧倒的で荘厳な存在感に、あたしもエレナも言葉を失くしていた。


 ここが世界樹、たどり着いた。


 歴史になんのロマンも感じないあたしでも、流石に少しは感じるものがあって、少し感動してた。


 ふと、記念にナイフで名前でも掘ってこうかと思ったけど、そんな冒涜、可愛いあたしには似合わないわね。


「……どうしようヘミリア、お腹、ヤバイ」


「……は?」


 幹に来て静かになってたエレナ、流石に感動してたかと思ってたのに、見れば青い顔色、玉のような汗、うつむき加減でお腹押さえてる。


 感動も何もかも吹き飛んだ。


「だから言ったじゃない! あんなもの食べたから!」


「うん。わかった。ちょっと待ってて。出してくる」


「出すって、どこに」


「外。下。枝からお尻だして、する」


「待って、ここらモンスターいっぱいいて、枝の下から這ってくるかもしれないんだから危ないわよ」


「じゃ、ここでする」


「じゃじゃないわよ! こんな何にもない平らな場所で、やったら、女の子終わっちゃうじゃない!」


「いい。女の子終わっても、いい。ズボン汚すより、いい」


 そう言ってガサゴソ、やり始めてあたしは慌てる。


「待って! 今場所探したげるから!」


 そう言って見回すも、当たりは真っ平ら、でっぱりは僅かな瘤とへっこみと、のそりと移動してる巨大カタツムリだけ、だったらカタツムリ?


 影、横、裏、だめね。動きはゆっくりだけど確実に移動してる。してる最中に踏みつぶされるとか笑えないわ。


「ごめん。耳は塞がないで、モンスター来たら、危ないから」


「だまらっしゃい! 諦めてんじゃないわよ!」


 叫び、ならば幹をと距離をとって、全体を見る。


 ……あった。


 少し離れたとこ、暗い中に隠れてるけど亀裂、穴、隠れられる場所、あそこの中ならまだましよ。


「行くわよ。早く!」


 ロープ引っ張りエレナを誘導、穴に着く。


 直径は家のドアより少し広いぐらい、だったら巨大モンスターも入ってこれないわね。


 除けば案外深い穴、曲がりくねった先が分かれていて、ちょっと入って右側覗いたら行き止まり、だけど深い盾穴になっていて、底には若干の水溜まり、松明の火を押し入れても消えないから空気もある。


 大丈夫ね。


「エレナ!」


 名を呼んだら子犬みたいに小走りでやってきて、通り過ぎ、穴の中へと入っていった。


 そしてすぐに響く、聞きたくもない音、あたしたちが神話とも言える世界樹の幹にたどり着いての最初の行動が、これだった。

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