神話の手前1

 ……世界樹は、遥か昔からあるのはわかってたらしい。


 広範囲の魔力感知、地脈の流れ、精霊たちの噂話、預言書の記述、存在はいくつもの手段で確認されていたとか。


 曰く、現存する中で最大の生物、圧倒的な長寿と、魔力、生命力を持ち、時に神とも呼ばれた存在、その枝、その葉、その樹液を手に入れられれば世界の魔法が百年は進歩できると言われてきた。


 けれども、存在はわかっていても、どこにあるかまではわからなかった。


 感知は魔力が大きすぎて乱れ、地脈は大きすぎて把握できず、精霊は又聞きに又聞きで、預言書は肝心なところが書かれてない。


 一説には、それだけの巨体を維持する肥沃な大地は南方の大陸しか残されてないだとか、実はどこどこの島の正体だとか、高次元過ぎてあっても理解できないだとか、どこぞの国が隠している陰謀論だとか、あれこれ言われてきた。


 世界樹は確かにある。なのにどこかまではわからなくて、見えてるのに絶対に手が届かない存在、まるで月みたいなものだと、例えられてきた。


 ……その世界樹が、今、あたしの足の下にしっかりと生えている。


 その巨体は、あたしたちの松明や星月の灯りじゃ全てを照らせないほどに大きくて、吸い込まれそうになる。


 まさかこんな、砂と風しかないような、太陽光だけしかないような、栄養乏しい未開地に生えてるとか、誰も考えられないでしょうね。


 けど考えて見れば逆で、この世界樹がこの地の水分や栄養素を根こそぎもってっちゃってるから、ここらはこうも荒廃してるのかもしれないわね。


 遠くなあるはずの点と点が繋がる快感、公表できれば一躍時の人、有名人どころかあたしの名前が教科書に乗るレベル、はっきり言って、世界樹の発見は、スケール的で言えばマミーなんか足元にも及ばない大発見、伝説に対して、呼ぶならば神話ね。


 見下ろす高さへの恐怖じゃない震えが、あたしの体と手にある松明の炎を揺さぶる。


 けど、そうじゃない。今は、そんなことしてる場合じゃない。


 この旅の、あたしの目標はあくまでマミーよ。初志貫徹、いくらそこにとんでもない大発見があるからって、よそ見する気はないわ。


 ……ただしそれでも、これは無関係じゃないはずよ。


 これだけ偉大な世界樹と、四百年もの間活動してきたマミー、それが同じ場所にいるのなら、両者の間に何かしらの関連性を想像しない方がおかしいわ。


 つまり、あそこに、マミーが向かっている。きっとホームね。ひょっとしたらダイヤモンドもあそこに蓄えられてるかもしれない。


 いいえそうに決まってる。間違いないわ。


「行くわよ!」


「どこへ?」


 あたしの気合の入った声に対して、エレナの声は気が抜けていた。


「決まってるでしょ! あの世界樹によ!」


「えーやめとこーよー」


「は?」


 何言ってるのこの女は、この期に及んで、そんな、世迷言を、正気? わかってない?


「いやだってさ。なーんか、嫌な感じ、しない?」


「しないわよそんなの」


「そっかなー。でもさ、しないならしないでもいーけど、でも行く前にどこかキャンプできるところ探そーよ。で、ご飯食べるの、あったかいの」


「い、や、よ」


 きっぱりと伝える。


「まだ朝まで時間あるでしょ? だったら行けるとこまで行くわ」


「でも」


「黙らっしゃい! いい? あんなわかりやすい目指す場所があってぇ、その手前で立ち止まるとか絶対に嫌! あたしはねぇ、今日の今日までいっぱい待ったの! だからこれ以上待つのは嫌なの!」


 興奮、思ったよりも強くなっちゃった口調、だけども取り返せない、取り返す気はない。


 今はとにかく先に、行くの。


「……だったら、訊くけどヘミリア、あそこまでどうやって行くの?」


「どうやってって!」


 言って、言葉が詰まる。


 世界樹は、切り落ちた崖の下から生えている。


 だから一度降りて、それから登るなりしないといけない。


 ……見た感じ、崖の側面は若干の坂になってるだけで、磨かれたみたいにツルツル、嫌がらせのように突起がない。


 振り返れば瓦礫なり廃墟なりあって、そこに結べばロープを垂らせるでしょう。けど、持ち込んだ長さじゃ絶対足りないし、足りる分があったとしても絶対手が持たない。


 梯子、楔、土木工事、他にも色々な手段、思いつくけどどれも現実的じゃないわ。


 考えて見回して、そして、見つけた。


 左の方、向こう側、崖が伸びる先、軽くカーブしてる部分にほんのちょっとの、凹み、小さく見えるけど絶対にあった。


 そちらへ、あたしは足を向ける。


「ヘミリア?」


「あそこよ」


 指は刺しても振り返らない、足も止めない。


 直感、それも確証のある勘、あのマミーがあそこに行ってるんだからその道が絶対にあるはずなのよ。


 確信、だから足が小走りになる。


「ヘミリアってば待ってってば!」


「黙らっしゃい! お金を払ってるのはあたしよ!」


 大声で返しながらあたしはもう、走り出してた。


 全力、躓いても踏ん張って、踏み出して、疾走、あたしは止まらない。


「へーみーりーあー!」


 声を背に走って走って走って、たどり着いたのは亀裂、硬い岩を割る切れ目は大きく、対岸は遠い。これはこれで小さいけれど崖は崖、その底は当然のように松明の光は届かない。そんな闇を目で追って順に辿っていくと、世界樹から遠く離れるにつれて、底に光が届いていた。それが順繰り、外側に行くにつれてはっきりとしてる。


 つまり底は坂道、ならばそこを入口にできれば、崖を使わず緩やかに下れる。


 なら、あっちね。


「ちょっと待って!」


 エレナへ、もう返事も返さない。


 世界樹を背に、亀裂に沿って走って走って、底を見続けてようやくはっきりと、近づいてるのが見える。


 じれったいほどの距離、息が切れてわき腹が痛い。


 それで、ようやく、底が見えた。


 それからもう少し進んで、ようやく降りられそうな高さとなる。


 あたしは迷いなく跳び降りる。


 ……思ったより長い時間、高かった落下、それでも足から行けた着地、だけど負けて尻もち、涙目、それでもあたしは松明は落してない。


 お尻に響く痛みに声を飲みながら、それでもそこから見ればまっすぐな道、世界樹の幹まで、まっすぐ見えた。


 後はまっすぐ進むだけだわ。


「ヘミリア!」


 遅れてエレナ、降りてくる。


「ほら行けるじゃない」


 小ばかにする気はなかったけど、おのずと笑みがこぼれる。


 期待、希望、終わりが見えて、痛みも飛んで立ち上がり、世界樹への下り坂を走り下る。


 目の前に世界樹、やっと近づく、やっと行ける。あと少し、あと少しでマミーに届く。旅が終わる。手に入る。


 焦る気持ちが足を急かしてまた何もないのに躓いた。しかも今度は下り坂、勢いも加わり本格的に前のめりに、転んだ。


 一瞬あたしの時間がのろくなる。


 それでもダメージを最小に抑えようと焚火を投げ捨て両手を広げ、顔を庇おうと両手を突き出す。


 そして衝撃、痛み、あたしは仰向けに倒れてた。


 …………何で?


 前のめりで倒れて背中が地面、いつひっくり返ったの?


 それに何か変、体が重くて、手とか顎とか痛くて、呼吸苦しくて、体も動かない。頭痛、体の痺れ、頭打っちゃったみたい。


 それでいて意識だけがはっきり、これ、金縛?


 恐怖、身の危険を感じて、意識を集中させて無理矢理体を動かそうともがく。


 そしていきなり解放、呼吸が戻って息吸って、閉じてた瞼が開いて、知らない光景だった。


 白い石の天井、多分廃墟の中、動く灯り、多分焚火か何か、バリボリの音、多分ベーコンね。


 意識、覚醒、目覚めて、起きる。


 寝かされてた。


 焚火、かかる鍋、煮える臭いはオートミール、かき混ぜてるのはエレナだった。


「ヘミリア!」


 歓喜の声、上げると同時に正に飛びついてきて、その大きな胸であたしの顔を挟んで抱きしめてきた。


 熱く、柔らかな感触、苦しい。


「もおおおお!!! だからやめよっていったじゃんかあああ!! もおおおおおお!!!」


 大声、同時に挟まれて揺さぶらる。


「ちょっとどうなってんのよ!」


 暴力的な胸を押し退かし、空気と一緒に答えを求める。


 すぐそこにエレナの顔、泣いてたのか、腫れた両目できょとんとあたしを見返してくる。


「……覚えてないの?」


 言葉の意味、よくわからない。


「あたしが、覚えてるのは、世界樹、あったわよね?」


「あった。まだすぐそこ、今ならまだ見えるよ」


「それで、亀裂見つけて、下って、向かって、あれ?」


 転んだところでここに飛ぶ。間に何が?


「ヘミリア」


 エレナの、諭すような、諦めるような、優しいような、残酷な声、本能的に嫌なことを言われるとわかってしまった。


「ここまで、旅を終えて帰ろうよ」


 ……嫌なことを、言われてしまった。

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