列車『マッスルシュート号』1

 ……列車は、想像以上に大きく、太く、長くて、黒かった。


 せいぜい馬車みたいなのがいくつも長く連なってる程度だと思ってた。


 けど実際は、船ね。


 先頭、列車の顔、残りを引っ張る動力車、高さは三階建てぐらい、長さはそれこそ船で、端から端まで歩くだけでうんざりするぐらい長い。その表面は黒く焼き入れされた鉄、全体として靴の先のような流線型で、三階部分に見える窓と車輪周りのごちゃごちゃした駆動部分以外には小さなハシゴぐらいしか飾り気はなかった。


 その後ろに連結してある車両も同じような大きさ、ただ一階に横開きの扉が並んでいる。


 意外だけど、先頭から順に、五等、四等、三等、二等、一等と後ろに行くほど高級となっていた。


 マミーが乗り込んだのは聴いてた通り最後尾の一等、全部が一グループ用、貸切らしい。専用のスタッフにシェフも乗車し、最上階にはプールまであるらしい。


 対して、あたしたちが滑り込めたのは四等、荷物専用の五等の次に安い車両だった。


 だから、そんな期待はしてなかった。


 だけど、まさかここまで酷いとは思ってなかったわ。


 入る前に突き刺したのは蒸し暑い空気、漂う悪臭、それも汗とゲロのえた臭いに酒とタバコの臭いが混ざって、地獄のような熱気が、噴き出してた。


 それに耐えながら入った中は黒い鉄の壁、床、天井、飾りどころかむき出して、座席どころか手すりもない。正確には座席は二つだけあるのだが、それらは隣の車両へ通じるドアの前で見張る無表情のスタッフ専用だった。


 まだ日は高いのに薄暗く、光は鉄格子だけの窓から差し込む光だけ、前はランプが吊るしてあったらしいけど盗まれたのだと誰かが言ってた。


 車両は外見通り三階建てで、入り口近くの螺旋階段で上り下りでき、もう少しマシな場所を求めて上の階を覗いて見たけれど、既に前の駅から乗っていた団体に占拠されていて足の踏み場もなくて、いられる場所はなかった。


 そうやって彷徨ってる間に一階も、目ぼしい場所は他にとられていて、唯一空いてる場所は、この車両唯一の個室、トイレの前だけだった。


 仕方なくそこへ、それでも直に床に座りたくなくてマントを広げて絨毯に、出来るだけ邪魔にならないよう端っこに座るけど、そんなの御構い無しに乗客は端を踏み、蹴り、落ち着かせてくれない。


 鬱々とした気持ちでいると汽笛、ようやく出発、だけどそこからが本番だった。


 すぐに始まるけたたましい騒音、走行音、金属音、耳をいじめる。それに耐えつつしばらくしたら今度は車内の悪臭に焦げの臭いが混ざりはじめる。


 最低な車内、うだる車内、当然のように、酷く揺れる。


 前後左右、不規則に、時に跳ねるように揺れに揺れ、掴まる手すりも座席もないあたしはその度に体ごと揺り動かされた。


 当然、酔う。


 乗り物酔い、列車酔いだ。


 気持ち悪い。


 吐き気もする。フラフラもする。


 酷い頭痛は水分不足、温い水をちびちび飲んでも、全部が汗で漏れ出て、それが蒸しあがって、酷い。辛い。


 移動中、列車内で考えておきたいこと、エレナと話しておきたいこと、準備したいこと、可能ならばマミーの動向を調べること、やろうと思ってたこと、やるべきことは沢山あるのに、何もできない。


 それだけ列車の中は、酷いわ。


 あたしは可愛いけれど、タフじゃない。


 そうでなくても、他の乗客みたいに酒呑んだりチェス遊びに熱中したり本読んだり、平然としていられる方がおかしいのよ。


「……聞いてるへミリア?」


 おかしいのがここにもいた。


「でさぁ、案の定山賊が出たわけぇ。出るわけないって笑ってた人たちも顔真っ青でさぁ。でもそこはわたし、強いからさぁ。難なく撃退できたのー。それで約束のボーナスわーって聞いたら、渋々って感じで、何くれたと思う? 見た目は化石なんだけどねー。なんとキャンディー! 黄色くて透き通ってて綺麗だけどキャンディーだよ? ものすごい高価だって言ってたけどねぇ。あぁでもすっごく甘くて美味しかったなぁ」


 エレナ、人が弱ってることをいいことに、好き勝手やってる。


 一言もなくあたしのマントの上に座ったかと思えば、寝てるあたしの頭を膝の上に乗せて、人の相づちもないのにくっちゃぺってた。


 いつもなら『だまらっしゃい』と一喝で黙らせてるけど、今のあたしにそんな余裕もなかった。


「それでみんな驚いた顔してるの。なんでーって聞いたら、そのキャンディー、三大ナントカって、有名な高いお菓子なんだって、売れば凄く儲かるのにーって、でもさでもさ、食べ物もらったらその場で食べないと失礼だと思わない? へミリアはどう? やっぱり売る?」


 勘弁して欲しい。


 いっそ眠ってしまえば楽なのに、それさえも許してもらえない。


 苦痛、苦悶、こんなはずじゃなかった。


 悪夢を振り払うように手を払い、ぼたりと落ちたあたしの右手が跳ねる。


 床、絨毯の下、鉄の部分、熱い。


 素手で触れないほど、下手をしたら料理ができそうなほど、高熱、金属の熱伝導を考えれば当然、かとも思うけど、それでもこれが普通だとは思えない。


 間違いなくどこかに無理がかかって、不必要な摩擦が起きている。不具合、あたしにもわかる欠陥、これが列車、ね。


 ……何が世界を縮めただ。


 悪態を吐き出そうとしたら違うものが吐き出されそうだった。朝から口にしたのはコーヒーぐらい、吐き出してもせいぜいが液体、それさえも汗で乾いて、次に吐き出せるのは魂かしら? 何だっていい。トイレはすぐそこ、ならこれ以上車内をより酷くする必要はないわ。


 口を押えながら体に鞭打って、まだ熱でひりつく手を突いて体を起こす。


「どしたの?」


「お花摘みよ」


「お、花?」


「トイレよ」


 苛立ちながら応えて起き上がって、杖だけ持って目の前のトイレへ。


 鉄製のドアは熱くない。掴んで開いて中へと入る。


 途端、一層酷くなる騒音、だけど不思議と臭いは弱まって、何故か風が流れていた。


 トイレ自体はシンプル、狭い中に金属製の便器にここだけ木製の便座、それ以外は流す水も拭く紙もない。


 それでも吐き捨てるだけなら十分とトイレを覗き込む。


 すると心地よい風が、あたしの前髪をかき上げた。


 ……見たら、底が、走ってた。


 いや、走ってるのは列車、流れてるのは地面、跳ねる小石の音と流れ込んでくる空気から、穴を知る。つまりは出したもの、流したものを、タンクに貯めるでも、魔法でどうにかするでもなく、走る道沿いに、ばら撒いている。


 ここのトイレ、吹き抜けだ。


 つまり、垂れ流しなのだ。


 走る外へ、お構いなしに、ばら撒いて、お終い、それがここのトイレなのだ。


 …………最低だった。


 あたしは絶対、二度と、絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に、二度と列車に乗らないと心に誓った。


 刹那に衝突、壁に当たる。


 その誓いに怒ったかのようにより一層跳ねる列車があたしをかき混ぜた。


「へミリアへミリア!」


 鍵かけ忘れたドアが開け放たれる。当然入ってきたのはエレナだ。


「聞いて聞いて! この列車強盗にあってるって! ねぇ聞いてる!」


 やたらと元気で嬉しそうに、エレナは叫んだ。

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