酒場『オアシス亭』3

 鉈、なんでしょうね。


 大きさはマミー自身の顔を隠せるぐらい、形は歪で、大雑把には平行四角形に近い。だけど辺はどれもギザギザで、その細い一角に包帯を巻いて持ち手にして、残りを刃に、鉈にしてる。外見で近いのは池に張った氷かしら。


 濃い黄色、部分的に赤色、だけども透明度クリアは向こう側がはっきり見えるぐらいで、大きさも合わせればもう、価値なんてつけようがないわ。


 そんな超高級品のダイヤモンドの塊、それを、マミーは、宝石ではなく、ただの武器として、振るっていた。


 酷い冗談、出鱈目な存在、だからこそ、これこそが、伝説と呼ばれたミイラ、マミー・ザ・ダイヤモンドだった。


 こいつを、相手にする。


 こいつから、取り返す。


 自分でやろうとしてることを思い出し、出てくるのは乾いた笑い、改めての緊張、だけど、準備はしてきた。


 あたしなら、やれる。


 あたしの覚悟とは逆に、心が折れたらしい男の手から残った剣が床へと落ちて、切っ先から逃れるようよろよろと後ずさる。


 それと入れ替わるように、男たちが、それに続いて無関係だったはずのおばさん観光客たち、皆がそれぞれ手に剣、手斧、棍棒、編針、凶器を持って、だけど共通してダイヤに目の眩んだ目をして、静かに立ち上がるマミーを見ていた。


 張り詰めた空気が、店内に充満した。


「え、待って。今の悪いのそっちじゃないの?」


 空気の読めてない巨乳の言葉は誰にも届かない。


 ここは切っ掛け一つで戦場になる。


 だがその程度で、この伝説がどうにかなるとは思えない。問題は、あたしよ。


 ここでのトラブル、巻き込まれて足止め、マミーを取り逃す、最悪のシナリオ、それだけは勘弁だわ。


 一人こっそり逃げよう。代金はティーソーサーの底にでも入れておこう。思い行動しようとしたら急に巨乳があたしを見た。


「危なそうだから、僕はテーブルの下にいて」


 まだ言うか、思い睨み返したのと、マミーの左手が動いたのはほぼ同時だった。


 続いてガシャン、割れる音、天井から、すぐに降り注ぐ煌き、真上に投げられたからのビン、その破片の下へマミーは駆けた。


 音も兆しも見せない風のような疾駆、虚を突かれた上の疾走にみなの反応が遅れる。


 それでも何とか立ちふさがった男が一人、棍棒持って前に出るも、それ以外の服装をあたしが見る前に、マミーのアタッシュケースがぶっ飛ばしていた。


 ぶっ飛ばされた男がテーブルの上に伸び、皿なんかが割れて落ちきる前に、止まらなかったマミーは嵐のように店から飛び出していった。


「おい逃がすな!」


 遅れて遅すぎる男の怒声、続いてドドドと男らが追いかけ飛び出していく。


 その動き、緩慢、追いつけるわけないでしょうね。


 そして一転、静かになった店内に、あたしと酔っ払いどもと店主と、テーブルに伸びてる男と未だに凶器を手放さないおばさん観光客たちが残った。


 空気は張り詰めたまま、おばさんたちが奥へ、カウンターへ、店主の前へとぞろぞろと移動する。


「にーさんにーさん、独り占めはいかんでしょう。幸せはみんなで分け合わないと」


 独特のイントネーション、編針突き付けての脅し文句、彼女ならの狙いは店主だったらしい。


 確かに、そっちならば伝説相手と違い普通の強盗、だけど儲けは莫大、効率が良い。


 悪いことするにも要領が大事と学んで、残りのコーヒーを一気に飲み干す。


 と、ここで初めて巨乳がいなくなったことに気が付いた。席は空、テーブルの上にはハチミツだけ乗った皿に代金がべっとり乗っている。


 追いかけて行ったのか、だとしたら、投げた木の枝を取りに走る犬ね。やっぱり胸に頭の養分を取られたようね。


 色々思いながら代金を置いて、そそくさと店を出ると、外は夏だった。


 途端に焙る太陽の光、暑く乾いた風、埃っぽい地面、このお店と同じくボロボロの家々が続くさして広くない通りには、お祭り騒ぎで人が溢れていた。


 彼らが見つめる方向と、喧騒から、マミーがどちらに向かったかは一発でわかった。


 その方向から背を向ける。


「いかかでした?」


 自然とあたしの右横に並んで歩く男を、あたしはチラリと見上げた。


 着ているのはあたしと同じような茶色いマント、見えている足は角ばった黄色いブーツ、その他見えている部分も黄色く塗られた鎧で固めて、腰には鍔に宝石をはめ込んだ剣を帯びている。


 着ている男は、茶色い髪を短く刈って、日に焼けた肌には無精ひげ、右目に眼帯、無事な左目は眠たげで、くたびれた渋い中年、といった風貌だった。


 その姿勢はピシリと正しく、その歩きは上下に一切揺れず、けだるげな雰囲気なのにその右手はすぐに使えるように空けている。あたしの目はただものではないと最初から見抜いていた。


「さすがは一流のギルド、セブン・エッジ・ガーディアンズね。情報は正確だったわ」


「そりゃどーも」


「それで準備は? 整ってるんでしょうね?」


「もちろんでさ。残りのメンバーも予定の場所で待機してます。情報もバッチリ。後はあなたの指示一つでいつでも動けますよ。ですが、ほんとにやるんですか?」


「モチロンよ。そのために準備してきた。そのためのあなたたちでしょ?」


「ですがね。こりゃ、はっきり言って法律的には限りなく黒い。一獲千金狙いじゃないなら、もうちょっと平和にできませんか?」


「手紙による打診、弁護士通しての交渉、どちらもだめだったらこの手で、そう提案したのはあなたたちでしょ?」


「そりゃそうですが、そこまでやる必要がありますか?」


「だまらっしゃい。あたしはあなたたちを雇った。雇われたんならその通りに働きなさい」


 男は、やれやれと肩を竦めると、それきり黙った。


 これからが本番だった。

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