酒場『オアシス亭』2
……気がつけば店内は静まり返っていた。
誰も彼もが静まり返る中、動いてるのは目の前ではしゃぐ巨乳だけだった。
それでも口をパクパクさせるだけで、声は出せてない。
そうさせるだけの存在感が、そこにはあった。
長い手足にやたらとまっすぐな背筋、大股な歩き、それらの動きにも皺一つない服装は、白色で統一されたコーディネート、些細な皺もできないところから見ると間違いなくオーダーメイドね。
先の尖った革靴に、皺一つないまっすぐなズボン、その膝まであるロングコートに、間から見える胸元にはチョッキ、ネクタイ替わりにここだけ赤色のスカーフを巻いて、高級品ながらラフな着こなしだった。全部のボタンも白で、恐らく動物の骨を削ったものでしょう。その左手には大きな革のアタッシュケースを、頭には肩幅まで隠す鍔広の帽子を乗せてる。
服だけなら、間違いなくセレブか紳士に見えてる。
だけど、見えている肌の部分、両手に首から上の部分には、薄汚れた包帯を巻きつけていた。
幅広でカサカサな茶色い包帯、何重にも巻いて服の端から溢れるぐらいで、そこまでしても隠し切れないひび割れた肌、汗どころか血も涙もなさそうな乾ききったその顔は、絶対に生きた人のものじゃないわ。
むき出しの歯、穴だけ残った鼻に、落ちくぼんだ眼窩の奥にはほのかに黄色く、ハチミツ色に光って見えて、まさしく幽鬼、この世の生き物には止めもじゃないけど見えなかった。
マミー・ザ・ダイヤモンド、伝説のミイラ、その姿は服装以外、十年前と変わってなかった。
やっと、会えた。
「ほんものだーーーよね?」
間抜けで場違いな巨乳の声を無視して、マミーは店の奥、カウンターの前まで進んでいく。
目いっぱい広げた歩幅、なのに上下しない頭、両腕も降らず、カクリカクリと緩急つけたた歩きは独特で、滑稽で、だけどもそれを笑えるものはここにはいなかった。
そんなマミーが向かう先より、逃げるように場所を開ける酔っ払いたち、それと入れ替わるように店主がカウンター裏へと飛び込んだ。
ガシャンガシャン、慌てふためきいくつものハチミツのビンを引っ掻け落して割りながら、それでも店主はホープの前へに立つ。
「い、いらっしゃいませ」
ガジガジの笑みを浮かべる店主、その前に立つマミー、暫しの沈黙の後、静かに右手を上げると、真っすぐ店主の背後の、まだ崩れてないハチミツビンを指さした。
「…………はいただいま!」
返事して慌てて振り向きまた一つビンを割り、店内をむせかえるほどハチミツ臭くしながら、だけども店主は一つを掴んで振り返って、ドンとカウンターに置いた。
それを目にしてマミーは、指さしてた人差し指を上に向け、そこに中指と薬指を加えた。
「………………あ! あと三つですカ!?」
声の裏返る店主にマミーはただ頷いて返事した。
「で、デシタラ、お勘定も三倍となりますがぁ?」
欲をかいた、きっと店内の多くはそう感じたことでしょう。あたしのそう思う。
それだけの悪手、ハチミツ三つでも十分大儲けだというのに、余計な一言で機嫌を損ねて台無しになる、そんな考えもこの店主には浮かばなかったらしい。愚かなことね。
……だけどもマミーからはなんの変化も見られなかった。
ただ当然と、右手をコートの右のポケットに入れて、引き出して、カウンターの上にゴロリと、塊を三つ、転がした。
僅かに黄色、歪に歪んで曇りもあるが、それでも輝きは本物、この距離からでも本物とわかる、見事なダイヤモンドの原石だった。
それが三つ、どれもが親指の、それも足の親指の大きさで、カウンターの上に転がっていた。
あたしの目が確かだから間違いない、あれはかなり高価よ。
そんなのを、惜しげもなく出して見せる。これがマミー、これが伝説なのね。
「ハイヨロコンデタダイマオモチイタシマスデズ!」
威勢の良い返事を叫びながら店主は全力で振り返り、ありったけのビンを割りながら追加で二つのビンをもってドンと置くや、ダイヤ三つを素早くかすめ取った。
後はもう、その目は巨乳の時同様、ダイヤモンドしか見てなかった。
こんな露骨な反応にも慣れてるらしく、マミーそのままビンに包帯ぐるぐるの左手を伸ばすと、一つを掴んで右手で蓋を開け、中を覗きこむ。
ビン、ああ見えてねじ式、きっちり密閉できる高いやつのようだ。そこには金をかけてるのね。
それを続けて三つ、開けて見て閉めてを繰り返し、二つはふたを閉めてコートの内側、多分ポケットに入れて、最後だけは蓋を閉めずに掴んで持ち上げた。
そして大きく口をパカリと開く。
歯だけが並んで、舌もない口、乾いた穴、その中へ器用にこぼさずねっとりと、瓶の中のハチミツを流し込んでいく。
味わう、と言うよりも別の入れ物に移し替える、に近い動作、下品な飲み方、お里が知れるわ。
と、ガタリと、音がした。
見れば男が一人、立ち上がっていた。
艶のない黒髪に痩けた頰、目の下のクマ、口からはヨダレ、イかれた眼差し、危ない男だった。加えて、細身の体に薄っぺらい革の鎧を被せて、右手に抜き身の剣とくれば、完全に追い剥ぎじゃない。こんなのよくもまぁ店に入れたわね。
そんな男が立ち上がり、静かに、片手で剣を振りかざして、フラリとマミーへ向かって歩いて行く。
それに気付けてないのか、マミーはそのまま飲み干して、開いてた口を閉じると、口周りに残るハチミツを袖で拭った。
危険、事件の発生、流血の予感、なのに声を上げたのは一人だけだった。
「あ! あ! 危ない!」
巨乳の警告を合図に事態が一気に加速する。
「うがああああああ俺にもお恵みよこせええええええええええ!!!」
奇声をあげて駆け出す男、踏み切って飛んで真上からマミーのおしゃれな帽子へ、切りかかる。
対するマミーは、これまでが嘘のような素早い動きで振り返った。
同時に、あたしの目にさえ残像でしか残らないほどの速さで、右手をコートの内側に滑り込ませ、そこから引き抜くや煌めきを走らせた。
刹那の一閃、火花が飛んだ。
遅れて音、バリンガシャン、割れたのはカウンター奥のビン、割ったのは、切り飛ばされた剣の切っ先だった。
「なぁ、あ?」
空振りした男、呆然と、手に残る剣の残り三分の二ほどを見つめて、だけども闘志は失わなかったらしい。さらに襲い掛かろうと前を向く。
そんな男を止めたのは、その喉元に突きつけられた鉈、その刃先の鋭い煌きだった。
「……冗談でしょ?」
思わずあたしは呟いていた。
それだけ信じられない輝きだわ。
だけど、あれは、あれも、間違いないでしょ。
マミーの鉈は、その全部がダイヤモンドだった。
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