第151話「三和は警告する」
「わからない」
――あなたたちの学校は気を付けた方がいいって。
次郎は三和のその言葉にそう返答した。
彼はズルズルと腰の位置ををずらし椅子に寄りかかる。そして、うなじ当たりを椅子の背板に預けるようにして天井を仰いだ。
「なんで、学校が狙われるんだよ……前に……サーシャだろ、襲われたのは……標的は」
まるで天井に向かって話しているような態度。
少しだけ知っている女の子が突然現れて、学校が危ないと言う。
そんなことにわかに信じられるはずがない。
今はサーシャの護衛とかやっていると聞いている。だが、この少女はついこの前自分達を襲った相手である。
「……あの時と今は違う」
隣に座っている三和はそう言葉を返す。そして、右手をスッと顔の前に出した。
彼女は突拍子もないことを聞いてあきれ顔で天井を見上げる次郎の顔と、自分の右手を見比べた。
おもむろに伸びる手。
見上げたまま無防備になった次郎の喉仏を軽く押した。
次郎はビクンと体を跳ね上げ、反射的に咳き込む。
まともに息ができず苦しんで椅子から転げ落ちた。
「人の話は聞く」
ボソッと命令口調でそんなことを言う三和。
彼女は無表情のままだが、その眼差しは少しだけ冷たさが増しているように見えた。
ひきつった顔の大吉。
絶対に関わってはいけないタイプの女子だということを思い出す。
「……げほ……なんだよ、いきなり……つうか」
地面のタイルに膝と手をついたまま見上げる次郎。
薄暗い店内、その陰影も手伝って見下ろす三和の顔が怖い。
「……真面目に聞く」
そんな彼女の声は少しいじけた風に聞こえた。
「どいつもこいつも、俺のまわりはなんでこう暴力的な女子ばかり……」
顔を上げようとしたが、次郎はやめた。
ラッキーなアレが起こりそうだという状況が次郎のセンサーにひっかかった。
警告音が彼の頭の中で鳴り響く。
傍から見ればラッキーだが、その代償があまりにも大きすぎるため、総合するとアンラッキーでしかない。
目の前にある三和の黒いタイツに包まれた足。
見上げればスカートの中を見てしまう。
それはもう一度痛い目に合うことを意味する。
彼は挑戦者ではない。
パンツを見たなら速やかに、そして容赦なく命を狙ってくるような相手であることを知っている。
やばい。
避けなくては。
本能が言っている。
今までの状況が余裕も与えず、巻き込まれるようなラッキースケベであったが、元々石橋に聴診器を当ててから渡るような男の子である。
――アンラッキースケベの神様に勝った。
未来予測。
三和の可能行動予想。
鋭く、一瞬にして計算していた。
足を見ないように、そしてそんな風に見られないように、最新の注意を払って立ち上がろうとする。
この一年間で次郎は確かに成長していた。
「バカだな、次郎」
大吉が笑っている。
仕方がない。
テーブルの裏側にしたたかに頭を打ち付けたからだ。
一番恐れていたことは避けられたが、初歩的な失敗をしていた。
テーブルの下あるある。
もちろん、テーブルの上はガラガラガッチャンとなって、ちょっとした被害もでていた。
そんな中で大吉や三和は自分の飲み物を死守。
三和はそれだけでなく器用に次郎が飲んでいたミルクたっぷりコーヒーを抑えていたぐらいだ。
たいした運動能力である。
だが、お冷の入ったグラスまでは、手が届かった。
お約束のように次郎の背中を直撃。
直接落ちなかったため、グラスは割れなかったが冷たい水を背中に被ることになった。
そういう訳で、背中からパンツのゴムまで濡れてしまった次郎。
「もう慣れた」
彼は口を尖らせて強がることしかできなかった。
そんな言葉を無視して口を開く三和。
次郎の不幸なんてどうでもいいという表情だ。
「今、手元にはない……だけど学校の図面、それと予定表を持っていた」
大吉が不審な目を向ける。
「誰が?」
さっきの騒ぎから落ち着く暇もない、話をどんどん進めていく三和。
ついていけない大吉がつい口を挟んでいた。
「敵」
そっけなく答える三和。
「敵って」
次郎がおしぼりで背中を拭きながらそう言った。
「……知らない方がいい」
「なんだよそれ」
大吉の反応に興味はない。そんな対応で彼女は話を進める。
「建物内部の寸法まで書いたような図面」
「他には?」
大吉が肘をついて両手に顔を乗せている。
遠慮のかけらもなく、三和に呆れた表情を見せている。
「ない」
大きなため息をつくのは次郎。
「そりゃ、誰も信じないな」
「……だからこうして言いに来た」
「子供だったら騙せるって?」
そう口走った瞬間だった。
大吉が驚きの声を出す暇もなく、三和の顔がテーブル越しに数センチ前まで近づいていた。
テーブルから乗り出しているにも関わらず、モーションがない。
「騙そうなんて」
三和がテーブルの上から身を引き、椅子に背中をつけた。
すると次郎が口を開く。
「またサーシャを襲おうためのウソか? ほら、何度かあったし」
「今さらサーシャ・ゲイデンを襲う価値なんかない」
――敵にとって。
三和はそう言うと紅茶を音もたてずに口に含んだ。
「学校の図面……あの学校に軍事的価値はない」
「いや、図面マニアとか」
「彼らは余計な情報収集をしない」
「つうか、どうやってそんなもん手に入れたんだよ」
「言えない」
「……」
はあ。
次郎と大吉は同時にため息をついた。
「敵の目的は、厭戦気分の醸成」
「えんせんきうん? じょうせい?」
大吉がげっそりした顔で質問する。
「国語辞典を引けば」
「へいへい」
「モスクワ……帝国の参戦を妨害」
「学校でテロをして?」
次郎が眠たそうな顔のまま聞く。
「そう」
「ない、それはない、子供の俺でもわかる」
「……」
「テロなんてしたら逆効果だろう? ほら、子供が殺されたら、普通は燃え上って、復讐! ってならない?」
「その可能性もある」
「なんだよそれ」
「まだ……これは情報なんて言えるような代物じゃない、要素が足りない、私のカンでしかないし大人は誰も信じない」
「……」
互いに呆れた顔。
「でも」
三和は表情を変えない。
「学校の図面とスケジュールを敵の工作員がただ単に持っていた……ただ単に持っていた……ただ単に……それを肯定する情報はどこにもない」
彼女は目を細める。
「可能性は否定できない」
学生達の虐殺。
その可能性。
それで厭戦気運を高める方法がこの学校にはあった。
この学校の悲劇。
その記憶。
三和はまた紅茶を音を立てずに飲み込んでいた。
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