第148話「さきっちょには気を付けろ」

「暑い! 暑い! 死ぬう!」

 非常識な叫び声を上げる大吉。

 真冬の北陸。

「水うう、水うう」

 しかも今年、金沢の人々が口々に寒さがひどくて大変だと言う。そんな寒波と雪の当たり年。

「もう無理! 脱ぐ!」

 大吉同様に汗だくの次郎もそう言って足を止めた。

 鼻水と汗が混じって、唇から流れ込む液体がしょっぱい。

 彼らが着込んでいたウインドブレーカー。

 教官達に暑くなるから脱いどけと言われたが、あまりの寒さにガンとして聞き入れなかった二人。

 今になっては言う事を聞いて置けばよかったと後悔しているが、もう時間は戻らない。

 二人とも、こんな真冬のしかも雪の上で熱中症の一歩手前である。

 とうとう二人そろって、その下に来ているジャージまで脱ぎ捨てた。

 雪の積もったグランド。

 二本の細い轍。

 グランドの形にそって、数個円が描かれている。

 走るスキーのコースである。

 学生たちが教官達に煽られながら、滑って走って運動を続けている。

 もちろん二人もいっしょに。そして、暑さの限界にきて、止まっていた。

 発狂したようにウェアーを脱ぎ捨ててタンクトップ一枚の次郎。

 大吉も白シャツ一枚である。

 気温はマイナス二度。

 今年はとても冷え込む日々が続き、今日も例外ない気温である。

「気持ちえええ」

 異口同音に唸る二人。

 そんな二人にひとりの教官が反応した。

「サボってないで走りなさーい!」

 白くて長いストックをぶんぶん振り回して真田鈴が叫んでいる。

 スキーが得意な彼女は今日のスキー訓練の担当教官である。

 ちなみに今日はあれなので、機嫌が悪い。

「やべ、鈴ちゃん怒ってる」

 大吉が慌てて轍――走るスキー周回コース――に戻る。いや、戻ろうとしたが、とっさに下がった。

「邪魔ああああ! どけこのやろー!」

 猛スピードで走り去るジャージ姿の女子が来たからだ。

 大吉の近く、その金髪をなびかせながらあっという間に通過していく。

「どいてえ!」

 猛スピードの女子がもうひとり。

 サーシャを追うようにして、滑っていく。

「……なんだ、あれ、楽そうだな」

 大吉や次郎の場合は滑るというよりも、バタバタ走っている状態である。

 普通に走るよりもきつい。

 重いスキー板や、ストックで推進するため、無駄な力を使い過ぎて嫌でも体が発熱する。

 止まると冷えてくるが、Tシャツ一枚でも十分なぐらいなのだ。

 それに比べてサーシャや風子は普通に走るよりも、楽に前へ前へと進んでいるように見えた。

 あれだけランニングが嫌いな風子にしても、彼らの三倍以上のスピードとスタミナで過ぎ去っていくのだ。

 彼女の場合、うまく体重移動をさせて走るというよりも、無駄なく足を運び、滑っているような感覚である。

 そんな風子もあれだけ必死に走っているのは、サーシャと勝手に負けず嫌い選手権を始めたからだ。

 スイースイーと風子が滑っていると、横をサーシャがスウッと抜いて行く。

 このように、スキーが得意な学生達はこぞって勝手なレースを始めていた。

「いくぞー、鈴ちゃんに怒られる」

 今日はなんだかコワイということはわかっていた。

 理由は子供なのでよく知らないが。

 ぐいぐいっとストックで地面を押して次郎は進みだした。

 もちろん、動かしたスキー板は滑ることなく、かんじきと同じように歩いている感覚である。

「ふおおっ」

 叫び声をあげる次郎。

 重心を背中に乗せてしまったからだろうか。

 板は前に進まず、踏み込んで前に押そうとした左足の板がうまく乗らず、逆に後ろにずれてしまった。

 前にも進めず、ストックで辛うじて倒れないように踏ん張る。

「やばい、やばい」

 スキーを履いてからというもの、ずっとこの単語しか言っていない次郎。

「九州人にスキーとか拷問すぎるし、うぬぬ」

 踏ん張ろうとすればするほど、どんどん右足と左足が前後にずれていく。

「くおおおおお」

 運命に抗おうと必死な形相で踏ん張る次郎。

「ごめん、俺先行くわ、がんばってな」

 大吉が次郎を追いて進もうとする。

「まって、大吉、俺を助けるところだろう、ここは」

 はあはあ言いながら次郎が上目使いで大吉を見上げる。

 股を思いっきり開いた状態になっている次郎の顔は、大吉の腰のあたりまで落ちていた。

「だって、あれだろ、オチ的にはふたりでからんで、ゴッツんこだろ、そりゃー風子さんとならやるけど、お前なんかと、なんで三島を喜ばせないといけないんだ」

 遠くで三島緑ではなく、カウンセラーの梅子先生がくしゃみをしたが、彼らがそれを知る由もない。

「大丈夫、それはない……そうしないと、俺の股が、股が……さ、け……るうう」

「あきらめろ、次郎」

 横に倒れろと言っている。

「嫌、だ」

 ぐぬぬぬぬという声を出しながら、どんどん後ろにずれていく左足を前に持っていこうとする。

「大腿四頭筋んんん」

 必死すぎる次郎。とうとう、自分の筋肉に話しかける始末である。

 その時だ、グッと下がった左足が前に出たのは。

「お、おっ」

 板が前に出るような感覚。

「まずは、板にちゃんと乗らないと」

 風子の声だった。

 一周まわってきた風子が、ストックで次郎の板を前に押し出したのだ。

「じゃ」

 スーッと滑り出す風子。

「あと、大吉くん、ゴッツんこ、しないから」

 ガクガクと震えた大吉。

「やばい、聞かれてた」

 体の大きさとは反比例して声がでかい大吉。

 デリカシーが足りていない。

「どうしよう、なあどうしよう、またフラれた、やばい」

 やばいやばい連呼する男子にロクな奴はいない。

「新しい恋だよ、新しい恋、見つけろ」

 肝心な時に友情を捨てた友にはそっけない次郎。

「そんなあ」

 頭を抱える大吉。

 ――もうだめだもうだめだ。

 とブツブツ言う大吉。

 ――絶望だ。絶望だ。絶望だ。

 メンタル悪化中である。

「本当の絶望を知りたい?」

 サク。

 大吉のお尻に刺さる、ストックのサキッちょ。

「痛い! 体罰! 鈴ちゃ、いや真田中尉っ、ちょ、ま」 

「早く走ってねー」

 サク。

 容赦なく次郎のお尻にもストック。

 右のストックで大吉。

 左のストックで次郎。

 彼女はストックを使うことなく、スケーティングで軽々と進んだ。

 笑顔。

 だが、口の端がピクピク動いている。

 どうも虫の居所が悪いようだ。

 三カ月に一度あるかないかの重い日だった。

 無性にイライラするときもある。

 そういうことで、今日の真田鈴は鬼教官であった。

 言うこと聞かない男子生徒には実力行使である。

「ぎゃああ」

「うわあああ」

 走る次郎と大吉。

 サク。

 サク。

 後ろから付いて滑っている笑顔の鈴。そして、彼らが手を抜いてスピードを落とすと容赦なくストックで刺すのだ。

「スキーなんて大嫌いだあああ!」

 次郎と大吉は泣きながら叫んでいた。

 しょうがない、鈴が得意とするスキー、そして体調的に当たりなのだから。

 いつも癒し系である鈴ちゃんは消えていた。

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