第147話「届いて欲しいもの」
「走れー、この腐れ〇ンゲ共!」
雪が積もってはしゃぐのは子供だけじゃないらしい。
「クロっ! てめえ、ぶん殴ることしかできねえとか、ほんと使えねえ!」
ストック。
人をつつくと、痛いらしい。
グランドに降り積もった雪でさっそくスキーをしている現役の兵士達。
怒声を浴びせ、前に走れない兵士を後ろからストックで容赦なくチクチクしているのは綾部軍曹だ。
とても楽しそうだ。
この季節、雪が降ればスキーを出して、朝から走る。
軍隊のスキーは滑ることもあるが、走る方が多い。
カパカパと踵が浮くタイプのスキー。
板の裏はうろこ状の窪みがあって、雪の上を歩いたり、走ったりできるようになっているのだ。
雪原での戦闘は、このスキーを履いて起動し、滑りながら射撃をして相手の陣地に突っ込む。
遠くロシアやスウェーデンで確立された冬季の戦い方である。
そういう文化もあって、こうやって雪が降ればスキーを出してはしゃぐ……もとい、訓練しているのだ。
汗だくの兵士達。
朝っぱらから酸欠状態、または熱中症でぶっ倒れそうになりながら走っている。
スキーは全身運動である。
慣れない者は下手に走るより体力を消耗するのだ。
「クロばか、こんなところでゲロ吐くんじゃねえ」
綾部が笑いながらストックでつついているクロ――春先に次郎と格闘してるところに乱入した綾部に失神させられたかわいそうな男――は膝をついてオエオエ言っていた。
「雪をなめんな! 雪を!」
いつになく、はしゃいでいる綾部。
雪を見ると、少しだけ無理をしてしまう性質だった。
そんな姿を見ている学生達。
ドン引きである。
もちろん、サーシャや幸子といった雪国に慣れた子もいれば、緑のようにスキーを履くのが初めてという子もいる。
ちなみに風子は何回かスキーに行ったことがあるぐらいであった。
そして、九州は長崎出身の次郎なんかは、スキーなんて冬季オリンピックでしか見たことがないぐらいである。
軍隊のスキー。
防寒用の分厚いブーツに、金具で取り付けるだけなので、足首などはまったく固定されていない。
だから走りやすいのだが、滑降するには下半身の筋肉を酷使することになる。
でも今日はグランドの平地を走るだけなので、あまり問題はないのだが。
「あっちのバカ達はほっといて……間違えた、現役の兵隊達は気にしないで、とりあえずスキーを履きなさい」
いつもよりも化粧に気合が入っている真田鈴が学生達に指示をする。
ジャージ姿に浮くんじゃないかと、風子は思う。
この訓練、汗を激しくかくのでジャージでやっているのだ。
ジャージに防寒ブーツ。
なんともヘンテコな格好だが、綿でできている普段の作業着を着ると、汗も発散できず、体を冷やしてしまう。
この寒い時期に体を冷やすと一大事であった。
そんなことをしているうちに、学生達も準備ができてきた。
学生の姿を追うカメラ。
前田通は真剣な表情で彼女達をレンズ越しに見ていた。
「やばいやばいやばい」
悲鳴を上げて尻餅をつくのは次郎だ。
お約束のように初めて履いたスキーの不自由さに驚き、腰が引く、そして初心者アルアルで尻餅をついていた。
「……ぶざま」
プッと笑うサーシャ。
とってもうれしいらしい。
「大吉……だづけて……」
泣きそうな声で手を伸ばす次郎。
「しょーがねえなあ」
と言って手を伸ばして掴んだ瞬間、大吉も倒れる。
もちろん大吉も初スキーである。
「……はあ」
風子はため息をついて手を伸ばす。
「大吉くん、手」
男二人、絡まり合って動けない状態である。
そんなのを放っておくこともできない風子姐さんがストックを二人の近くに刺して土台にし、手を伸ばした。
「大吉、待て」
そう言ったのは次郎だ。
「このパターンはやばい」
雪が顔にかかって眉毛が白くなっている彼は、真顔でそんなことを言った。
「あれだ、きっとビンタされる」
手を差し伸べる、風子がひっぱられる、次郎に覆い被さる、胸――っぽいの――が次郎に乗る、ビンタされる。
を、略して『きっとビンタされる』である。
高校生になって年も越した。
さすがに学習能力はある。
「……京、手を」
近くにいた男子に声をかけた。
「……たく、ほんと運動神経いいか悪いかわか……うわっ」
宮城京。
彼もスキー初体験である。
ぐしゃ。
男三人、雪にまみれどうやったらここまで絡まるのかというくらいに絡まっていた。
スキー板。
一般のスキーと違い、重い荷物を背負って歩くことも想定されているので、背の高さぐらいはある長さなのだ。
そのため、絡まると抜くのが大変であった。
男三人。
お互いの息がかかるぐらいの距離に顔がある。
下手すればキスをしてもおかしくない距離である。
「ふおおおおお」
興奮する緑。
彼女は南国育ちだが、富士山のふもとにあるスキー場にいったことがあるので、経験者である。
一応余裕があった。
興味がなさそうにしている幸子だが、チラッチラッと見ていることは緑にはわかる。
同じ匂いがすることは、夏の時点でわかりあっていたから。
「で、どうするの」
風子が蔑んだ顔をしている。
「た、助けて」
次郎も背に腹は帰れない。
ラッキースケベかBLか。
さすがに公衆の面前で、大吉や京とキスはしたくない。
やれやれと風子が手を伸ばそうとした瞬間、パシンと手が弾かれた。
「そんなわかりきってることをさせるかあああ」
そう言って手を払ったのはサーシャであった。
「どうせ、そのままお約束で、きゃあのばたばたーのむぎゅうで、ジロウのエッチ―なんでしょ」
ああいう本の読み過ぎである。
この金髪娘。
「とりあえず、スキーを外せば」
その通りである。
前と後ろ。
このタイプのスキーは二か所で止めてあった。
したがって、簡単にその金具を外すことができる。
外せばスキー板も別になるので、自力で立ち上がることができるのだ。
「ラッキースケベはさせないっ」
そう啖呵をきってサーシャは屈んだ。
次郎達の金具を外すために。
バコン。
彼女の脳天で割れる雪の塊。
「……ってえ、こんのおお」
怒りに燃える瞳で振り返るサーシャ。
その視線の先には綾部に向かって雪玉を投げまくる兵士達の姿。
はしゃぐ綾部があまりにもうざいので、兵士たちが反乱を起こしたのだ。
「やってられっかー、ちくせう!」
「ひとのケツ、さんざん突きやがって」
「このクソ軍曹! 調子にのりやがって」
「事務所帰って、下手な文書書いて副長にしばかれろっ」
「俺の鈴ちゃんを返せえ!」
そんな叫び声をあげながら、兵士たちが一方的に綾部に雪玉を投げつけているのだ。
その恨みがこもった流れ雪玉がサーシャにあたったのだ。
「こんのおおおお」
目の前の絡まった男達の救出はあっという間に忘れたサーシャは仕返しをしようと立ち上がる。
体を振り向かせて、雪を投げつけようとした。
狭い場所である。
スキーを履いているときに、急な動きをしてはいけない。
方向変換するにしても、長いスキーはいろんなところにひっかかるのだ。
そして、バランスを失った瞬間倒れる。
「あれ?」
情けない声を出すサーシャ。
見事にバランスを崩した彼女はもがく男三人の上に覆いかぶさるようにして倒れた。
お約束。
万歳。
『以上、陸軍少年学校の活気あふれた風景でしたー』
週末の夕方。
放送があると聞いて、ローカルニュース番組を見ていた学生達は一斉にブーイングを飛ばしている。
たった三分間のレポート。
一週間も密着取材したのにたったこれだけだ。
サーシャがインタビューされる映像が出たが『日本の食べ物美味しいです』のひとことで終わっていた。
「なんか三〇分ぐらい話をしたけど」
もちろん、そんなものは編集されている。
遠くの間合いから写した画像だろう、雪の上で腕立てをする男子の背中、遠くから写されたスキー訓練の映像、そしていつになく真面目に話を聞いている授業の風景であった。
最後にサーシャやボブといった留学生の一言が入って映像は終わりである。
幸子も留学生だが、なぜかカットされていた。
そんな映像がフェードアウトし、スタジオのニュースキャスターが『メリハリがあって活気あふれる高校生活ですね、では次』という一言で特集は終わっていた。
「……なんか、テレビって大変だよね」
風子の正直な感想だった。
「あれだけ取材して、三分間で終わるし……あの前田通さんなんか、いっさい出てないし」
まあ、風子や緑にしてみればあのボサボサ頭の朝が放映されなかっただけで、安心しているのだが。
他の、いろいろ準備していた女子たちは物足りなさでいっぱいかもしれない。
そして、そんな女子たちよりも、もっと不服なのは、十数年前は女子たちだった人々である。
「……ないわ、まったく写ってないし」
ため息をつく鈴。
「ついでに、あなたの彼氏も写ってなくてよかったねー」
厭味ったらしい声を出しているのは同期であり、中隊副官でもある
鈴の彼氏……綾部のあの姿が放映されていたら、少年学校の品位を低下させるということも含まれている。
「なに? 晶……自分は出張に行ってたから全然気合も入ってなかったからって」
「……珍しく、鈴がこの学校で気合いれてたって聞いたから」
「そ、そんなことないし」
「はいはい」
晶は余裕ある表情のまま、奥でこそこそしている伊原少尉に目を向ける。
「伊原少尉も写ってなかったらしい」
ニコッと笑う。
「わ、わたしは別に」
「伊原ちゃんも、すっごい綺麗にお化粧していたのにー」
鈴が頬をすりすりして伊原にすり寄っていった。
「はいはい、悪い影響与えない」
晶が二人に割って入って引きはがそうとした。
「伊原ちゃん、かわいかったんだよ、なんかいつになく気合入っていて、とっても」
もう遠くへ行ってしまった好きな男の人と最後に会った時と同じくらいに気合を入れてメイクしていた、と伊原は思う。
そんなんじゃないんだけど、なぜかそうしていた。
「どうしたの急に」
急に先輩風を吹かせる晶である。
「い、いえ別に」
「男」
「違います」
「だよねえ」
うなずく晶。
失礼な女である。
「なんか、すぐに肯定されても傷つきます」
寂しそうな声をだす伊原。
あ、と言って手を合わせる晶。
ガールズトークが苦手である。
「え、もしかして」
もう一人の先輩である鈴もぐっと入ってくる。
「あ、いや、もし写ってったら、元気にしてますって映像を送ろうかなって」
はははと笑って頭を掻く。
「親?」
「あ、まあ、そんなところですか」
伊原はそう言って笑った。
まさか、この二人を前に、あの人に送ろうと思うなんて言えない。
あんな遠くの。
モスクワに。
だいたい、自分が映っている映像を見せても、喜んでもらえないんじゃないだろうか。
そう伊原は思うのだ。
あの人が本当に大切に思っているのは別のことだというのは、よく彼女も理解していたから。
モスクワはもっと寒いと思う。
あの人は元気にしているんだろうか。
どうせ、まともに訓練もせず、ストーブの前にじっと立っているに違いない。
あの人は本当にダメな人だから。
伊原真はそう、願っていた。
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