第145話「言えない!」
「家の人は元気だった?」
サーシャが風子に質問を続ける。
風子が片親だというのは知っていた。
きっと娘の帰りを待っているんじゃないかと思ったからだ。
夏は自分の世話をするために、実家も帰らず一緒に長崎、そして沼津へとホームステイしてくれたのだ。
それもあったが、彼女の本当の狙いは、別にあった。
とにかくモスクワに帰った自分に話題がまわってこないようしたかった。
好奇心から、貴族のお嬢様がどんな年末年始を送ったか、間違いなく聞かれると思ったからだ。
そんなサーシャの質問に、動揺している風子。
――言えない! ……新しい男ができたって言ってはしゃいでる母親がいたなんて! ……そしてなんか知らないけど顔合わせさせられたとか……。
年始早々、げっそりしてきた風子。
――好きにしてください……お父さんとは思いませんから。
風子はなんとなくありふれた言葉を吐いていた。
他に言える言葉なんてない。
とにかく彼女はさようならと言って家を出て、ここに戻って来ていた。
そんな訳で、あまり実家の話はしたくない風子。
だから話をサーシャにふっていた。
「そ、そう、サーシャは? サーシャとかすごいんでしょ、やっぱり貴族のお嬢様とかは」
「え、あ、うん」
目を逸らすサーシャ。
「あ、もちろんパーティばかりで、疲れたというか、なんかバタバタしたというか」
確かにパーティーは何個もあった。
近くに戦争の影があっても、それとこれとは別である。
だが、サーシャが参加したというのは嘘であった。
「あのカッコいいお兄さんは?」
風子はその質問の枕詞『先日、蹴り入れた』はさすがに抜いている。
「海軍も忙しいって言って、あんまり居なかった」
そんなに軍隊に戻らずにいいのか、と思うほど彼は実家にいた。
――言えない! ……お兄様に『ゲイデン家の名を汚すな』と言われ、社交会は一切出席していないなんて。
サーシャの背中に影が入る。
――お兄様は、本当に私のことが嫌いみたい。
この年末年始、彼女は部屋からほとんど出ることができず、ひたすら愛蔵書を読みふけていた。
少し外に出ようとすると、兄の冷たい視線。
怖くて部屋に戻るサーシャ。
そんなわけでこの兄弟の闇は深かった。
「もしかして、シスコンなのかな、あの人」
この前の言動を間近で見た風子がボソッと言った。
「ぜんぜん」
大げさに目を開いてサーシャが否定する。
「昔からお兄様は私の事が嫌いで、あんまり会話とかもないし」
サーシャは本当にそう思っていた。
小さい頃から、ぶっきらぼうな兄。
会うたびに皮肉しか言わない。
だが。
――言えない! ……お兄様が毎日顔を出して『お前に似合うはずもないが』なんて言って服とか靴とか持って来たなんて!
どうもあのクリスマスから、さらにぎこちないことをする兄の行動を考えると、あながち嫌われているわけではないような気がする。
どちらかというと、重い何かを注がれているような気もしていた。
気付いているのかもしれない。
なんとなく怖いと思った。
だから話題をふる。
「さ、幸子は、北海道帰ったんでしょ」
少しかみながら、サーシャは幸子へバトンタッチ。
「う、うん」
この年末にロシア帝国とソヴィエトの緊張を受けて、雪解けムードも一気に消えてしまった東――極東共和国。
帝国と共和国の国境は緊張を増し、去年の三月には列車で国境を越えられていた。だが、今は航空機でさえ、直通でいける交通手段がなくなっていた。
中華民国経由の航空機で幸子は実家に戻っている。
久々の北の大地。
「雪とかすごいんだよね」
太平洋側にある沼津は雪が降ることは稀である、まして積もることはほとんどない。
幸子は道東の釧路に実家があった。
「道東って、あんまり降らないんだよね、山じゃないと」
北海道でも他の場所に比べて少ないのだ。
沼津と比べれは、また別だが。
「なんか、冬はこの学校、スキー訓練とかあるみたいだけど、いいなあ私スキーやったことないし」
すでに不安になっている緑。
確かにスキーをしたことない者にしてみれば、あの世界は怖いものとしか思えない。
歩くスキーも滑るスキーも怖い噂しか上級生から聞いていなかった。
「山にいけばスキー場もあるし、学校とかで授業でやってるから」
「そうなの? すごいな、北海道……行ってみたい」
釧路は漁港で栄えているが、極東共和国でも有数の軍都でもある。
極東共和国の精鋭部隊である機甲師団の多くは北海道に配置していた。
そのため、雪解けの時代であっても、西側の人間は北海道に上陸を許されていなかった。
「牧場がいっぱいあって、広くて……何もないところだけど、私は好き」
幸子が、少しうつむいてそう言った。
政治的な雪解けが消えてしまった今。
さらにこの友人たちを自分の生まれた場所に呼ぶことはできないという現実をひしひしと感じてしまったからだ。
「星も、綺麗」
あの雲ひとつない夜空。
落ちてきそうな、そして手に届きそうな星々。
「行ってみたいな」
風子がつぶやくように言う。
冬といえば、灰色の空しか見たことがないからだ。
幸子はただ、言葉は出さずコクリと顔を縦に振った。
「楽しかった?」
「うん」
幸子は笑顔で答えた。
家族と会う前に、軍の取り調べのようなことを受けた。
念入りな荷物の検査と、そしてお決まりの共産党を賛美する言葉を暗唱させられた。
尋問のような取り調べ。
学校内の配置、軍隊の状況、学校の各人のベットの位置まで話して、家族に会うまで三日もかかった。
軽歩兵補助服のことは特に細かいことを聞かれた。
さすがに設計図的なことまでは答えきれなかったが。
「北海道って寒いと思われてるけど、建物の中はすごく暖かくしてるから、そうでもないんだよね、どちらかと言えばこっちの方が寒く感じるかも」
幸子はそんなことを言った。
話題を変えたかったのかもしれない。
――報告は、あの衛星端末で。
ここに戻る前に、空港であった東側の人とすれ違い様に渡された。
今までは、月に一度の暗号化した文書をネット経由で送るだけだったのに。
――何か起こったら、すぐに連絡せよ。
それだけ言われた。
世界で西と東が緊張している。
こんな学校にいる自分に、どんな情報資料が入るというのだ。
――お前は両国の友好のために派遣された留学生でもあり、最前線に入っている斥候でもある。
そんなことを言われたことを思い出す。
「ねえ、もうお腹すいたし、緑ちゃんがもってきてくれたハンペン食べない?」
幸子はそう言った。
もしも頭の中で考えていることが、もしもこの中でわかる人がいれば、すごく怖い。
バカな妄想だと思う。
でも、そんな妄想を抱いてしまったため、とにかく思考を変えたかった。
嘘をついていることは、怖い。
人にバレるんじゃないだろうかと思うと。
妄想だとわかっていても。
でも、ひとり、こんなほんわかした教場の中で、そんなことを考えている自分が後ろめたかった。
「うん、食べよう」
何も知らない緑がうなずく。
「なんか、女子高生がはんぺんをおもむろに食べるとか、絵にならないなあ」
そう言いながらも唾液の分泌が多くなっているサーシャ。
「幸子ちゃん、いい年末年始、よかったね」
風子が何気なく言った言葉に対し、幸子は何も言えない。
ただ、笑顔で答えるだけだった。
両親と会って、ゆったりできた。
それは、間違いなく、いい年末年始だったに違いない。
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