第118話「森の妖精☆男クラ」

「……お疲れ、京」

「……」

 京の肩を叩く次郎。

 大吉も別の鶏を切ったため、なんとなくげっそりしている。

 そんなイベントも終わり、ひと息ついた後にあの時の鶏がどっさり入ったチキンカレーが目の前にあった。

 作ったグループのリーダーはサーシャ。

 それを思い出した四人は更にげっそりしていた。

 ロシア貴族ですおほほほほ、なんて言っているあのお嬢様が料理できるはずがないと思っているからだ。

 とんでもないものができるんじゃないかと予想していたからガクリときた。

 今日の午前中、あの苦労が水の泡になるに違いない。

 そもそも、最初はサーシャも一緒にコンパスもって歩く予定だった。だが、ロシア軍のミルは六四〇〇分割ではなくて六〇〇〇分割だから嫌だとか、次郎達にとってはどうでもいいことを言って残っていた。

 だいたい、ロシア人がカレーなんて作ったことがあるのか、そもそも食べたことがあるのかというのも疑問だ。

 ボルシチでも作るんじゃないだろうかと思う。

 いや、もうボルシチでいいんじゃないかと思うのだ。

 食べたことはないけれど。

 サーシャの手料理。

 ロシア帝国貴族のお嬢様の手料理だ。

 きっと料理なんかしかたことはない、そんな女子がつくる料理なんぞ爆弾以外なにものでもないだろう。

 ちなみに、他のおかずは鶏モツの煮込み

 それは風子がリーダーで担当していた。

 真っ赤に輝く秋空に浮かぶ夕日。

 この夕食を食べるためでだけに、一日中この演習場を歩きまくったのだ。

 さすがに腹も減ったし、どんな味だろうが肉と野菜を煮込めば食べれないものはないだろうと彼らは腹をくくった。

「い、色は問題ないな」

 プラスチックのプレートに盛られたカレーを見て、次郎がつぶやく。

「ボルシチって赤いらしいけど、これは、カレーの色だね……」

 俊介が頷いた。

「じゃ、じゃあ食べようか」

「……まて」

 スプーンを口に運ぼうとした次郎を制する大吉。

「まずは、風子さんのモツ煮込みを食べよう」

 こくりと頷く三人。

 彼らは、中隊の一団よりも少し離れた場所で食べようとしている。

 サーシャが見ているところで噴き出したりしたら、そりゃ恐ろしいことになるのは目に見えている。だから隠れていた。

 一方彼らは風子が働いている母親の代わりに食事はよく作っていたということを知っていた。

 たぶんサーシャよりは安全である。

 もちろん、まだサーシャのが不味いとは決まっていないのだが。もうすでに彼らはそう思い込んでいた。

 サーシャの怨念のせいだろうか、風子の作ったモツ煮込みまで禍々しい雰囲気を感じるのだ。

 色は醤油のせいで茶色だし、モツの灰汁とその形がアレなのでしょうがないのだが……一言でいうと、この男子たちは失礼である。

 男子達は恐る恐る口に入れた。

「うまい」

「美味しい」

「美味しかっ」

「んまい」

 京、俊介、次郎、大吉はそれぞれ違う称賛の言葉を口にした。

 のちに美味しかったと大吉が伝えると、彼女は恥ずかしそうに「レシピ通り作っているだけ」と答えている。

 男子達のため息。

 目の前にあるカレー。

 時間が経ってしまったせいか、お米が少しかぴかぴになっている。

「……」

 沈黙。

「覚悟、決めるか」

 京が目を瞑ったまま言った。

 瞼の裏には首を切ろうとした時に断末魔の叫びをあげる鶏――脳内で大げさになっているが――と『あはははははは』と壮絶な笑顔でカレー鍋をかき混ぜるサーシャ――もちろん想像――を思い浮かべてしまう。

 躊躇しながらも、勇気を振り絞ってカレーにスプーンを突っ込んだ。

 その時だ。

 がさっと音彼らの周りから音がした。

 彼らを囲んで一気に接近する黒い影が現れたかと思った時には、京の口と手を後ろから抑えられていた。

「……何モ、シャベルナ」

 イントネーションがへんてこな日本語。

「黙ッテ、コノカレートオカズ渡セ」

 気付けば屈強な男七、八人が彼らの手と足を抑えられていた。

「う……」

 うわああと叫ぼうとした俊介はすぐに口をふさがれ、曇った悲鳴しか上がらない。

「ワレラ、男ノ中ノ男ヲ極メシ森ノ妖精」

「お前、ボ……」

 ブと次郎が言おうとしたところで口を塞がれる。

 緑色と茶色のバンダナを顔にグルグル巻いたボブ・アームストロングは胸を張って言い放った。

「森ノ妖精ダ」

 いつから、森の妖精はこんなにむさくるしい筋肉男子になったのかと次郎は思ったが、声に出せない。

「黙ッテ、ソコニアル女人ニョニンガ作ッタカレーヲ渡セ」

 三中男クラ軍団。

 支給されている、野戦用の防寒下着。

 緑色のスパッツと長袖Tシャツ姿のボブたち。

 一応森の妖精に変装いたつもりのようだ。

 女子の作った手料理が食べたくて食べたくてしょうがないという男子の思い。

 それが彼らを森の妖精さんに化けさせ、このような凶行に走ってしまったのだ。

 男の子ゆえの哀しみ。

 哀しみの妖精伝説。

「大丈夫」

「何が、だいじょ……」

 うぶだ、と一瞬のスキを見て大吉が声を出すが、二人がかりで押さえられてしまう。

「交換スルモノハ持ッテキタ」

 武骨なジャガイモや人参がプカプカ浮いているカレーである。

 ボブはそういうと、丁寧にカレーを置いていく。

 代わりにひょいひょいっと取っていくカレーが盛られたプレートを見た彼らには、それが光を放ったように見えたのだろう。

 衝動的に妖精たちは手を合わせていた。

「これが、女子のカレーかあ」

「ありがたやー」

「アリガタヤー」

 男クラ達が目をキラキラさせながら、カレーを拝んでいる。

「デハ、サラバデゴザル」

 ボブたちは大切そうにプレートを抱え、闇に紛れていく。

 そして、あっという間に足音が聞こえなくなっていった。

「……あ、食器」

 ちゃんと返してねと俊介が言おうとしていたが、もう遅い。

 代わりに、三中と書かれたプレートが残っている。

 まあ、明日取りに行けばいいだろう。

 ぐう。

 タイミングよくお腹がなった俊介。

 よく動いたし、お腹が減っている。

 風子のモツ煮込みを食べても足りない、育ち盛りの男の子たちであった。

「……食べるか、とりあえず」

 大吉がそう言った。

 この男クラカレー、何気にいい匂いがするのだ。

 きっと不味いし汗臭いかもしれない男クラごはん。

 それでもいい。

 お腹がすいたから、もうどうでもいい。

 スプーンですくいとるゴツゴツした具が入ったカレーとお米。

 彼らは死なばもろともという心意義があったのかもしれない。

 同時に口にそのカレーを放りこんでいた。

 もぐ。

 もぐ。

「うまい」

「なにこれ美味しい」

「あ、美味しい」

「うまいぞおおおお!」

 最後は大吉の雄たけびが響いていた。

 男クラカレー。

 ほどよく効いたスパイス。そして、ぐつぐつ煮込んだのだろう、大きな具の表面が程よく溶け込んでうまみを広げ、コクのある味になっていた。

 そして、とどめが良く煮込まれた柔らかい鶏肉。

 隠し味はインスタントコーヒー。

 美味であった。

「大丈夫かな、あいつら」

 次郎がつぶやく。

「いいんじゃないか、好きでやってたことだし」

 京がため息をつきながら答える。

「んめ」

 ガツガツ大吉は食べる。

「ま、罪悪感はあるけどな」

「大吉、口の中にモノをいれたまましゃべるな」

 お父さんのようなしかり方をする京。

 彼らは知らない。

 男クラの宿営地でサーシャカレーの取り合いがあった挙句、勝者が栄光を掴んだまま空を見上げて口から火を噴いたことを。

 そして後味にシロップの様な甘さを感じ、悶えていたことを。

 カレーに砂糖をどっさり入れてはいけないのだ。



「最低、ヒルとかくっつくし」

 はあ、とテントの中でため息をつく鈴。

 あの森の中に潜んでいるときに、背中にヒルがくっついていたのだ。

 今はもう衛生兵にとってもらったから問題はない。

 だが、彼女は実際吸われていた時にまったく感触がなかったが、気になると、とった後とはいえ背中がもぞもぞしているような感覚に襲われていた。

「気持ちわるいー」

 そう言って、飲んだビールモドキ空き缶を足下に置いた。もう三、四本の空き缶が地面に広がっていた。

「お疲れ様」

 同じくビールモドキをグビグビ飲んでいる晶。

 確かに、あの森はヒルがでることで有名だが、実際にかまれたのを見たのは、彼女も初めてだった。

「めちゃグロかったし」

 ため息をつく鈴。

「……でも、鶏の解体は平気な顔をしていたじゃない」

 しばらくは鶏肉を食べる気にならない気分の晶である。

 ああいうのは苦手だった。

「晶はお姉さんぶってるけど、ああいうのには弱いんだ、かっわいい」

 そう言ってへらへら笑う鈴。

「お姉さんって、あんた何歳よ」

「まだ二十七歳」

 二人は同学年だが、春生まれの二十八歳の晶と冬に生まれた鈴では差ができていた。

「……強調するな、そこ」

 晶がジト目で鈴を睨む。

 すると彼女は目を伏せてため息をついた。

「……おばちゃんなのかなあ」

「どーしたの急に」

「……あの子達がさー、自分の母親と同じだって」

 ぶほっとビールもどきを吹き出す晶。

「な、なんで」

「あの、松岡くんのお母さんは三十四歳だって」

「な、なによ、全然上じゃない」

「……あの子達との差はひとまわり、お母さんとの差はその半分だからじゃないかな」

 唖然とした顔をする晶、そして怒りの顔に代わり。

「……松岡ね、うん覚えた」

 と言って笑顔になった晶。

 怖い笑顔である。

「それに」

「それに?」

「あの子達からすれば年増で熟女らしいわ」

「……誰が言った」

「宮城、一年生の学生長」

「よし、コロす」

 そう言って、彼女はビーフジャーキーをかじった。

「お姉さんをバカにするとは、良い度胸ね」

 やっぱり笑顔が怖い晶。

「そーよねー、ほんと」

 笑顔で返す鈴。

 これもまた怖い。

「あのクソガキどもめー」

「くそー、お姉さんをバカにすると恐ろしいことになるってことを思い知らせてやるー」

「ちくせうー」

「好きで歳とってるわけじゃねえっての!」

「女は三十からが魅力だってのにっ!」

 京も「魅力的」だと、そう言ったつもりだったが、あの言い方が悪かった。

 年上好きの宮城京。

 同級生の女子には一切興味がない。

 クールで、テキパキと何事もこなす中隊学生長。

 体力優秀、学業優秀。

 だが、唯一の弱点というか、性癖と言うか。

 もちろん表には出さないが。

 彼は残念なマザコンであった。

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