第105話「大人の俊介」
「え、だってふたりが聞いてきたし、あれ、違った……あ、雰囲気のこと? 普段はこわいけど、うん、けっこう、うん、かわいいよ」
「それは、なんのとき?」
「そ、そんなこと言えないよ」
言っている。
大吉がスッと悟った顔をしてゴシゴシタオルを膝の上に置いた。
「ごめん、俊介……いや俊介さんだ」
その言葉にうなずく次郎。
「俊介大先輩……かな」
「え、なに? え、どうしたの?」
「ははは、次郎、これが大人の余裕だよ」
「はっはっはっ、僕たちには無理だね、大吉」
そう言うと、俊介を無視してがっしり握手をする二人。
「え、なんで? どうして?」
目をパチパチさせる俊介。
勝者の自覚はない。
ポンポン。
二人の肩を叩く右手と左手。
俊介がいつの間にか二人の上に立っていた。
座ったまま振り向く二人。
「大丈夫、経験なんて早ければいいってもんじゃないよ」
顔を横に振る潤。
ポン、とふたりの肩を叩いてまた口を開く。
「男はハート」
そう言い残すと彼は湯船に向かっていった。
「ごめん、先行くね」
俊介もそう言うと立ち上がり湯船に向かう。
その姿をくわっと見つめる二人。そして、しばらく沈黙した。
「そうか……」
ため息交じりに言葉を吐きだす大吉。
「結局、ソコも大人なんだな」
頭を抱える様にして自分のソコを見る次郎。
潤のソコは、大人だった。
「……ハートだけじゃねえ」
「ああ、鍛えなきゃ」
「ああ」
そう言って立ち上がった二人は湯船に向う。
彼らは落ち着くのも早い。
その後、脱衣所に戻り体をよく拭いていなかった大吉が
小山はたまに学生風呂に来ては、トレーニング後の汗を流している。
体脂肪率ゼロではないかと噂されるぐらいにキレのいい筋肉とその般若の様な顔で風呂に入る姿を見た学生達は、きっと小山は自分の肉体を見せたがっているんだろうと噂をしていた。
ある学生が「小山先生キレてますね」と言ったら愛のチョップをくらったという逸話も残っているが、真実かどうかはさだかではない。
なにせ、確かめようという勇気を持った勇者はいない。
いや、勇気を通り越して蛮勇と言ってもいい。
そもそも、話しかけるのだって相当な覚悟を必要とする相手だ。
ただ、浴場から脱衣場に出る時に体をしっかり拭かないと、愛のチョップをくらうというのはよく目撃されていた。
頭のてっぺんにタンコブを作った大吉や連れの男子たちはそんな蛮勇があるはずもない。彼らは逃げるように浴場を後にした。
そして今は男子寮に向け歩いている。
建物と建物の間の路地に人影が見える。そして、立ち止まった。
「俊介」
小牧の声だ。
男たちが振り返ると、知っている顔がふたつ。
「「げ……」」
女子達が先に口を開き、拒否感たっぷりの声をだした。
「お元気ー?」
潤がニコニコしながら手を振る。
小牧ではないもう一人の女子は黒ぶち眼鏡をクイッと上げて、今にも唾を吐き捨てるような表情をした。
「今、元気がなくなった」
長崎ユキはそう言った後、顔を更にしかめる。
「あ、ども」
ペコリと頭を下げる次郎。
「上田に松岡……」
そんな楓の声に対し顔を背ける大吉。お互いのやり取りを見てオロオロする俊介。
腕を組んだユキが楓を庇うようにして一歩前に出た。
「……一年生の男子でしょ、すぐにその男から離れた方がいい、それといっしょにいると軽薄がうつるから」
「人をばい菌みたいに」
「あら、ばい菌のつもりで言ったんだけど、通じてよかった」
ユキはそう言った後、振り向いて楓を見る。
「楓ちゃん、気を付けた方がいい、あなたの彼氏くん、たぶんあいつに汚染されている、あなたたちが二人きりになったら彼氏くんがあなたを押し倒してくるから、ちゃんと守るものを携帯した方がいい」
コソコソ話ではなく、遠慮のない比較的大きな声でユキは話している。
そんなユキに対して、まさかすでに俊介は自分が押し倒しましたが……なんて言えない楓はあいまいにうなずいた。
「気楽でいいわねそっちは、学生会は明日の準備があるからまだやっているのに」
淡々と話すユキの言葉の端々には棘が立っている。
「学生会のお手伝い、そういうわけで私もあんたたちを応援できないから」
楓は次郎そして大吉を睨みながらそう言った。
学生会に入った彼女は立場的にも中立なのだが、それ以上のモノを含めて言っている。
「か、楓ちゃ……さん」
「俊介も、最近体が締まってきたからうれしいなんて言ってたけど、いいように乗せられているだけだから……こいつらには気を付けて」
「……」
「きっと俊介が明日の試合でヘマしたら、ひどいこと言われるだけだし」
大吉がキッと楓を睨む。
「そんなことはしねえ! 失敗しても仲間を責めるよう……」
ぐいっと次郎が大吉を制した。
今度は頭の上に手を置いて後ろに押している。
「……うん、信用できないのはわかってる、でもそういうことはしない、しちゃった人間が何言っているんだって自分でも思うけど」
「何それ、馬鹿じゃない」
険悪な雰囲気の一年生を前に、最初に火ぶたを切った二人の二年生がオロオロする。
「ま、あの男子くんたちも嘘ついているように思えないし、うん彼氏くんもいっしょにお風呂いってるんでしょ、ほら、ダイジョブ」
とユキ。
「小牧楓ちゃん? ほら、あの子あれだよ、ツンデレ、ツンデレ、今はツンツンしてるけど、きっとデレデレするからさ」
と潤。
すると、ギラッとした目つきで潤を睨んだのはユキだった。
火に油を注ぎ引火させてしまったようだ。
「はあ?」
「あれ?」
ニコニコ顔のまま汗がたらりと落ちる潤。
「あのね、ツンデレとか……女子はね、そんなにワンパターンじゃないの、わかる? おバカな男子がなんでもかんでもテンプレートにはめようとするほど単純じゃない、いい、女の子をね、そーゆー目でみるからいつまでたっても、バカはバカなのよ」
プンプンしているユキはそう言うと、楓の肩に手を置く。そして、ドシンドシンと足音をたてながら、おびえる男子達の隣を通り過ぎていった。
「まったく、教官に単純はダメだって言われているくせに……まったくお子様なやつらは……」
そんな言葉を背中越しに吐いて彼女たちはいなくなった。
――単純な答えが出た時は気を付けろ、それまでの過程が雑なことが多い。
もうこの学校にはいない、そんなあの人の声が次郎の頭に響く。
おや。
あれ、という顔をする次郎。
――教官に単純はダメだって言われてているくせに……。
なんで知っているのかな、と彼は思ったが考えれば考えるほど怖い話になりどうだったのでスルーすることにした。
これは無視してもいい話だろう。
そう結論付けた。そして、次郎が大吉と俊介に顔を向けた。
次郎は口を開いてしゃべろうとしたが途中でやめた、大吉が先に声をだしたからだ。
「ごめん」
頭を俊介と次郎の間に下げる。
「また、小牧にあんな態度とっちまった」
彼は次郎にも、そして俊介に対しても謝っていた。
「うん、あ、でも楓さんもあんな感じだったから、しょうがない……」
俊介がフォローしようとするが大吉が首を横に振る。
「俺、まだまだ
風子さんに嫌われる……という言葉を飲み込む大吉。この前、みんなの前で同期にあんなことを言った時に見た彼女の背中を思い出す。そして、俊介に迫ったときのことも。
初めて出会った時と同じ。
つい、カーッとなってしまって彼女と喧嘩した。
そういう思いから戒めようと思っていたのに。そんなことができる大人になりたかった。
でも、また失敗。
――情けねえ。
歯噛みをする大吉。
明日は体育祭。
楓と次郎の態度にハラハラする俊介。
何かつきものが抜けて、思ったよりも無駄な力が入っていない次郎。
様々な気持ちが交差する夜であった。
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