第106話「一回戦! 環の方陣」
両陣営の姿はお互いに見えない。
四〇〇メートルトラックを挟み、それぞれの目の前に障害物があるからだ。
学生達はお互いにインフィールドに入らなければ、相手の状況を確認できない状況であった。
体育祭一学年のイベント。
FWB――風船割りバトル――の開催。
体育祭でも一番盛り上がる瞬間である。
観客席にいる太鼓隊。
独歩九大隊の現役軍団が打ち鳴らすその太鼓の音がだんだんと激しくなっていった。
今年の一回戦は次郎達の第一中隊とお隣の第二中隊のマッチング。
一学年男子女子混合、学生四〇人どうしの戦い。
陣取りゲームではない。
ただ、ひたすら相手の風船を割った方が勝ちというルール。
太鼓の盛り上がりが最高潮に達っした。
ドン! カッ、カッ、カッ!
太鼓を叩く男たちの両手に握られたバチが天高く振り上げられる。
「「セイッ」」
その場の空気を押し出すような掛け声の後、力強く振り下ろされる両手。
ドオン!
重く響く一〇個の太鼓。
グランド全体に緊張が走った。
『始めい!』
大隊長がマイク越しに号令を出す。
開始の合図だった。
それと同時に一歩踏み出したのは一中隊。
ひとり。
たったひとり、ずんずんと敵に向かって歩みを進める小柄な男子。
透明の保護眼鏡を付けた顔、イモジャーに頭胸背中の三か所に紙風船が踊っている。
観客席から歓声が上がった。
まるで映画に出てくる古代中国の武将のように、彼は身長よりも長いスポンジ棒を振り回しながら登場した。
「我こそは! 一中の一番星! ビッグラッキー! 愛と友情の戦士! 松岡大吉!」
ここはしっかり練習したのかもしれない。
口上をたれながらぶんぶんと棒を振り回し、そして名を名乗った時は左手をばっと突き出し啖呵をきる姿は、なかなかきまっていた。
本人大満足である。
「まずは一騎打ちを所望したいっ!」
どうして、戦国武将のような言い回しをしているかというと、ただ単に国営放送の戦国武将ドラマにはまっているからだ。そんなどうしようもない理由だった。
ドン。
彼は地面を踏み込んだ。
観客がドッと沸く。
その空気は明らかだった。
全体の空気は大吉に対し、二中の猛者が一騎打ちに乗ってくることを待ち望んでいた。
だから、それがブーイングに変わのも仕方がなかったと言える。
大吉の前には誰も現れない。
そのかわりに遠くで「前へー! 進めっ!」という女子の号令が聞こえた。
女子の高い声は観客のざわめきの中でもよく響く。
二中の指揮官は
日に焼けた肌に癖のあるショートカットの黒い髪に鋭い目つき、そして動きやすそうなスマートな体系。
彼女の号令を受け、斉一した足音をたてながら、ゆっくりとズイズイッと人間の塊が動き出した。
ニヤリとする大吉。
「びびりがああ!」
そう言いながら彼は自分を鼓舞する。
四〇対一。
そりゃ大吉もびびる。
「一騎打ちもできねえのか! ひとりぐらい、勇気がある奴はでてこいやあ!」
二中は彼の挑発を無視。
その挑発を踏みつぶすかのように一歩一歩足を揃えて進んで行く。
横十列、縦四列、各人の間隔は人ひとりが入れるぐらいなので、横幅約一〇メートルの密集隊形。
正面は五メートルの射程がある水鉄砲を持った男女の学生。
一中の大吉以外の学生が、未だ身を隠しているのをあざ笑うかのように、堂々と全容を曝け出していた。
奥の手などない。
どこから敵が来ても、すべて跳ね返すという絶対の自信があるからこの体形を取っているのだ。
「そんなちぢこまった陣形、俺が蹴散らす!」
そう言った大吉は正面に向かって駆け出した。
「かまえっ!」
方陣の中央にいる環が号令を出すと、正面の学生が水鉄砲をかまえた。
飛び掛かるようにして近づく大吉。
「撃て!」
環の声で八丁の水鉄砲が一斉に高圧の水を押し出す。
だが、大吉には届かない。
水鉄砲の射程は五メートル。
彼はぎりぎりのところで後ろにステップしてそれを避けたのだ。そして、そのまま勢いを殺さず機敏に方向変換をして走りだした。
彼は水鉄砲は次の射撃をするまでに空気を送り込むためのタイムラグがあることは十分承知している。だが、そのまま正面から突っ込んで行っても二列目の水鉄砲が準備しているのは目に見えてわかっていた。
だから彼は右に大きく回り込むようにして側面を狙った。
正面が一〇に対して側面は既に射撃した人間を除くと三。
棒を横薙ぎにしようとふり被る。
あと一歩。
彼はそう思った。
――狙うは頭の風船。
水鉄砲はピンポイントで頭や胸、そして背中の風船当てる必要があるが、棒はそうではない。
――もらった!
そう思った瞬間だった。
彼はニヤッと笑う環と目が合う、それは彼女が「左翼隊形を作れ!」という号令を出した後であった。
一〇個の水しぶきが一斉に大吉を包んだ。
三ではなく一〇。
彼は頭の上の割れた風船に手を当てた瞬間、がくりと膝から崩れ落ちた。そして、顔から垂れる水を拭うことなく目の前の人間の壁を見上げる。
太陽を覆い隠すように、彼の見上げた方向には人間の壁ができていた。
「おいおい、こんなに早く隊形変換できるなんて……」
ガくりと大吉は膝をつく。
「次郎……悪りぃ、後は頼んだ……とりあえず手の内は……果たしたぞ……」
そんな大吉を嘲笑するかのようにして冷たい視線を送る環。
列の中から彼を見下ろし言葉を出す。
「威力偵察のつもり? わかったところで崩せる陣形ではないけど」
――
環は心の中で叫んでいた。
二中隊教官である
応援席の方ではジャージ姿で首に白タオルを巻いた伊原少尉が仁王立ち。一八〇センチを超す身長のためその姿は遠目にも目立っていた。
教官主導で訓練をしている二中隊。
この方陣での戦い方は伊原の意思が入っていた。そういうわけで、彼女も手に汗をにぎって応援している。
「いけー! 副中隊長の分もがんばるんだっ!」
正確に言うと元副中隊長。
先日、転属した野中大尉のことである。
「団結を副中隊長の元まで響かせるんだ!」
興奮して叫んでいた。
ちなみに、一中は寡黙で有名な林少尉が担当教官だ。
彼は中隊長の「教官がしゃしゃりでたら面白くない」という方針を受け、戦法から練習方法まで学生任せで教官は口出しをしていない。
いつも黙って見守るだけだった。
そんな戦場で大吉は人間の壁に圧倒されたかのように、芝生の上に後ろに倒れていた。
「大吉っ!」
障害物の陰から飛び出そうとする次郎を京が手で制する。
「自重しろ」
「くっ」
「次郎は大将だろう……それにしても二中のやつら……ただの方陣と思ったがあんなに早く隊形変換ができるなんて」
京がそう呟く。
「あれじゃあ、側面だけじゃなく背面もすぐに対処できるようにしているのは間違いない」
次郎がそう言って、目を閉じる。
考える次郎に対し京は言葉を続ける。
「あの方陣の中には間違いなく四〇人全員がいる、もう手の内はないと思うが、ここは……」
「ごちゃごちゃ言う前に動かせ」
京の言葉を遮ったのはサーシャだ。
片手には一メートルぐらいの棒を持っている。
「躊躇は戦機を逃す」
彼女はそう言うと右手を挙げた。
十九人の男子と女子が立ち上がる。
「けっきょく、あんなガッチガチの敵なんて引っ掻き回して、飽和状態にして潰すしかない」
格好良さが際立つサーシャさんである。
彼女は次郎と一瞬だけ目を合わせた。そして、学生を引き連れて表に出て行く。
その視線を読み取った次郎は頷く。
「うん、サーシャが言う通りだ」
次郎は立ち上がった。
「サーシャ隊が当たっている頃合いを見て、本隊は一気に走って背後を突く、準備を」
そう指示を出した。
次郎たち一中隊のコンセプトは包囲である。そこで大きく三つに部隊を分けていた。
正面から敵を迎い撃って拘束する役割をもった、サーシャが率いる十九人の部隊。
翼側から機動して一気に後ろに回り込む次郎率いる八人の精鋭。
そして、京が率いる十三人は比較的足が遅い後続の男女混成部隊。彼らは次郎達精鋭部隊の後続となり衝撃力を増加する役割だ。
ちなみに風子や緑、楓や俊介はこの後続部隊の一員である。
一中のコンセプトである包囲と言えば聞こえがいいが、三つの部隊に分割しているため、それらが合わさるタイミングを間違えば各個撃破を受けるというリスクを背負っている。もちろん、それは自由に動くことができ、かつ動きが読めなくなるため戦機を作り出しやすいが、常に戦力を分散してしまっているデメリットがある。
逆に二中は最初から戦力を集中できているが、固まったまま動くのは鈍足にならざるを得ない、そして手の内を見せているというデメリットがある。
「分散!」
サーシャ隊の装備は水鉄砲である。彼女を除き二人一組になり、九個組が四メートル間隔で並んだ。
各組はお互いが掩護射撃でき、もし敵が入ってきても少なくとも六人ぶんの水鉄砲が集中されるという工夫だ。
近代戦で言う散兵戦術の応用とも言える。
殲滅することがこの競技の目的であるため、ひとつひとつが分散して約三〇メートルに広がったものをしらみつぶしにやっていくのは時間がかかる。
まさに、サーシャ隊の任務はその時間稼ぎであった。
二中もそれには気付いているのだろう。方陣をつくったまま四〇人がまっすぐ突き進んでいる。
――ここで隊形を崩して突撃してくれれば戦機なんだけど。
サーシャはそう思うが、敵は陣形を崩すことなく、だんだんと速度を上げて迫ってきた。
しかも中央。
サーシャ隊の六人が水鉄砲を構える。
一〇メートル。
八メートル。
六メートル。
「
「撃てー!」
水鉄砲が交差する。
サーシャ隊の真正面にいた学生が一瞬にしてずぶぬれになった。
紙風船はクタっと垂れ、二人は力なく地面に倒れる。そして、二中方陣は六つの水鉄砲から射撃を受けたが、一人だけ風船が割れていた。
「右に展開! 次っ!」
環がそう言った瞬間、一糸乱れぬ素早い動きでいぐるりと方陣が九〇度回転すると同時に最前列が片膝をついた。
そこに現れたのは水鉄砲をすでに構えている二列目。すぐに銃口から水しぶきが放たれる。
「下がれっ」
サーシャの指示に対して左翼の二人が背中を向けて走り出す。だが、逆に左翼の二人は銃を置き、短い棒に持ち変えて方陣の背中に対して斬りかかった。
その瞬間だった。
「四列目回れ右! 撃て!」
方陣の二列目と四列目が三列目を挟んで水鉄砲を放った。
局地的には一〇対二が二か所。
一瞬にしてずぶぬれになった四人は、フラフラと動き、その場でガクリと尻もちをついた。
『サーシャ、もう少し時間を』
トランシーバーから次郎の声が入ってくる。
「わかっている」
サーシャはそう答えた。
――このまま、次郎達本隊が後ろから出てきても同じようにやられる可能性がある。
ずんずんと前に進む三十九人の方陣。
一中は既に三十三人。
――敵は強い。
サーシャはわかっていた。
「後ろから回り込んできても同じ」
環の声は高くよく響く。
「最初から戦力を分散したあなたたちの負け」
彼女は満面の笑みでそう言った。
――伊原お姉様、見ていてください! この一糸乱れぬ姿を。
ボーイッシュな伊原少尉は一部の女子に熱狂的な人気があった。
そんな加納環も非公式ファンクラブの重鎮である。
「さあ! 我ら二中隊、教官から伝授された方陣! 我々の強さに恐れ
声では教官と言っているが、脳内は『愛しの伊原お姉様』である。
そんな環の姿を見ているサーシャも余裕がある表情だ。
――さあ、ここからが
彼女は声に出さずそう思い、イモジャージの裾をめくった。
「なんの面白みもないガチガチな陣」
サーシャが指をさし、正面に並んだ学生見渡す。
「号令でしか動けない哀れな人々よ、すぐに楽にしてあげる」
そう彼女は宣言した。
にやり。
笑みで返すのは環。
「哀れなのはそっち、チームプレイさえもできない、そんなへなちょこな部隊」
言い返す環に対して、フンっとサーシャは鼻で笑った。
「戦機ってのはこうやって作る!」
そう言うと彼女は飛ぶようにして動いた。
観客がドッと沸く。
サーシャコールが響きだす。
彼女はまるで、踊っているかのように方陣を前にステップを踏んだ。
ピンチになればなるほど、生き生きとしてしまう人種である。
「いつまでも、その人間団子の殻の中でドン亀のように縮こまっているがよい!」
そう啖呵をきる彼女の目は輝いている。
グランドに響き渡る声。
ざわざわする観客。
彼女の反撃が始まった。
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