第107話「伊原お姉様のご加護がある限りっ!」

「くおおりゃああ」

 サーシャが跳ぶ。

 猛ダッシュだけでなく敵の正面に対し真横に駆け抜けるため、水鉄砲の照準が間に合わない。

 ――冷静、手強い。

 彼女はそう判断した。

 もし、ここで敵の射撃が始まれば、そこに隙ができただろう。

 撃っても確実には当たらないし、個人のまばらな射撃は攻撃のリズムを乱す。

 方陣の強みである隊形変換と連携連続射撃が崩れてしまうことになる。

 だが、敵は挑発にも乗らず確実に仕留められる射撃しかしようとしない。

 はたから見ればサーシャの動きに二中が翻弄されているように見えるが、そうではなかった。

 ――でも。

 と彼女は口だけ動かして呟く。

「戦機を掴み取ろうとしない戦い方なんて、下の下!」

 サーシャが加納環カノウタマキをキッと睨んで言葉を放った。

 環は笑みを崩さないままサーシャを視線だけで追う。

「初動でコテンパンにやられながら、よく言う!」

 ハンっ。

 そう笑った。 

 だが、一連の威嚇と挑発が終わったサーシャは、水鉄砲の射程外にスッと立つ。

 もう一度、挑発的な顔で笑った。

「受けしかできない女!」

 と更に挑発した。

「馬鹿みたいに挑発しかできない女! リードしてるようで踊ってるだけなのに!」

 そう環も返す。

 サーシャはパッと右手を振り上げ地面と水平に伸ばす。そして横目で、動き出した京の部隊を確認した。

「今さらまわりこんでも、さっきと同じ……前へー! 進め!」

 環も京の部隊の動きを確認したうえで号令を出した。

 あくまで前進あるのみ。

 目の前の敵を踏み潰す迫力で彼女の方陣がサーシャの方にゆっくりと動き出した。

 サーシャ隊の残り十二人、六個組がサッと分散する。ただし水鉄砲の射程に入るかどうかの間合いで正面から側方を囲む様に。

 サーシャ隊は水鉄砲の火力が薄くなる角を中心に攻めはじめた。

 ヒットアンドアウェイ。

 サーシャ隊が方陣の学生を一人撃ち抜くと撃ち返しで一人減るというような小競り合いが続く。

「時間でも稼いでいるつもり?」

 勝者の余裕を持ったままの環。

 こんなことをちまちまやっても意味がない。もう既に、一中との相対戦力が三十九対三十三になっているのだ。

 どう頑張っても、ひとり撃てばひとり減る。

 六人の差を取り戻す事は難しい。

 いくら後ろから来ても各個撃破するだけなのだ。

 変幻自在の方陣。

 隙はない。

 ――伊原お姉様のご加護がある限りっ!

 もう宗教に近い。

 尊敬する伊原少尉――お姉様――に身も心も捧げている環は大興奮。

 じりじりと追い込まれるようにサーシャ隊が下がっていく。

 すでに四人が撃たれていた。

 二中が三十五、一中が二十九。

 ――遅い!

 環が後ろから迫ってくる一団を見てそう判断した。

 包囲する部隊ならもっと機動力を持った人を付ければいいものをと思う。

 体力があまりない見知った女子の顔ぶれだったからだ。

 ――罠?

 ふと彼女の頭にそんな疑いが浮かぶ。

 ――でも、何をしようというの? どっからきても、この方陣は無敵。

 迷いを吹き飛ばすようにして環が手を上げた。

 敵の残りは少なくとも二十人ぐらいとみている、ならば三十人を向けるのが環の考えだ。

「二! 三! 四列!」

 彼女がそう言った瞬間、サーシャが動いた。

 いや、跳んだ。

「なっ!」

 環が目をみはる。

 七、八メートルは離れていた。

 サーシャがいた場所には二人で手を組んだ男子が片膝をついていた。

 ジャンプ台。

 射程外から飛んできたのだ。

 さすがに上空の動く的には水鉄砲の照準もあわない、いやむしろその奇襲と言える行動で方陣の学生達は照準さえもできなかった。

 スパン、スパン。

 サーシャは飛び跳ねる様なフットワークで最前列の十人をかき乱す。

 すでに三人の風船を割っていた。

「三列! 四列! 回れ右!」

 もう一〇メートルまで京隊が近づいてきたところで環が冷静に号令をかけた。

 半分が全面、半分が背面。

 環は状況判断をして、サーシャの猛攻に備えるため、当初背面に三十人向けようとしていたのを二十人に減らす。

 残り十人ぐらいがまだ確認できていない。

 後ろから来たのは敵の一部だと判断した。

 その一部と彼女が思っている京が率いる十三人は止まらない。

 八メートル。

 四メートル。

「「撃て!」」

 京と環の声が重なる。

 彼らが一斉にしゃがみ、そして水鉄砲を放つ。しゃがんだ彼ら――風子、緑、楓、俊介たち――は肩で息をして正確な照準ができない状態だ。

 だから、水しぶきは風船に当たらず大きくそれたように見えた。

 水しぶき。

 シャワーでまかれるような状態。

小癪コシャクっ!」

 環が保護眼鏡の上をジャージの裾で拭いながらそう叫んだ。

 水滴で視界が邪魔されているからだ。

 同時だった。

 しゃがんだ京隊の上を次郎達精鋭八名が飛び越えたのは。

 二メートルはあるスポンジ槍。

 一斉に振り下ろされ一瞬にして方陣の八人の頭の上の風船が割れる。

 急遽変えた戦法だった。

 大吉に対する方陣の対応を見てとっさに変更した戦い方だった。

 とにかく京隊は前に行って、撃つときはしゃがんで相手の顔を狙えと、それだけを伝えた。

 簡明な変更なら、その場で対応はできる。

「敵は鉄砲だけだ! 突撃っ!」

 間髪を入れず次郎は大声で叫んだ。

 彼がこんな叫び声を上げることはそうない。そんな彼に、このような似合わない声を出させたのはただひとつ、抑えきれない焦りがあったからだ。

 彼は今起こっていることは自分達にとって、完全な必勝パターンだと思っていた。

 それなのに、余裕な顔をした環が次郎を見据えているのが目に入っていた。

 何度もあの環の表情が目に浮かぶ。

 焦り。

 焦燥。

 ――奇襲、できていない?!

「遊撃かかれ!」

 そう環が叫ぶと、その方陣が中央の一帯を残して真っ二つに割れた。

 環を中心に一メートルぐらいの白いスポンジ棒を持った六人が躍り出る。

 ――そんなこと、伊原お姉様には予想の範囲内!

 応援席にいる一八〇センチ近くあるガタイの伊原少尉は、仁王立ちのまま勝利を確信した笑みを浮かべる。

「撃てっ!」

 京が叫ぶ。

「押せっ!」

 サーシャが跳ぶ。

「押し返せ!」

 トンファータイプのスポンジ棒を振り回しながら一人、二人と乱戦の中確実に潰していく環が女子高校生とは思えない動きで男子の風船を割っていった。

 加納環。

 中地流空手の指導員免許を持つ女子である。

 大将であることを忘れているかのように、陣を飛び出た。そして、猟犬のような動きで得物を狙う。

 乱戦。

 両陣営入り乱れての攻防が始まった。

 そんな中、襲い掛かるスポンジ棒を華麗にかわしながら、ひとり、またひとり風船を叩き割るサーシャは、まるでダンスをしているようだった。

 動くたびにその金色の髪がふわりと浮く姿は、やはり戦場に舞い降りた妖精のようだった。

 そんな彼女が白いスポンジ棒を持ったふたりと対峙する。

 二中精鋭、遊撃部隊だ。

「サーシャ!」

 サーシャ隊に入っている幸子が至近距離で水鉄砲を放つ。

 はずれた。

 彼女は急いで次弾を装填しようと空気を送り込む。

 その時サーシャは驚きを隠せない表情のまま弾け飛ぶ。

 遊撃部隊の二人がパッと左右に跳ぶと、そこに二中鉄砲隊の生き残り五人が固まって彼女に水鉄砲を放っていた。

 その水しぶきを除けるため、彼女は空中に跳ねそのまま後転した。だが、彼女が危機を避けてしまったため、幸子が敵中に孤立してしまう。

「幸子!」

 慌ててサーシャが戻ろうとするが、一斉射撃をしていない水鉄砲がひとり構えて、彼女の接近を威嚇する。

「きちゃ、ダメ、サーシャ!」

 そう叫ぶ幸子は充填し終わった水鉄砲を構える。棒を頭上に振り上げた遊撃部隊のひとりに銃口を向けていた。

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