第108話「これはこれで悪くない」

「……射撃特待生を舐めるな」

 鋭い目つきで幸子が目の前の男子を見据える。

 幸子はオリンピック競技でもあるエアーライフルの極東共和国公認の特待生であった。

「すわっ」

 遊撃部隊の男子が飛び掛かろうとした瞬間、不意に彼女の背中にある風船が割られた。

 不意。

 全周から狙われる可能性がある乱戦。

 幸子の後ろには水鉄砲を構える二中の女子が立っていた。

 うつろな目のまま口を開いている。

「と……れた、伊原お姉様、とれました……」

 如何にもな女子がそう言いながら崩れ落ちる。

 体力の限界だったようだ。

 幸子を撃った彼女もまた伊原教の一員である。

 彼女への愛だけで気力がもっていなのかもしれない。

 伊原少尉という女性は、男子には恐れられていたが、一部の女子からは熱狂的な支持があった。

 二中の強さの根源は、ここにあった。

 そんな気力がつき倒れ込む彼女の背後から、一中の男子が容赦なく頭の上の紙風船を割った。

「私も、伊原お姉様あなたのもとにいきます……」

 幸子を撃った女子がつぶやきながら倒れた。

 一方幸子自身は呆然としている。

「あ、あれ? おかしいな……」

 幸子が自分の背中をさする。

 べっとりとついた水。

 そしてフニャフニャになった紙風船。

「サーシャ……ごめん」

 幸子はゆっくりと前のめりに倒れる、そして地面に横たわった。

「幸子おっ!」

 サーシャが叫ぶ。

「ダメ……自分を見失っ……た……ら」

 幸子が薄目を開けてそう呟こうとしたが、審判が両手でバッテンを作りブロックサインを出す。

 ルールである。

 風船を割られた者は、地面に横たわり、一切しゃべってはならないのだ。

 そんなわけで、幸子は口を閉じた。

 演出は、勝手にやっているだけである。

 幸子にしては楽しんでいた。

「こ、の、やろう!」

 金髪がフサーっと逆立った。

「そのふざけた紙風船をすべて潰す!」

 そう言うと彼女は猛禽類の様な目つきで次々と得物を狩っていった。

 そんなサーシャとは別に、次郎もピンチに陥っていた。

 乱戦も乱戦。

 無秩序な交戦により一中、二中の生き残りは一〇人をきっていた。

 もう既に彼が頼みにしていた京も地面に転がっている。

 そんな状況下、図らずとも次郎は大将同士の厳しい一騎打ちをしていた。

 環の両手から繰り出されるトンファー。

 押されていた。

 縦と横の回転運動、そして上下左右前後の動き、しかも両手持ちということが重なり、まったく彼女の動きが予想できなのだ。

 そんな訳で次郎は防戦一方になっていた。

 彼女の打撃を辛うじて受けると別の方向から打撃が飛んでくる、しかも経験したことがないような軌跡を描いてくるのだ。

「二年生相手に喧嘩をふっかけて、ぶっとばしたとかいう武勇伝を聞いていたけど」

 彼女は横回転の連撃を繰り出すが、それはすべてフェイントだった。

 縦回転を加えようとする。

 狙うは頭上への一撃。

 一歩一歩下がる次郎。

「くっそおお」

 次郎は環から目を離すことなく周辺視で確認するが、すでに立っている人間は両陣営合わせて四人しかいない。

 三対一。

 次郎の方が数的には勝っていた。

 だが実力的にはそうは言えなかった。

 生き残っているのは、楓と風子。とてもじゃないが、環を渡り合える二人ではなかった。

 だから次郎は後ろに下がる一方だ。

 ここで決めなければ勝てない。

 もちろん、環もわかっていた。

 こいつを仕留めれば終わりだと。そして、目の前の男子は自分の実力に対して手も足も出ないということを。

 その時だった。

 下がる一方だった次郎が、滑らかにヌルッと動いた。

 相手が進むタイミングに合わせ前方へ絶妙な一歩を踏み出したのだ。

 まるで液体の様な動きだと、警戒した環は思う。

 一瞬にしてふたりの距離が縮まった。

 自分の勝利を確信していた彼女。

 次郎が逃げれば、別の水鉄砲を構えた二人が射撃をしてくるはず。だから、逃げることが彼にとっての最善の手段なはずだと思い込んでいた。

 それを防ぐため離れないようにずっと追っていたのだ。

 まさか出てくるとは。

 だがこの距離でさえ彼女にとって有利な狩場であることは変わりない。

 彼女は一瞬怯んでしまったが、次の瞬間、勝利を確信した。

 すうっと伸ばした左手が次郎のわきの下をくぐる。

 手首のスナップを効かせて得物を回転させた。

「背中がガラ空きっ!」

 環はゾクッとした。

 地面に吸い込まれるようにペタンと腰よりも低い姿勢になる次郎。

 その後ろにいる、水鉄砲を構えた楓。そして、眼下には鋭い目つきの次郎。

 スポンジの剣先と水鉄砲の銃口が環の胸の風船に向けられていた。



「オー、マイ、ガットゥ!」

 そう言って天を仰ぎ見るのは大吉だ。

 変な発音である。

「ごめん」

「ごめん」

 次郎といっしょになって声を重ねた女子がいた。

 楓だ。

「いや、連携をとろうとしてなかった俺が悪い」

「……味方を撃ってしまったのは、私」

 あの瞬間。

 次郎が体を低くした瞬間、楓は水鉄砲を撃っていた。

 はたから見れば、次郎が水鉄砲を持った楓と連携をとったように見えるのかもしれない。

 だが、実際二人は連携していなかった。

 目の前の得物に対して、それぞれ攻撃しただけだった。

 次郎は環に隙を与えない動きをするため、低い姿勢をとった後すぐに剣を突き出そうとしていた。

 一方楓は環の胸の紙風船が視界に入った瞬間、引き金を引いていた。

 その結果、下から突き上げようとした次郎の頭が、ちょうど環の胸の風船の高さになった時水鉄砲が飛んできたのだ。

 次郎の頭の紙風船が割れ。その拍子に次郎はバランスを崩し、環の胸にダイブしたのだ。

 彼が顔面を環の胸に押し付けるような形になったため、その風船も押しつぶされたのだが、それは審判からノーカウントと宣告がある。

 水しぶきとスポンジ棒等以外での風船割りは反則として、割った方がアウトになるというルール。

 まあ、しかし、それは置いてみても、どう考えても、どうしてそうなったのかと思うぐらい、環の胸にダイブするいわれはない。

 次郎以外の男子女子はそう思っている。

 スパンコン。

 サーシャのスポンジ棒が次郎の頭を叩いた。

「スケベッ」

「あれはたまたま」

 環はスマートとはいえ感触はあった。

 ちなみに次郎は知っている感触や見た目から順番をつけている。

 三和母、聖、晶、サーシャの次ぐらいが環。下位の方に三和、風子がいる。

「今、女子を敵にまわすようなこと考えた」

 ゲシ。

 彼の太ももに、サーシャのローキックがさく裂。

「いーなーいーなー、加納のおっぱいにくっつくんことか」

 いつもの乗りで大吉がそんなことを言ってしまう。

 彼は残念ながら女子も大勢いることを忘れていた。

 一瞬にして冷たい空気が大吉を包む。

 すうっと離れる次郎。

「いや、え?」

 そそがれる冷たい視線。

「だいきちくんのえっちい」

 男子の友情を捨てたのは次郎。

「ありえん、大吉」

 眼鏡を押し上げ、ついでにぐいっと距離をとる京。

 右手でプイプイっと払って近寄るなサインを送っている。

「……へんたい」

 風子がジト目のまま呟く。

 へんたいに告白されたことに今さら気付いたため、憎さ百倍だった。

「違う、あのね、男子は裏でそういうこと言ってるから、ほら、俺だけじゃないって」

「大吉、お前って奴は……」

 と次郎。

「つかれてるのよ、大吉」

 と京。

「そ、そんなこと考えるのは大吉だけだから、ね、楓ちゃん」

 と言い訳がましい俊介。

「そんなことより、こいつのラッキースケベに天誅を」

 サーシャはそう言いながら、次郎の頭を抱えフロントネックホールド――立ったまま右脇に相手の首を後ろから抑え込むようにして抱え込む技――をかけている。

「ぐ、ぐるしい」

「ジロウが環に押されるのが悪い、みんな頑張ったのに」

「ぐえ」

 次郎がタップしようとしてサーシャを叩くが、それがお尻のあたりだったので「どすけべがあああ」と怒られ、ますます絞められる。

 いや、そんなことよりも次郎の肩に感じるラッキースケベである。

 だが、そんな感触を楽しめないぐらいに、しっかり締め上げられていた。

「死ぬ、死ぬるっ……」

 誰も止めはしない。

 そんな光景を見て、幸子は笑っていた。

 サーシャもぐいぐい締めながら楽しそうだった。

 笑いが漏れている。

 負けた悔しさはある。

 だが、悪くない。

 ひとりひとりが必死になってやって。

 そして、負けた。

 負けたって死ぬわけではない。

 負けたって何か代償を払うわけではない。

 自分でしっかり消化できるかどうかだけの話。

 遠のいていく意識の中で、次郎はこれはこれで悪くない、そう思った。

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