第7章 神無月「体育祭」

第104話「男風呂」

 ――あんな感じに楽しい恋愛をしたい。

 風子はあの夏休みに聞いたサーシャの言葉を思い出す。

 ――していない。

 ――サーシャはまだしていないって、むこうじゃできないから、こっちでしたいって……。

 もうここにはいない。

 そんなことはわかっている。

 だが諦めることができなかった。

 片っ端から探す、それ以外に彼女の選択肢はなかった。



 ■□■□■


 

 男子学生用大浴場。

 年季の入ったその建物。

 浴場はところどころタイルが剥げているし、シャワーは目詰まりしていて、お世辞にも清潔感漂う場所とは言えなかった。

 次郎がここにきて半年。

 最初は抵抗があった。

 だが慣れというものは恐ろしいもので、むしろ学校の中でも数少ない癒しの場という位置づけになっている。

「最近、うまくいっている?」

 ごしごしごし。

 温泉施設にあるような、横一列に並んだ鏡とシャワーのホース、そして水道の蛇口。

 次郎の左には同部屋の先輩である潤が座っていた。そんな彼は白いアフロヘア―と見間違えるぐらいにシャンプーを泡立てている。

 同じく頭を洗っている次郎はそんな潤に一瞬ギョっとするが、ここで下手なリアクションをするとからかわれるだけだと考え、華麗にスルーして答えた。

 体育祭準備のことだろう。

「一時期よりは……無視する、なんてことはなくなりました、言いたいことは言える雰囲気というか」

 そう言いながら次郎は泡を流そうとして頭を下に向けた。そしてシャワーのお湯を出す。

 潤の振りを無視するのも限界なのだ、あの泡アフロはひどい。

 彼はツッコミたい気持ちを抑えるのが限界にきて、震えながら水栓のレバーを押した。

「冷たっ!」

 悲鳴をあげながらギロッと潤を睨みあげる次郎。

「ガ、ガキじゃないんですから、こういうことやめてくださいよ!」

 抗議されている潤はニコニコしながら頷いている。

「だって、ジロー君がかわいいから」 

 ここのシャワー水栓は左のレバーで温度調整、右のレバーでシャワーからお湯を出す構造。

 潤は次郎が下を向いた瞬間、左の温度調整レバーを『冷たい』方へぐいっと回したのだ。

「何回やったと思ってるんですか!」

「何回やってもひっかかるんだもん」

「むぐぐぐぐ」

 歯ぎしりする次郎。そんなことをしている間に、洗っている途中だった髪の毛からシュンプーの混ざった水滴が目に流れ込む。そして、彼はどこぞの大佐のような声――目があ――を出して悶絶した。

「ジュンさん、こいつ賢そうな顔をしてますが、中身は相当バカですから」

 次郎の右隣からそう答えたのは大吉だ。

 こちらもこれでもかというぐらいに泡立てて体を洗っている。

 坊主頭は泡立たないから、体だけでもそういう気分を味わっているのかもしれない。

「バカはどっちだよ、さっきからソコばっか洗いやがって」

 顔を背けて大吉のソコを指さす次郎。

「な、人がゴシゴシしているところ見てんじゃねえ、気持ちわりい」

「一生懸命洗っても使うことねえし」

「うるせえ、鍛えてるの! その日の為に」

「あーないね、ないね」

「おめーもいっしょじゃねえか」

 ガルルルル。

 顔と顔をすれすれになるまで近づけてガンを飛ばしあう二人。

「まあまあ、ゴシゴシしたって鍛えられないし、いつかはすることになるだろうし、それにソコだけじゃないからさ、アレは」

 そんなどうしようもない仲裁にはいる潤。

 グイッとジト目の二人が仲裁した先輩を見た。

「大吉、あのひと年上の彼女がいるからってすっごい上から目線すぎね?」

「次郎、あのひと経験者だからって、未経験者を見下すとかひどいよな」

 二人のジト目に対し余裕の笑顔で答える潤。そんな潤に対し、ちくしょーとかクソ―とか二人は唸るだけだった。

 そのうっぷんを晴らすためにも、彼らは手の速度を増して皮膚をそぎ落とすぐらいの勢いでゴシゴシ体を洗っている。

「あー、そうそうさっきの質問」

 そう言って、話を元に戻す潤。

「なんか質問してましたっけ」

「最近どおってやつ」

「あ、雰囲気は悪くないです」

「あーそーじゃなくて、体育委員の話じゃなくて女子との仲ね、風子ちゃんとか緑ちゃんとか幸ちゃんとかサーシャちゃんとか楓ちゃんとか」

 ぶほっと噴き出したのは次郎ではなく大吉である。

「じ、次郎、お前……」

「大吉、違う、ジュンさん、誤解されますから、そーゆー言い方やめてください」

「え、違うの」

「少なくとも緑とか幸子とか楓とかは」

「じ、次郎! 女子の名前を呼び捨てとかっ! お前、そんな仲……」

 食って掛かる大吉を右手で制止ながら次郎は話を続ける。

「ジュンさんにつられました、三島とか山中とか小牧とか」

「なんで、サーシャちゃんと風子ちゃんは入っていないの?」

 意地悪そうな笑顔の潤。

「やっぱり次郎、俺の風子さんをおおおっ」

 次郎は大吉の顔面に置いた手でそのほっぺたを挟むようにして言葉を遮る。

 大吉の唇がピエロのようにぷっくりした。

「ジュンさんにつられて間違えました! 女子との話はよくわかりませんっ」

「そーなんだ、かわいいと思うけどなあ、風子ちゃん、僕の好みだし」

 あ、でもサーシャちゃんは無理ー、なんておどける潤。

「……あの、ジュンさん」

「え、なに? ジロー君」

「冗談でもやめてください」

 低い声の次郎。

「……大吉が号泣しています」

「うわわーん!」

 涙をドボドボ流しながら、捨てられた子犬のような目で潤を見る大吉。

「うっ、うえ……ジュンさんのばかあ、うえっ、ぐすん、風子さんの純潔を奪ってしまうなんてひどい……あんな可憐な、純粋な体が、そんな薄汚れた手でまさぐられたなんて、うわあああああん」

 涎とと鼻水と涙が石鹸の泡に混ざってもう何がなんだかわからない状態の大吉。

「大吉君、なにもそこまで」

「だって、だってジュンさんの伝説……好みだと思った女子は片っ端から手を出してるって、口説いたその日に即体育館倉庫だって、うええええん」

「……いや、何、それ」

 笑顔が固まる潤。

「学生会副会長の長崎さんがそういう話を女子としていたらしいです、それを大吉が聞いたとか」

「……あのおっぱい眼鏡が……」

 ぐぐぐと拳を握る潤。

 胸を張り、眼鏡をクイッと人差し指で上げてキラーンと光る怪しいあの女を思い浮かべる。

 笑顔が少しひきつる。

「いーい、大吉くん、違うから……そんなことはぜったいにないから、僕は年下に手は出さないから、大丈夫」

 すると大吉は這いつくばるようにして潤にすり寄る。

 間にいた次郎を左手で押しのけながら。

「っひく……っひく……本当ですか? まだ風子さんに手を出してませんか? まだ風子さんのおっぱい触ってませんか? まだ風子さんを押倒し――」

 次郎の一発が大吉に入る。

「めええがあああああああ」

 今度は大吉が某大佐のような叫び声をあげた。

 説明しよう。

 次郎の必殺技――シャンプー目つぶし――は、風呂桶に溶かしたシャンプー水を手ではじいて敵の目に入れる荒業である。

「裸なのにべたべた近寄るな! 気持ち悪い」

 確かに気持ちがいいものではない。

 例え石鹸でぬるぬるしていたとしても。

「どこまでってのを確認することは大切だろう」

 スッと真顔の大吉。

「だから、そういうの想像するなって、ほら、風呂場じゃ、だめだろう」

 自分と大吉のソレを見る次郎。

「あー、触ったことがあるからそーゆーこと言うんだーあー、もー」

 どこまでもお子様な大吉である。

 そっとゴシゴシタオルを太ももの付け根に次郎は置いた。

 想像力が豊かな子なのだ。

「大吉だって、風子風子言ってるけど、山中のパンイチ見て、うひょーとか言ってたじゃねえかよ」

「そりゃーお前もいっしょじゃねえか、けっこうイイっとかよー」

 またむぐぐぐぐな二人。

「「このむっつりが」」

 二人で同じ言葉を吐いた後、プイッとそっぽを向いた。

 大吉がプイッ顔をやって方向にいる男子と目が合う。

「で、俊介はどうなんだ、小牧と結構いい感じじゃねえか」

 次郎もその質問の答えに集中しているのだろう。耳がピクピク動いている。

「あ、でも着やせするタイプかな」

 ぶばほ。

 鼻水と涎を同時に噴き出す音。

 ほぼ同時に音を出したのは次郎と大吉で、息の合ったリアクションと言える。

 二人は俊介と楓の間はどうなんだという質問のつもりだった。

「「見たんだ」」

 次郎と大吉が無表情で俊介を見る。

 くやしさとせつなさとが混ざった表情であった。

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