第103話「それぞれの進む方向 野中」

 風子の肩に手が置かれる。

 彼女が振り向くと、目の前には空間しかなかい。だが、目線を下げると腰をかがめたまの幸子がいた。

 彼女はやっと風子のところまでたどり着いたと言わんばかりに、顔を伏せたまま肩で息をしている。

「……偉い目にあったんだけど」

 げっそりした顔の幸子。

「松岡くんの鬼」

 バディを決めたのは大吉である。そのことに対して文句を伝えに来たのだ。

「死んだ……」

 そう言った幸子は膝から倒れる。

 彼女のバディは緑。

「幸子ちゃんっ」

 慌てて抱きかかえようとする風子。

「山中っ……」

 そう言って反射的に手を差し伸べようとする次郎の手がパシンと叩かれた。

「触るなっ! このむっつりゲス」

 サーシャではなく、幸子のバディである緑だった。

「お、おおう」

 その迫力に仰け反る次郎。

「幸子ちゃん、いい、すごくいい、フラフラになるまで私の言うことを聞いて、トレーニングする幸子ちゃんすごくいい」

 繰り返す緑の目が怖い。

 風子を盾にして隠れようとする幸子。

「もう、幸子ちゃんってほんとがんばり屋さんだから、ちょっと優しく囁いたら倒れそうになるぐらいまでやっちゃうから、ごめん、すごく応援しちゃった」

 もぞもぞしながら恥ずかしそうに告白する緑。

 独特の恐ろしさをカモし出していた。

 いっぽう幸子は風子の太ももにすがりつくようにして風子に哀願する。

「変わって……風子ちゃん……つうか変えろ大吉! ごらあ!」

 途中から大吉への脅しへと変わる。

 残念ながら首を絞められ白目向いている大吉には聞こえていない。

 自分の話を無視していると感じた幸子はスッと立ち上がり大吉の前に行く。そして大吉にしがみついている京を突き飛ばし、スパコンと大吉の頭を叩いた。

 白目を向いていた大吉が目をぱちぱちさせるのを見て、次郎が笑いだす。

 よくわからないが、大吉もはははと笑いだした。

 その笑いは伝染する。

 ――うまくいっているのかな。

 次郎はそう思った。

 だが、彼の思い描いているものには五割も満たない。

 トレーニングに疲れ、地べたにペタンと座っている汗だくの俊介も大吉を見て笑っている。

 悪くない雰囲気であった。

 いつの間にか女子達も松岡くんではなく大吉くんになっている。

 壁が少し低くなっていた。

 そして彼は振り向く。

 笑っているサーシャと目が合って気付いてしまった。

 いつもと違って少しだけ寂しそうな雰囲気を。

 ただそれが次郎の目に焼き付いてしまった。

 なんだろう、と。



 ■□■□■



「知っての通り遠征旅団は、最新鋭の兵器と優れた戦力投射能力……」

 学校長が台上の人物を紹介している。

「野中大尉はそこの第三混成大隊の中隊長として……」

 不定期異動のため、見送り行事で台上にいるのは一人だけ。

「先の日極戦争ニチキョクセンソウでは統合士官学校の学生の身でありながら前線で活躍し……」

 二十年前、幸子の国がこの国に侵攻してきた戦争。

 次郎はそんな紹介を受けている台上にいるあの人を見つめていた。

 ついこの間テーブルを挟んで話した人と同一人物ではないような錯覚受けていた。

 あの人は、遠征旅団に行く。

 遠征旅団は同盟関係にあるロシア帝国の増援のため、モスクワに派遣されるかもしれないと噂される部隊。

 ロシア帝国とソヴィエトが紛争を起こす可能性はほとんどないと、ニュースや新聞のコラムは言っている。

 このご時世に本格的な陸上戦闘が起こる、いや起こすメリットがどこにもないからだ。

 だが、次郎が軍隊に入った今感じる空気は、決してニュースで言っているものとは違う気がするのだ。

 緊張感。

 なんとも言えない緊張感と不安感が誰からも感じていた。

 次郎はふと思う。

 来年の四月にはロシアに戻ると言っていたサーシャはどんな気持ちなんだろう。

 すぐに帰りたいんだろうか。

 彼女は軍人貴族の家系だ。

 家族が戦争に行くかもしれない。

 友達や知り合いが巻き込まれるかもしれない。

 彼女はどう思っているのだろうか。

 そんなことを考えるうちに、見送りのために学校職員や現役軍人、そして学生達が二列に並び、花道を作っていた。

 敬礼をしたまま進む野中。

 途中で握手をしたり、二中の小隊長や下士官が抱きついたりしている。さすがに、女性でそういうことをする人はいないが、その人数が意外と多いため、彼が花道を進む時間は予定した時間をオーバーしていた。

 そのうち野中が一中の学生の列まで進んできた。

 現役、三年生、そして二年生の列で長崎ユキが無言で握手する。だが彼女はすぐにそっぽを向いた。

 そして一年生の列。

 ――一中の……。

 声が出ないまでも野中の口が動いた。

 ポンッと次郎の頭に手を置く。

「悩める少年、また悩んでる顔をしているな」

 にやっと笑い、次郎の頭から手を離した。

 そう言われた次郎は口を開こうとしたが、とっさの言葉が出なかった。

 コクリとうなずいて目を伏せる。

「ま、人にやらせるときのコツは、頭の中の理想から五割引いてみることだな、君は自分ができることを、他人ひともできるもんだと思っているから」

 そういうとゴンっと拳骨を頭に入れた。

「これは三和とのちゅう」

 頭を抱える次郎。

 何が起こったのかわからない彼は涙目だ。

 よくわからないが、ただ「ありがとうございます」と言った。そして野中は通り過ぎていく。

 金髪娘が彼を止める様にして前に出た。

 野中は立ち止まり、じっと彼女を見下ろす。

「ロシアのために……ありがとう……ございます」

 彼女には珍しく、小さな声だった。

 それだけでなく少し目をそらし、そして恥ずかしそうに赤面している。

「なんだ、そんなに礼儀正しいと気味が悪い」

 課目で散々サーシャにバカにされていた野中はからかうように言った。

「しょうがない、慣れていないから」

 そういうと彼女は野中を睨みつけた。

 野中はふっと笑うと隣の風子に目を移す。

「仲直りできたか」

 曖昧に顔を傾ける風子。

「君も」

 野中が楓も見るが、彼女はゆっくりと顔を横に振った。

「ま、そんなもんだ」

 はははと笑う。

「後悔しなきゃいい」

 野中はそう言って花道を抜けていった。

 大切なひとから言われた言葉を、自分に言い聞かせる様に。



 野中が転属してから一〇日後に、ロシア帝国増援の大命が下った。それが準備されていたことかのように戦闘序列が発表され遠征旅団の派遣準備命令が出た。

 抑止のための派遣。

 日本帝国だけではない、米国を含め多くの反共同盟側の派遣が一斉に決まったのだ。

 申し合わせた行動は事前に周到に計画されていたのだろう、淡々と先遣隊が派遣され、戦力投射の準備がされていった。

 一方、九月末には、ロシア帝国とソ連の領土交渉が活発化しつつあった。

 ソヴィエトはこれ以上のエスカレートを望んでいない。

 そういう見通しが各国のマスコミも外交当局も占めていた。ただ、サーシャだけは違った。

 本国の緊張感をまざまざと感じていた。

 父親、兄そして友人達との連絡で伝わってくる緊張感。

 彼女は、身の回りの雰囲気と自分の緊張感のギャップにだんだんとその焦りをつのらしていっていた。

 なんで自分はこんなところにいるんだろう。

 そんなことでいいのかと。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る