第78話「思春期です」

 乾いた音が鳴った。

「かかってこいやああ」

 サーシャが平手打ちを入れて叫ぶと、容赦ない蹴りを正面の少女が蹴りを返す。

 ぼこ。

 彼女が前かがみになった。

「やめてやめて」

「やめなさいやめなさい」

 風子がサーシャを、あのセクシーかつ豊満な怪しい母親がミワを、後ろから羽交い絞めにする。

三和ミワ! 仲直りしなさいって言ったのに、なんで喧嘩してんの」

 母親は次郎にボヨンとしたり、あの夜に棒手裏剣を投げたりしてる、サーシャのボディーガード――元狙っていた――女性である。

 髪の毛を左右に結びお下げにしているミワはギッとサーシャを睨みつけていた。

「謝ったのに殴った」

 一言ぼそっと言った。

「日本人は拳で分かり合うって聞いたんだけど」

 サーシャが自分がした行為がどうも受け入れられていないことを疑問に思いながら、いぶかしげに顔を傾ける。

「サーシャ、それ『浜の刑事』の世界だけ」

 風子は、サーシャに勧められて読んだ少年漫画、主人公である歌舞伎者の刑事が叔父とか、片目のやくざと殴り合うシーンを思い出す。

 また、少年漫画の世界と現実の日本を混同していた。

 ミワが母親に連れられ、サーシャに詫びを入れに来たところだった。

 八針縫ったぐるぐる巻きの包帯のサーシャと同様、ミワも学校の制服から伸びる手や足には包帯を巻いている。

「お母さん、謝ったからいいよね」

「だめ」

 三和の感情に起伏がない声に対して、母親は感情をがっつり込めて、ダメと言っている。

 雇い主から守れと言われている対象を襲ったのだ。

 解雇されても、懲罰をくらってもしょうがない状況ではあるのだ。

 ぐいっと、頭を抑えられミワはもう一度頭を下げられた。

 ――まったく、あの父親にも文句言わないと、割りに合わないわ。

 ムカムカする母親は、三和が暴走した原因である男に対し、恨み言を頭の中で反芻していた。

 ――でも、けっきょく好きな男をとるとか、誰に似たのかしら。

 母親はトホホと思うが表情に出すことなく、ぐいっとミワの頭を抑えている手に力を入れた。

「ミワとか言ったっけ」

 サーシャが声をかけると、ミワは顔を上げた。

「なに?」

「どうして襲った?」

「あなたが死ねば、ある人がロシアでの戦争に巻き込まれなないかもしれなかったから」

「は? かもしれないって」

「可能性があるならやりたかった」

「あんた、ばっかじゃない」

「お嬢様ほどでは」

 そう言って睨み合うふたり。

 母親からミワの頭上にげんこつが落ちて強制的に落ち着いた。

 咳ばらいをして舌戦を再開するサーシャ。声は少し落ち着いている。

「次郎とどういう関係?」

「別に、仲直りしただけなんだけど」

「に、二回も接吻してたのにっ!」

 なぜか、チューとかキスとか言わないサーシャ。そしてまたヒートアップ。

「子供」

 ぼそっと言うミワ。

「チューぐらいでぎゃぎゃー騒いで」

「チューぐらいって、何この」

「経験ないんだ」

「け、経験なら」

 サーシャの最大の弱点は売り言葉を買ってしまうことなのかもしれない。

「いつ、どこで、地球が何回まわった時?」

「ロ、ロシアで」

「父親とか言わないでね」

「ち、違う」

「あのシスコンお兄様だっけ」

「断じてないっ!」

 フシュ―。

 猫のように威嚇するサーシャ。

 クールな目つきのミワの方が口喧嘩は一歩上なのかもしれない。

「サーシャ落ち着いて落ち着いて」

 風子が背中をよしよしと撫でている。

 パンパン。

 手拍子がなる。

「はいはい、おしまい」

 呆れた顔のミワの母親が手を打った。

「もう仲直りできたみたいね」

 ぐりぐりと娘の頭をなでる。

「ぜんぜん」

「まったく」

 抗議の声を上げるミワとサーシャ。

「サーシャお嬢様、このたびは娘が私怨でこのようなことになったことをお詫びいたします、そして瓜生親子を引き続きご贔屓よろしくお願いいたします、まだまだ狙っている輩はいますので、私たちがお守りいたします」

 ぐいっとミワの頭を母親が手で押して下げさせた。

「でも、色恋話は契約に含まれていいないので、そこは自由にさせますので」

 にやり。

 母親が笑った。

「サーシャお嬢様はあの次郎って子が気になるんだ」

「気になるというか、別に、舎弟ぐらいに思っている」

「ふーん、そっちの風子ちゃんは」

「わ、私は別に」

 正直好きとかどうか、わからなくなっていた。

 なんというか、少し怖かった。

 あの学校祭の日から次郎が気になっていたはずなのに、あの時、自分を庇ってくれた大吉も気になっているからだ。

 ――結局、お母さんと同じ血なのかな。

 実の父親と早々に別れ、いろんな彼氏さんを作っていた母親。

 男は信用するな……そう口酸っぱくいっていた母親。

 ああいうヒトに似ている自分が怖く感じる。

「私もあの子可愛いから好みなんだけど、身を挺して女の子を守ろうとするとか、余計な事をしゃべらないとか、すっごく好みなんだけど、もう可愛すぎるし」

 お尻をふりふりするミワの母親。

「おかーさんっ!」

 娘が声を上げる。

「つまみぐいぐらいしちゃだめ」

 ぼよん。

 瓜生母が体を揺らすと、その豊満な胸が揺れサーシャとミワの顔を圧倒した。

「ミワ、まずはあの人をなんとかしなきゃね」

「……うん」

 部屋を出行く背中を見て、大人の魅力にどうやったら勝てるかサーシャは考えていた。

 風子は気にしていた。

 今まで素直になれなかったことだけではない。

 単に人を好きになるとか恋とかそういうものがわかっていなかっただけなんだということに気付いてしまい。

 そんな自分がとても幼く、そして弱く感じた。

 人を好きになるってことはなんだろう。

 大吉に対する好意と次郎に対する好意。

 違う気もすれば、同じような気もする。

 でも……。

 ――自分に優しい人ならだれでもいいってことなのかな。

 恋というものは一途なものだと風子は思っている。

 一途でなければならないと思っている。

 フラフラしてはいけない。

 でも、私は……。

 風子は一人、自己嫌悪に陥り暗い気持ちになっていた。

 はあ。

 ため息をついても、もやもやした自己嫌悪は消えなかった。

 もう一度ため息をついても。

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