第77話「男子会の夜」
花火の夜は、仲居の自害で幕を閉じた。
気絶したふりをしていた彼が綾部に跳びかかり、その拳銃の引き金を自分に向けて引いたのだ。
女装した男の正体を学生たちは教えてもらえるはずもなく。
黒服と憲兵が来て、彼らはそのまま医務室に連れていかれ傷の手当てを受けた。
「外国人排外主義者達がサーシャを襲ったが未遂に終わった、命に別状はないが怪我人が出ている、すでに事件は解決し安全に問題はないから大人しく寝ろ」
中隊長からは、ぶっきらぼうに説明があった。
なんとも腑に落ちない話。
遠泳訓練ということもあって、軍医が付いてきていたため、サーシャはすぐに八針を縫う手当てを受けることができた。
一方次郎は吐血もないし触診だけで肋骨の骨折ぐらいだろうと診断されていた。
「男の子男の子」
若い軍医はニヤッと笑って、頭をポンポンっと叩いていた。
興奮、恐怖。
そんな感情が渦巻いた事件だった。
落ち着かない学生に対し、女子達には真田中尉がケア係として一緒に寝ることになっていた。
こんなことがあった夜だ。
彼女たちの心のケアも必要なのだろう。
ほんとうは大人達も必要だったが、人質になっていた日之出中尉などは気丈に振舞っていた。
一方、次郎と大吉も大人と一緒の部屋にいることになった。
同じく心のケアのはずだったのだが、学生達はそんな言葉を信用していない。
綾部軍曹がケア係という時点で。
「おい、お前ら、何で俺らは真田中尉や副官といっしょじゃないんですかって顔だな」
ちゃぶ台を前にして、お茶を注ぐ綾部が二人に意地悪そうな声でそう言う。
「だから、副官はやめておけよ、あれはやばい。ドエムに目覚めてしまう」
副官――日之出中尉――が傷心であることはわかっているから、そんなことを言って誤魔化している。
三つの湯飲みに均等にお茶を入れた後、彼は袋に入ったお菓子を二人に投げて渡した。
「見た目はいいが、あの
ぼりぼりぼり、袋をさっさと開けて彼は中身を一口で食べてしまった。
「あ、あの」
「なんだ?」
次郎が質問すると、面倒くさそうに彼は答える。
「真田中尉と綾部軍曹は恋人ですか?」
ブバハッ。
綾部はお茶を吹き出す。
「は? なんでそんな話になるんだよっ!」
明らかに動揺している綾部。
「鈴ぅぅぅ! 無茶だあああ!」
大吉があの時の綾部の声を真似る。
もちろん、似ても似つかないのだが。
「……」
ニヤニヤ。
ニヤケ顔の次郎と大吉。
「帰れ」
「ちょっと待ってください」
「いいから帰れ」
「いや、俺たちの心のケアは」
「やかましい」
イライラする綾部に不満な声を上げる次郎と大吉。
「大人なんですから、もっと余裕を持って受け止めるべきだと思いまーす」
次郎が手を挙げて抗議する。
「大人なんですから、もっと余裕を持って俺たちを包みこむべきだと思いまーす」
と、大吉。
「お前ら、いっぺん三途の川でも渡りたいのか」
ひくひくと口の端を動かす綾部に余裕はない。
二九歳。
一六歳の男子に対して押されっぱなしだった。
そして大人げなく、プロレス技でふたりをとっちめる綾部。
汗だくになりながら落ち着いたところで綾部は会話を再開した。
「てめーらこそ、あの女子ちゃんの中で誰が本命なんだ、ん?」
二人同時にしらばっくれた顔をする次郎と大吉。
「何? 留学生の金髪ちゃんか、それとも留学生に負けないぐらい気の強そうな中村か、いやいや、あの大人しい緑とか、おうおう東の留学生ってのもあったな」
ぐいぐいっと間合いを詰める綾部。
「お前らのズリネタを教えろって言ってんだ」
下ネタを躊躇しない大人である。
「お、それともすでに童貞卒業してるっていうのか?
ぐいっと右脇に次郎、左脇に大吉を抱える。
「あの留学生達はどうなんだ、両方ともけっこういいと思うけどよ」
ぐいぐい締め付けながら綾部が言う。だが、彼の考えた答えとは百八十度違う反応が学生二人から返ってきた。
「俺は、守れなかったから」
次郎がぼそっと漏らした言葉。
にやけていた顔がスウッと抜け、綾部は、ふぅーうと、ため息をついた。
「ガキが生意気に」
「次郎は戦ったけど、俺こそ、足が動かなくて、怖くて、小便ちびりそうになって」
大吉も顔を伏せる。
「結局、綾部のおっさんや中隊長に助けられただけで、俺たちは何もできなかったし」
綾部はおっさんという言葉に、やかましいわっと答えると、二人の頭をゴシゴシと撫でた。
幸子の事だった。
黒服と憲兵が来て、真っ先に目をつけたのが幸子である。
極東共和国からの留学生。
彼女を取り調べるために連行しようとした黒服に食ってかかったのが中隊長なのだ。
――俺の学生に勝手な事をするなっ!
普段からは考えられない鬼の形相から吐かれた鋭い声だった。
それでも、淡々と処置をしようとする黒服が幸子の腕を掴むと、軍刀に手をかけた中隊長が割って入り一触即発の空気になった。
ふだん、ぼやっとした中隊長の剣幕にまわりの人間は驚いていたが、そのうち、黒服の上司らしい男と先任上級曹長の中川や大隊長が来て場を収拾していた。
――学生の事になったら、見境がなくなる、いったい佐古中隊長は日之出中隊長をいつまでも引きずってるんだろう。
そう先任曹長がその凶悪な顔をニヤッとしながらぼやいていた。
――俺もできてねーんだけどよ。
綾部はその一部始終を思い出しながらそう思う。
彼もまた、今回のことで自分の不甲斐なさを思い知っていたのかもしれない。
「ガキは、ガキのままでいいんだよ」
それが綾部の出した答えだった。
「……意味がわかりません」
口を尖らせて次郎が抗議する。
「あ? 子供が背伸びしすぎるなってことだよ」
三十手前でも、背伸びしようとしている奴もいるんだから、と彼は思う。
「くよくよしてんじゃねえ」
「で、でも」
大吉が上目遣いで見上げる。
こいつら、可愛いなあと綾部は思ったのでぐしゃぐしゃと頭を撫でた。
「ま、いいや、背伸びしろや、くよくよしろや」
「するなと言ったり、しろと言ったり」
大吉も抗議する。
「はん、俺が慰める言葉なんてねえって、自分で考えて、自分で悩みやがれってことだ」
綾部はそう言うと。
ぎゅっと両方の脇の下にある二人の首を絞めつつ言葉を続けた。
「ところでよ、お前ら、本当にしたことはねーのか」
にやつく綾部。
辛気臭い話をしてても、前には進めない。
それが彼の信条である。
「け、経験ぐらいは」
大吉が強気にでた。
「お、そうか、じゃあわかってるよな、エロビデオとかと違って、女ってあれだって」
「あ、あれですよね」
ジッと彼は大吉を見て、パチンとデコピンをした後、にやっとした。
「いいって、悪かねえよ童貞ちゃん」
がしがしっと頭をなでる。
大吉がもごもごと頭を下げる。
「ところでアレのいい方法を知りてえか?」
ぐいっと見上げる二人。
「い、いや別に……でも、綾部軍曹が話したいというなら」
次郎は少し恥ずかしそうに答える。
「お、俺はそんなの、し、知ってるから」
虚栄を張る大吉は、声が震えている。
遠泳訓練の夜。
台無しになった花火。
死というものを目の前に見た夜。
震える学生達の膝。
男子学生達をケアしろと言われた綾部は、不器用なりに必死に出した答えはこれだった。
「まずは、ここ、どうなってるか知りてえか?」
ニヤニヤする綾部。
エロ話。
何もかも忘れさせる、エロ話。
彼らが興奮しながらも、疲れて眠るまで、綾部による女体講座が開かれていた。
副官の日之出晶が知ったら、拷問ものである。
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