第5章 葉月「実家に帰らせて頂きます!」

第79話「高校生だもの、家庭の事情もお多感ですよね」

「じーろちゃんっ」

 洗面所に向かう途中、次郎に飛びついてくる黒い影。

「な……」

 突然かつ驚愕の光景を目の当たりにし、風子は硬直してしまった。

「パ、パンツ!」

 影の勢いを受けて仰け反ったサーシャは叫ぶ。

 破廉恥きわまりない光景が彼女の目に入ったからだ。

 次郎は逃れようと必死にもがいている。

 そんな男子の抵抗を軽々と抑え、ほっぺたにキスを連発していた。

 恐ろしいほど正確に次郎は関節をきめられているため身動きができない。

 情けない悲鳴が唯一の抵抗だ。

 抱き着いている女性はしばらくして硬直している女子達に顔を向けるた。

 女性の表情はすーっと変わる。

「……何、この女達」

 急に声のトーンが落ちた。

 さっきとはうって変わった大人の声。

 パンイチの女性はキッと睨みつけ、女子達を圧倒していた。




 ■□■□■



「と、いうことでゲイデンと山中のホームステイ先は決定したので」

 ホワイトボードを指差しながら真田中尉はそんなことを言った。

 ガタンと大げさな音を立てて次郎が立ち上がる。

「ちょっと待ってください、そんな話……」

「聞いてない」 

 真田中尉が次郎の代わりにそう言った。そして、ニコッと笑顔を向けた。

「ごめんね、言うの忘れてた」

 てへ、と言ってごまかそうとする二十七歳。

「『てへ』じゃないですよっ、そんな大切なこと! だいたい、真田中尉も『てへ』って歳ではないでしょっ」

「あー、そーゆーこと言うんだ、上田は、あー、女子に対してそーゆーこと」

 女子を強調。

 確かに高校一年生相手に、若ぶる真田は見苦しいとしか言えないがしょうがない。これはお約束である。

 そもそも真田は童顔だから、若ぶる必要はないのだが。

 次郎はホワイトボードを見て、改めて自分の名前が書かれていることを確認した。

『夏季休暇、第一中隊留学生ホームステイ実施計画』

『八月八日から十五日、上田次郎宅(長崎県長崎市)』

『十五日から二十一日、三島緑宅(静岡県沼津市)』

 と書かれていた。

「みんなが入校した時にお手紙だしていたんだよねー、学生のご家庭で受け入れてくれるって言ったのが上田と三島の家だったから、ね」

「ねって……俺はそんなこと」

 三島はぼそっと「お母さんから聞いていました」と言う。

「もしかして仲が悪いとか……?」

 少し残念そうな顔で真田が察する。

「いいえ」

 顔を横に振って否定する次郎。

「もしかしてえっちな本がいっぱいあるとかー?」

「いいえ!」

 ぶんぶん音が聞こえるんじゃないかという勢いで顔を横に振る次郎。

「もう、お姉さんには正直になっていいのにー」

「なりませんっ!」

 そう言って次郎は振り向くと、ジト目のサーシャと目があった。

 ――あるんだ。

 そういう目で見てる。

 次郎はピクピクと口の端を震わせ何か言おうとしたがやめた。

 サーシャや幸子のような留学生が、夏休みの間に同期の家庭でホームステイしながら観光をするということがこの学校の恒例行事となっていた。

 ちょうど異国情緒豊かな観光地である長崎出身の次郎や、富士山観光ができる静岡出身の緑、そのふたりの両親が快く引き受けたらしい。。

 もちろん、マンツーではいろいろと問題があるため、半ば強制的に留学生と仲のいい学生――風子――がいっしょに団体行動をとることになっていた。

 あと大吉。

 彼はもともと次郎の家に遊びに行く予定だった。

 そういう訳で留学生の二人と風子、そして大吉が次郎の家にホームステイすることになっていた。



 空路で石川から福岡まで飛び、そして電車で二時間。それからタクシーに分乗して、離合するのがやっとというようなクネクネした坂道を登って行くと次郎の家がある。

 その光景は風子達にとって、なんとも不思議な世界に思えた。

 山の上にまで所狭しと住宅が立ち並んでいる光景。

 九州の日差しは強く、北陸に比べ蝉の鳴き声が倍以上聞こえるような感覚。

 別世界に来たような気分になった。

 そんな坂道の頂上付近にどーんと建っているマンションが次郎の家だった。

 ――お金持ちなんだ。

 それが風子の第一印象。

 十階建てのマンションのとなりに建てられた古めかしい平屋の家。

 玄関の前にはマンションと古武術道場を経営している両親が待っていた。

 笑顔の母親と仏頂面な父親が対象的である。 

「いらっしゃい」

 母親がにっこり笑う。

 学生達は日差しのまぶしさに目を細めながら、挨拶を返した。

「よろしくお願いします、ロシアからの留学生、サーシャ=ゲイデンと言います」

「極東共和国の山中幸子です」

「同期の中村風子です」

「友達の松岡大吉です」

 学生達を改めて見て、目をまんまる見開いて驚いた顔をする次郎母。

「サーシャちゃん、かわいかねー、しかも日本語ペラペラ」

「ありがとうございます」

 サーシャがぺこりと頭を下げる。

「幸子ちゃんは、共和国のどこ?」

「北海道です」

「あーよかねえー、一度行ってみたいと思ってたとよ」

 幸子もぺこりと頭を下げた。

 すると母親は次郎を後ろから羽交い絞めにして首を絞めだした。

「かわいか女の子ばこんなに連れてきて、いつの間にか男前になっとるし」

 にししと笑う母親。そして、身体を離すと同時にバシっと音がなるぐらい思いっきり背中を叩いた。

「パソコンの履歴はお姉さんの写真ばっかり残ってたけん心配しとったけど、ちゃんと同年代に手を出しとるなら安心」

 ――やっぱり。

 心の声が聞こえそうなジト目の風子と彼は目が合ってパクパクと口を動かすことしかできなかった。

 シスコン。

 そういう育ちだからしょうがない。


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