第57話「結局はラッキースケベでした」
しなやかに動く敵は、佐古に対して短剣で打ち合いながら足払いをしてバランスを崩させる。そして、その隙を利用してなぜか次郎に飛び掛った。
サーシャは彼を庇おうと動く。
敵の狙いはそこだった。
次郎を守るためにサーシャは動くことを確信していた。
庇うという行動は隙ができる。
そのままサーシャに対して右手の白刃を必要最小限の動きで操る。
逆袈裟で彼女が斬られたように見えた。
だが寸でのところで逸れていた。
林の奥から放たれた何かがその白刃に当たったため動きが鈍ったのだ。そして、走りこんできた小山が左側からショルダータックルを受け突き飛ばす。
サーシャを救った『何か』は確認できないが、そんなことに構っている余裕は大人達もない。
「例の奴らはこれかっ!」
「ああ」
小山はそのゴツイ体のわりには、凄まじい瞬発力を持っている。そのまま押し倒すようにして、敵の馬乗りになる。
フードがはずれ、長い髪が露になった。
押し倒された敵は女性だった。
「小山、今行く! 逃すな」
小山の動きが明らかにおかしい。
佐古が異変に気づいて歩み寄る。
「おい、どうした?」
小山が不意に手を離し、女がするりと抜けだした。
わざととしか思えない離し方。
それと同時だった。
「上っ!」
緑が悲鳴を上げた。
木の上から小さい影が落ちてきた。
手には刃物。
佐古を踏み台にするように飛び跳ね、その小動物のような敵は一気にサーシャに間合いを詰めた。
小山は反応できなかった。
唯一反応できたのは次郎だった。
彼は飛び込むようにして懐から何かを出す。
小さな影と彼が重なった後、金属音とともにキラッと光る金属片が飛んでいった。
彼は立ち上がり様に懐から小刀を抜いたのだ。
祖母から預けられた無銘の小刀。
その重ねが厚いどっしりとした一尺の小刀は、小さな影の持っていたナイフを真っ二つに折っていた。
彼は落ち武者スタイルの飾りにするため、それを腰に身につけていたのだ。
道場でやっている動きと同じだった。
そのまま一歩前に出ながら返す。
小刀で、太刀で斬る様な太い竹を切るように、表面をなでるように。
ただし芯を斬ることはしない。
彼は表面だけをなぞった。そして、鞘に小刀を戻す。
その動作と ほんの少し時間がズレて、パサリと、小さな影のズボンがズレ下がった。
白い足。
女の子の白いパンツ。
あの黒いハイソックスの奥にあった色と同じだった。
小さい影はさっきまでの殺伐とした気配からうって変わって、慌てた感じでズボンをずりあげていた。
「女の子、それにあの時のパンツ……」
次郎はなんとも情けない顔で呟いた。
パンツのせいで動きが止まった少年。
小柄な敵は器用にピョンピョン跳ねて後ろの林の中に消えていった。
「逃がしたか……」
小山が襲撃者二人が消えていった方向を見つめる。
「小山……」
「いや、すまん。なんでもない」
「……」
「俺はアホだ。さっきの女が絵里に見えた」
「絵里?」
「学生の頃付き合っていた……瓜生絵里」
佐古が一瞬考え、すぐにはっとした顔になる。
「あの、おっぱいが大き……」
そう言おうとして佐古はやめた、学生を前に中隊長という職責が言葉を選んだのだ。
「……なぜ、その瓜生絵里がここにいるんだ」
「いや、俺の見間違いだと思う、そんな訳、ないよな」
小山は少し頭を抱えていた。
そんな中、少年少女四人組みは呆然としていた。
あまりに、いろいろな事がありすぎたからだ。
それでもとりあえず、風子と緑はサーシャの元に行き、無事だったのを確かめ抱き合う。
サーシャが風子の顔の痣を撫で、目に涙を浮かべていた。
緑も落ち着きを取り戻したのだろう、少し目が赤いが涙は止まっていた。
どしりと腰を地面に下ろし緊張から開放されへたり込んでいる次郎はぼーっとその光景をみつめていた。
「上田君大丈夫?」
緑が声をかけるので、次郎はこくんとうなずいた。
女子二人もその横に立っている。
「ジロウ、ありがとう」
目をそらしながらサーシャは言った。
「腕……」
ぼそっと風子が言うと次郎は首を横に振った。
「いや、俺のなんかより、ごめん、顔殴られて、ごめん」
次郎も男の子である。
左腕の骨にひびががっつり入って激痛が走っているが、まずは女の子のことを心配するのが基本であった。
「う、うん」
遠慮がちに風子が返事をする。すると、次は緑がおどおどしながら質問をした。
「上田君、さっきの……あの女の子のパンツ見えた?」
「うん、白だった」
次郎は馬鹿正直に頷く。
無意識だった。
余計な白だったという言葉に反応してしまったのかもしれない。
少女達は無意識に動いていた。
緑は彼のおでこにグーパンチを入れていた。
風子は彼の後頭部を叩いていた。
サーシャも彼の足を蹴っていた。
「痛いっ」
次郎は男の子であることを忘れ、悲鳴をあげていた。
憲兵ではなく大隊の警備係の兵士達が来たのは、その後すぐだった。
後から乱入した本命のことを彼らはまったく知らないと供述していた。
一方、次郎と風子は衛生兵に氷をもらってアイシングによる応急処置をしている。サーシャと緑もそれを手伝っていた。
すると鬼の形相をした坊主頭の佐古が四人の少年少女の前に現われた。
血管が浮き出ているのが見える。
「危ないから出歩くなと言ったのは覚えているな」
サーシャは佐古を睨み返す。
「腕試しか何か知らんが、くだらん事でどれだけ迷惑をかけたと思っているんだ」
「あんなのは私一人で片付けていました」
その一言で佐古の堪忍袋の紐が切れた。
二十年前、自分達の力も知らないで中隊長――日之出大尉――に食って掛かった自分達の姿と重なった。
――私も男子といっしょに連れていってください。
そう言った同期の橘桃子。
――敵が来ているのになぜ逃げないといけないんですか!
そう言った自分。
大人の気持ちもわからず、自分達のわがままだけで文句を言うあの必死な姿に。
佐古が右手を振り上げた時だった。
「良かった……ほんとうに間に合って良かった」
暑苦しい筋肉の壁が四人の背中に圧し掛かった。
そう言ったのは涙声の小山だった。
「鼻血止まったかあ、中村、早く冷やさんとお美人さんがなあ、やった奴は倍返しどころか、原型がわからないぐらいにしておいたからな……すまん、ほんとうにすまん」
ぽんぽんと風子の頭を撫でる。
「三島、怖かっただろう、よく悲鳴もあげずにがんばったなあ、うん」
緑のほほに手を当てた。
「上田ぁ、腕痛いだろう、男の子だなあ、泣かなくて偉いなあ」
と言って、容赦なく次郎の腕を叩く。
かわいそうに彼は電気が走ったようにびくっとして涙が吹き出していた。
「サーシャ、良く頑張った、偉い」
小山はぎゅうぎゅうと四人を一挙に抱きしめていた。
彼らは暑苦しい抱擁の中、微妙な顔をしていた。
なんとも言えない暖かさがそこにあったからだ。
佐古は彼は涙目の小山を見て呆れる様な表情を向ける。
しばらくして、ふと笑ってしまった。
彼は回れ右をして、五人に背を向けその場を離れた。
やることはまだある。
顔を引き締め、彼は疲れた体を動かした。
サイレンサー付の拳銃を懐に戻した男達がその場を後にする。
「ミハイル様、こんな拳銃で五十メートルも先のあれに当てるなんて、さすがですね」
ロシア帝国海軍将校の服を着た男。
その男に付き従う下士官服を着た男が小声で褒めていた。
「お嬢様が無事で良かった」
皺を寄せて喜ぶ下士官の男に一瞥もせず、ミハイルは無視するようにして踵を返して歩き出した。
今の表情を彼は誰にも見られたくなかったからだ。
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