第58話「ダンスパーティーでお詫びを」

 次郎は学校祭夜の部――ダンスパーティー――をなめていた。なんとなく、おぼっちゃんな感じで白けてしまう、どうしようもないイベントだと思っていた。

 だが彼がその場に居合わせて感じたことは『すごい』の一言だった。

「海軍金沢基地から来て頂きました! 海軍軍楽隊のみなさまでーす! はい、拍手」

 渡辺潤――次郎と同部屋の先輩――は司会者として軍楽隊を紹介している。

 軍楽隊は『挨拶』代わりに音楽を演奏始めた。

 次郎は、その体に響く生演奏と管楽器が動くたびにそれがライトに反射してキラキラと輝く姿を見て、鳥肌が立てて感動していた。

 ――すっげー。

 口は半開きになる。

 彼は生まれた初めて聴いた生演奏というものに対して心が震えていた。

 それだけではない。

 ここにいる参加者は、軍関係者だけでなく、金沢市内の一般高校の生徒もたくさん招待されていた。

 このため、いろいろな制服が体育館の中で入り混じっていて、目にも華やかな風景が次郎の目にも映っていた。

「野郎ども! 今日はシャバの女子高生が相手だ! 決戦だ! いくさはすでに始まってるからな!」

 マイクを力強く握って激を飛ばす潤。

 野次のような歓声がそれに答えた。

「余計なお世話だ!」

「しゃあああ!」

「てめー彼女持ちの余裕か?」

「うおおおおお!」

「こいやああああごらあああ!」

「彼女募集中!」

 雄叫オタケびを上げる男子学生。

 成功率は低いが、そういう場になるのは毎年恒例のことであった。

「みんな、張り切ってるなぁー」

 体育館の壁に寄りかかり、にこにこしてつぶやいているのは真田中尉だった。

 制服を着れば、この場に溶け込むこともできるかもしれない、そんな二十八歳。

 その隣にいる次郎は壁際にちょこんと座っていた。

 彼女は昼間の事件を気にして被害者である学生のそばにいた。

 被害者である次郎、風子、そして緑。

 サーシャを除いて彼らはいっしょに行動をしていた。

 ちなみに真田中尉以外と軍楽隊以外の大人はほとんどいない。

 大人達は少しでも学生が伸び伸びとできるように、外野に徹しているからだ。

 と、聞いていた。

 次郎は窓の外がなにやら騒がしいので、ちょっと覗いてみる。

「あのダメオヤジ達はただの酔っ払いになっているから、外は気にしちゃだめよ」

 と言ってため息をついた。

 見ると、二中隊の副中隊長や他の教官達がわいわい焼肉をしながら楽しんでいる。

 まあ、子供の相手なんかしてる暇はない。

 本当の理由はそこであった。

 次郎は、鈴もあっちでわいわい飲みたかったんだろうな、と申し訳なくなってしまった。

「すみません、お手数かけて」

 そう彼が言うと、鈴は一瞬びっくりした顔をした。そして何を言っているかわかったのだろう、優しい笑顔になって言葉を返す。

「子供が大人に遠慮しちゃってー、かわいいなあ上田君は」

 鈴はそう言って、彼の頭を撫でた。

「真田中尉、むっつりですから気をつけてください」

 次郎を睨みながらそう言ってきたのは風子。

「な、む、むっつりって」

 次郎は鈴から香るお姉さんのにおいに少しうっとりしていたのは事実だ。つい図星をつかれた格好だったから、動揺して言葉もカミカミになってしまった。

 そんな次郎は目だけでも抵抗しようと風子に視線を移すが、別の理由でそれを外してしまった。

 昼の事件で暴漢に殴られた痣が見えたからだ。

 鈴がうまく化粧をして目だたないようにしていたが、痣はうっすらと見えている。

 ――俺のせいで。

 もっと自分が強ければ、あんなことにならなかった……そう彼は自分を責めていた。

 彼の視線に気づいてしまったのか、彼女は頬を触った。

「……ごめん」

 次郎はつぶやくように謝った。そして彼の左腕に風子の視線を感じた。

 たかだか、骨にひびが入ったぐらいで、大げさだけど彼は思っている。だが実際、触れれば激痛が走るような状態だった。

 なんにしても、痛々しい姿ではある。

「……別に……ごめん」

 風子はぼそりそう言うと視線を外した。

 ステージの方から歓声が上がる。

 二人の気分とは裏腹に周りはどんどん盛り上がっていた。

 風子はまわりをチラッと見て、そして少しだけ次郎に近づけた。

「……余計なことしたから上田君に怪我させちゃった……ごめん」

「中村のせいじゃ……」

「なんで……私なんかのために、サーシャも上田君もあんなことに」

 もちろん、風子は緑も人質に捕られていたことはわかっている。それでも、自分が殴られた瞬間、二人の雰囲気がガラリ変わったのはわかっていた。

「サーシャは自分が狙われているってわかっていたから、わざわざ離れていたのに」 

 余計な真似をしたという思いが強い風子。

 もし自分がいなかったら、あんなことにならなかったかもしれないと思っている。

 会場がドッと沸いた。

 潤の司会、強弱を付けて煽り、波をどんどん大きくしている。

 次郎の先輩は大衆を扇動する才能があるのかもしれない。

 そんな盛り上がり方だった。

 フォークダンス。

 三年生の男子と女子がまず踊り、そして他校の女子に声をかけていく。

 最初は遠慮がちだった雰囲気。

 だが、それは潤の煽りのお陰で、気になる男女に気軽に声をかけてもいいようなものに変わっていた。

 音楽もどんどん軽快な演奏で場を盛り立てている。

 会場が沸いたのはそれだけではない。

 風子と同部屋の先輩である田中純子が男子の制服で現れたからだ。そして、ドレスを纏った女子――同じく同部屋の二年生である長崎ユキ――の手を取り、音楽に合わた軽快で息の合ったステップでダンスを披露していた。

 下級生の女子達から黄色い悲鳴が上がる。

 数名、新たな性癖をこじらせた女子が誕生した瞬間であった。

 男子勢も負けずにパフォーマンスをはじめる。

 現れたのは、学年一番のイケメンでクール、そして一部では変態と有名な宮城京だ。

 長身に細めの眼鏡をかけた彼は、制服の第二ボタンまで外し、セクシーさをアピールしている。そして、パートナーは可憐な少女。

 いうまでもないが大吉である。

 京は紳士的な態度でステップを踏んでいた。

 その内だんだんと情熱的になり、二人は腰をピッタリくっつけるような情熱的なステップに変わる。

 男たちは「やめろー」とか叫んでいるが、女子たちの喜びの悲鳴というか、囃す声にかき消されていた。

 数名、新たな性癖をこじらせた女子が誕生した瞬間であった。

 風子の隣にいる元々こじらせている緑も大興奮。

「やれー」

 と叫んだと思うと、ぶるぶるっと震えた後に「うをー」とか唸っている。

 一方、サーシャも輪の中に入り、男子達と踊っていた。

 次郎に対する時とは違い、とても淑女な表情で。

 彼女は彼女で、今日の昼間の失敗――風子と緑を巻き込み、怪我もさせた――ことを気にしていた。そして、その気持ちを出しようがないので、体を動かして発散しているのかもしれない。

 だから、休むことなくダンスの輪の中にいた。

 次郎はそんな光景をみながら椅子に座ると、ため息をついた。そしてふと視線を上げる。

 いつの間にか、別の高校の女子生徒が目の前に立っていた。

 髪の毛を左右に結んで垂らしている頭。

 切れ長の目。

 お嬢様高校で有名な、金澤中央女子高カナジョの制服。

 じー。

 次郎は視線を感じる。

 遠慮ない視線だった。

 ――だれだっけ。

 いろいろなことがあったせいだろう、すぐに思い出すことはできなかった。

 目の前の女子は次郎をまだ見ているというか、見下ろしている。

 次郎は見上げて、ぼーっと考える。

 その瞬間、走馬灯のように昼の出来事が蘇った。

 ――白いパンツ。

 ――飛びかかる刃物。

 ――痛い。

 ――お母さんっ。

 ――むにゅ。

 ――見てないっ。

 ――ごっつんこ。

「あっ」

 襲って来た女子、そしてごっつんこした女子。

「ばれた?」

 見下ろす女の子は、スカートを押さえながらボソッと言う。

「今度から、仕事前にパンツを変える」

 その女子はそう口にしながらぐっと次郎に詰め寄った。

 ――え、こんなところで、やられる。

 彼は、反射的に椅子を倒すようにして後ろに仰け反ろうとする。だが、女子の動きは速く、ぐいっと彼の肩に手を置くと、彼はそれ以上動くことができなくなった。

 周りも異変に気づく。

 鈴が女子を掴もうと手を出した。

 風子は緊張が走ったが、少しも動けなかった。

 緑はまったく気づかず「大吉ー、今だー」とか叫んでる。

 やばいと次郎は思った。

 殺気というのか、何か良くわからない雰囲気だ。

 無表情な女子の顔が彼の恐怖を倍増させる。

 女子は次郎に顔を近づけた。

 首の関節だけで仰け反る次郎。

 ちゅっ。

 場が固まった。

 さっきまで大声を張り上げていた緑も、この雰囲気に気づいたのだろう。

 はっと見たときは、次郎と女子の唇が合わさっていたから、口を開けたまま固まってしまった。

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