第51話「たった三人の同期」
「……あのね、本当はしようと思ってた」
「えっち?」
スパコン。
桃子の平手が小山の頭を叩いた。
「……小山君サイテー、何その言い方。すごくおっさん、エロ親父」
「三十七だもん。しょうがない」
「三年生の学校祭」
その瞬間、三人のいる空間の空気が変わる。
懐かしいような、そして哀しみを含んだそれだ。
「……」
「……」
「ダンスパーティーの後」
「……そっか学校祭か」
「桃子さんは喫茶店の元締めだった、思い出した」
「喫茶店で、佐古君もいっしょに手伝って、教室に二人きりになったところで、キスしようとか、期待してた」
「そんな雰囲気じゃなかったよ」
苦笑いの佐古。
「そりゃ、そういう素振りみせないようにしてた、恥ずかしいし」
「まあね」
「それでダンスパーティーの後を狙ってたわけだ、お二人」
「俺は狙ってない」
「期待してただけ」
「そこだけいい子ぶっちゃって、正直に言え、先生、怒らないぞー」
そんなことを言う小山は普段出さないような猫なで声。
「はいはい、狙ってました、二人きりになるのを狙ってました、だっていい雰囲気だろ、学校祭の準備をしている夕焼けの教室なんて」
「よーし、いい子だ、先生、頭撫でてやるから」
そう言って小山は手を伸ばすが、佐古は鬱陶しそうに、その手を
「でも、できなかった……あの日はこなかった」
「結局、ダンスパーティーもできなかったし」
「……」
「……」
「……」
静かにため息をつく三人。
「そっか、やっぱりあの戦争が全部持って行ったんだなあ、オレたちの」
「そう、ぜーんぶ持っていかれちゃった」
「ねえ、あれがなかったらどうなってたと思う?」
桃子はカウンターに肘を置いた。
「そりゃ、俺と桃子さんは結婚……痛っ」
「高校で付き合ってた者同士で結婚ってあんまりない……つうかオレが桃子さんと結婚してたな」
「お前な、不意のパンチは痛いから、肩でも痛いから、手加減しろって……いや、そんなことより筋肉バカが桃子さんとできるわけないだろう」
「はいはい、ちゅーもできなかった奴には言われたくない」
ムキーと言い出さんばかりに二人はにらみ合う。そんな二人を見て桃子は少し笑った。
「……勝手に私を取り合わないで、物じゃないんだから、そういうことじゃなくて私たちの仕事」
「俺は……普通にどっかで働いているのかなあ」
「オレは大学にいって、普通の企業に勤めてる、だろう」
「そうそう、そういう雰囲気よね、あの頃の二人がそのままだったら」
「桃子さんは?」
「お嫁さん」
「いやいやいや」
「いやいやいや」
「そういう雰囲気はないなあ」
「……小さい会社つくってそう」
「なによ、そっちの世界でも結婚してないの?」
「結婚が人生の目的じゃない、人生の墓場だなんて言ってそうだよ」
「それじゃ、今と変わらないじゃない」
「結局、今と変っていないのかな」
「そうかな」
ふふふと三人は同じような声を出して笑った。
佐古がグラスを揺らし、琥珀色の液体を泳ぎ回る氷を見ながら口を開いた。
「そうそう、桃子さんの彼氏さんは元気してんの?」
「潜水艦乗りだからどこに行くかいつ帰ってくるかわからないのよ」
「お似合い」
「けっきょく軍人に手を出しるもんなあ」
「ちょっとは待つことやってみたいの」
「この前の普通の船乗りは、待てなかったじゃない」
「あれは、あいつが浮気したから、しかもバレバレの」
「潜水艦乗りじゃ、外国の港には寄らないしなあ」
「根暗そう」
「人の彼氏をあーだこーだいっちゃだめ」
「結婚は?」
「あのね、お父さん? お母さん? ねえ、どっちがどっちなの」
「俺がパパで、この筋肉バカがママでどう?」
「殴る」
握りこぶしを掲げる桃子の目は笑っていない。
「ごめんなさい」
「すまん」
ペコリ頭を下げる二人。
「一人で喫茶店経営しているのは、あの時のみんなが来てくれるかもしれないって思ったから……もし、あれがなかったら、たぶんそんなエネルギーはないと思う」
そう言うと桃子は佐古をジッと見つめる。
「来て欲しいって思う力だけで、なんとかやってこれてる、来るはずもないってわかってるんだけど」
「学校祭ではできなかったから」
佐古はそう言ってグラスに手を当て、そこに付着している水滴をなぞる。
「みんなで一生懸命準備してたじゃない」
「そうだったけ」
小山は少しおどけた口調。
「……そこは頷くところでしょう」
「へいへい」
「ねえ、二人がこの店に来てくれることが一番うれしいの」
「二人しか来ないが」
「しょうがないじゃない、みんな来れないから」
「下手すりゃ、オレ一人だったかもな、このボケ佐古が生きているのは奇跡だ」
「……」
「オレは始まる前に病院送りになったようなもんだからな」
自嘲気味に小山は呟いた。
「本当はもっと大勢で桃子さんの店に来れればよかったんだけど」
佐古には目の前で死んでいった同期の顔でも浮かんでいるんだろうか、うっすらと口が揺るむ。
「しょうがない、みんな帰ってこない」
そう言った顔は言葉とは裏腹のすっきりとした笑顔だった。
「なあ、あの戦争はなんだったんだろうな」
「小山君……」
「オレは砲弾の破片で怪我をして、みんなと死ぬ前に逃げることになったから、今は生きている」
「逃げたなんて言うな……怪我したから後送されたんだろ」
佐古はそう言うとため息をついた。そして言葉を続ける。
「東からの留学生の女子がいる、彼女の爺さんはあの戦争で死んだ……場所は岐阜らしい」
「あなたが殺したかもしれないとか言いたいの?」
「ああ」
「わからないんでしょ」
「顔が見える位置でやってしまった相手は覚えているけど」
「あのね」
桃子はそう言って、会話の間合いを切る。
「私が手伝うっていったのは、ちょうど私達とあの子達を重ねたから」
「俺だって……」
佐古は、言葉を続けようとしたが、彼女の表情を見てやめた。
「なんか、学生さんたちが喫茶店やるって聞いて、何か力になりたかった」
「このバカ小山が、無理矢理喫茶店にしたんだろう?」
「そうなの?」
「あくまで公正に、話し合いと、最後は『ゲーム』の勝敗で決めた」
「うそをつけ」
「だいたい、お化け屋敷と喫茶店なら、喫茶店に決まっているだろう」
「やっぱりお前か、公正はどこにいった」
「善導しただけだ」
「趣味の押し付けだろ」
「押し付けてはいない」
「押し付けだ」
「はいはい、殴り合いは禁止! 今度やったら出入禁止にするからね、周りのお客様が見てるから」
ふて腐れた顔で二人は手を止める。
「小山君にはお礼が言いたい」
「喫茶店にしてくれた」
「……たまたまだ、たまたま」
「佐古君にもお礼、このお店に頼めって鈴ちゃんに言ったの、佐古君でしょ」
「……真田、あいつ口が軽いな」
「ありがとう」
彼女はペコリと頭を下げる。
「でも、お礼ついでに、もう一つお願いさせて」
顔を上げた彼女の顔は真剣になっていた。
「あれはあの子達の学校祭だから、大人が自分たちのことで、気持ちを入れすぎないようにしよう」
佐古は目を逸らす。そして小山はハッとした顔をした。
「佐古君も無理をしないで」
「無理はしていない」
「もっと、あの時のこと話してくれてもいいんだよ」
「……」
「ごめんね、今回のことでまた思い出すこともいっぱいあったんじゃないかなって、そのうちそれが辛くなりすぎて、こうやって三人で話せなくなるんじゃないかって……そういう無理してるんじゃないかなって……ごめん、私も怖かったから」
「そりゃ、あの戦場のことはあまり思い出したくない。今でも夢に出たりする……でも、学校祭のことは悪い思い出じゃない」
「でも連想しちゃうんでしょ」
「一応、二十年経って、それくらいはコントロールできるようになっている」
じっと桃子を見て、ゆっくりした口調で佐古は言った。
「ごめんね」
「すまん」
彼女はカウンター越しに手を伸ばし二人の肩に手を置く。そして、その華奢な腕で男二人を抱き寄せるようにした。
「あのね、さっきも言ったかもしれないけど、ここにこうして同期の二人が来てくれるのは、幸せなことなの」
「たった二人」
「たった二人だけになった」
「二人も、よ」
「そっか」
「そだな」
「うん」
ぽんぽんと彼女は二人の肩を叩いた。
「そっか……」
「そだな……」
「だって、そのために作ったお店だから、そのために続けているお店だから」
彼女はぱっと手を離すと、スッと胸を張る。そして、逞しい笑顔を浮かべた。
その表情はあの制服を着ていた頃の桃子と同じだと、二人の同期は思った。
懐かしい、あの日々。
あの場所で輝いていた笑顔だった。
今、あの場所にいる学生達と同じそんな笑顔。
少しだけ哀しく、懐かしい思い出の中にある笑顔だった。
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