第50話「あの頃の想い」

「あの子達は高校生だぞ、恋をだな、恋をしっかりしないと、ロクな大人にならん!」

 小山は無駄に上腕二頭筋を膨らませる。

「軍隊だ、そんなの必要ない」

 佐古はグッとグラスの中のウイスキーを流し込み、じっと小山を睨んだ。

「懐が狭い! もっと学生のころはボケはボケでも融通利く奴だったのにな」

「バカはバカらしく、黙って俺の言うことを聞け、俺の方針で中隊は動いているんだ」

「オレら教師は大隊長直轄だっての! このクソボケの指揮下じゃーない」

 大隊長。

 彼らの上司にあたる、第一〇九少年学校長兼独立歩兵第九大隊長の事だ。

「大隊長だって、そんな自由恋愛を求めていない」

 そう佐古が言うと、小山はフンッと鼻で笑った。

「避妊はさせろって言ってた」

 佐古はその言葉を聞いてげっそりした顔になる。

「恋は仕事だって言ってたな、あのおっさん」

「あのおっさん、愛人関係をさらりと自慢する様なダメ人間だぞ」

「俺がこの前聞いたのは『いいか、一箇所で二人以上はやめろ、僕が大尉のころ、師団司令部で同時に四人と行為を持ったときは職場でバレた、さすがに師団長に注意を受け大変だったからな』なんて、自虐ネタ……言ってた、サラッと」

「物凄くダンディだもんな、あのおっさん」

「そーいや、うちの日之出中尉を口説いてた」

「……五十手前で何やってんだ、あのおっさん」

「日之出は容赦なくしばいたらしいが……」

 二人は一息つくようにして目の前のグラスの中身を飲み干した。

「ある意味、勉強になるがな」

 そう言いながらうなずく佐古。

「そうだな、勉強になるな」

 うなずきながら小山が同意する。

「あら、一箇所で浮気相手は一人にするってことが勉強?」

 ぐいっとカウンター越しに体を乗り出し、笑顔のまま桃子は会話に割って入る。

「まあ、目安として」

 目をそらす佐古。

「そうそう、目安だなあ」

 頭を上下にゆっくり小山は振る。

「ふふふ、奥さんにチクっちゃおう、サイテー、ほんと二人はサイテーだって」

 桃子の声に二人が硬直する。

「やめて、ごめんなさい」

「やめて、すまん」

 さっきまでの勢いは消え、二人はカウンターに頭を近づけるように深々と頭を下げた。

「だいたい、バカなお前が、変なことを言い出すから、おい」

「ボケナスだが、お前もあのおっさんのこと好きだろう、なんか腹心みたいに可愛がられているじゃねーか、そのハゲ頭、撫でられてたし」

「ハゲじゃない坊主だ」

「猫みたいに喜んでいただろ、お前」

「……え、そういう関係?」

「違うよ、桃子さん、頭撫でるのは大隊長のスキンシップなんだよ……そっちの気はないよ、超絶女好きだし、あの人」

「あのおっさん、この前『僕は、女の子にももてるけど、同性愛者にもモテるんだ』って自慢してたぞ、ダンディに」

「……え、それ、かっこいい」

「かっこいい?」

「大隊長さんを見る目が変っちゃう、どうしよ、今度お店に来たらじろじろ見ちゃうかも」

「桃子さんうれしそう」

 苦笑気味に佐古が言葉を返す。すると桃子は満面の笑みを彼に向けた。

「だって私、ゲイのお友達が欲しいって思ってるから、世界が広がりそう」

「……なんか、家内も同じこといってた」

「あ、そうなの、奥さんとは気が合いそうね、今度ウチにつれてきてよ」

「娘が小さいから無理」

「あなたが娘さんの面倒を見て、家に残ればいいじゃない」

「……あー、そーゆーこと」

 ぐいっと体を入れ込み、物理的に小山が会話に割って入ってきた。

 寂しがり屋なのである。

「今度オレとこいつの奥さんと二人で飲みにくる」

「は? てめえみたいなエロ筋肉バカになんでうちのを」

「なんだと! びびってんじゃねえよ、ケツの穴が小せえ」

「やかましいわ、筋肉バカ」

「一生、奥さんの尻にひかれていやがれ」

 佐古はスッと真顔に戻り小山を見た。

「いや、そりゃ小山、お前ところの方が、やばいだろう」

「あ、はい……待て、違う、うちはオレが優しくしているだけだ」

 はんっ。佐古はそんな声を出して笑う。

「携帯で話す時の声、あれやばいぞ、そんなゴツイ体してありゃねえわ……お前、家庭の中じゃ食物連鎖の底辺だろ、底辺」

「うっせ! オレは使用人レベルだ! お前のところは奴隷ぐらいだろ」

 肩パンチの応酬が始まる。

「この、バカ筋肉!」

「この、石頭ハゲ!」

「はいはい、お願いだから殴り合わないで。周りのお客さんがひくから」

「んなこと言っても、桃子さん、このバカが」

 佐古は小山を指差しながら、訴えるような目で桃子を見上げる。

「違う桃子さん、こいつが先にだな」

 小山は肩パンチに来た佐古の手を握り、そのまま理不尽な握力でつぶしにかかる。

「いててててて」

 そう言う佐古は、自由の効く左手で小山の太ももに手を伸ばす。そして内側の皮を爪で挟んだ。

「あたたたたた」

 悲鳴をあげるおっさん二人。

「静かにしろっ!」

 ごん。

 ごん。

 佐古と小山の上腕にチョップ連撃。

「いてぇ……お客さん殴ったよここの店長」

「あたた、筋肉と筋肉の間を突いちゃだめ、痛いから、まじに、酷い」

五月蠅いウルサい」

 彼女の言葉は、まさにうっとうしいハエに文句を言う口調だった。

「はい」

「はい」

「それはそうと、恋愛禁止、恋愛禁止って佐古君はいうけど、ねえ、昔の私とのアレはいったい何だったの?」

 桃子は佐古の顎を右手で押し上げた。

「も、桃子さん、怖い」

「質問に答えなさい」

「あ、あれはあれ……あ、あの頃とは立場が違うから」

 桃子は右手を元に戻し、真面目な顔に戻った。

「あの子達は、あの頃のわたしたちと同じよ」

「違う、俺はちゃんと君とは人前じゃいちゃつかなかったし、ちゃんと節度をもって付き合ってた」

「なによ、節度って」

「節度がないことをしていたのは、この隣のウーロン茶バカ」

「あん? オレが何をした」

「あの胸の大きな女の子……名前は……まあいい……お前が付き合ってた女子、たまーに食堂とかでイチャついていた、覚えているだろう」

瓜生絵里うりゅうえりちゃんだ、イチャついてはいない、ただ愛をだな……」

 佐古は小山の話を遮る。

「お前みたいなバカが、その絵里ちゃんと公衆の面前でイチャコラしているから……あれは酷かった、周りはうんざりしてたんだよ、あれってさ、ほんと同期の絆に悪影響がある」

「そりゃ、ただの嫉妬だろう」

「ああ、そうだね、あんな筋肉バカになんで彼女ができるってことでもう怨念が立ち込めるわ、同期の間でモヤモヤっとするわ」

「健全じゃないか、高校生とモヤモヤは」

「高校生じゃない、軍人だ」

「軍人である前に高校生だ」

「はいはい」

「でも、隠れて手を握ってたりするのは、なんとなく不健全よね、今思い出すと」

「え、隠れて手を握ってたの、このバカと桃子さん」

「『手、寒いよね?』とか言って裏でこそこそ握ってくるの、佐古君」

「……ある意味エロいし、たぶんいろんな欲求がムラムラしてて『手』なんだろうな」

 頭を抱えテーブルに額を押し付け悶絶する佐古。

「い、いいじゃないか、慎ましくて、かわいいだろう」

「ま、ムッツリスケベなのか、慎ましいのかは微妙だけど」

 ハッとした顔で小山が思いついたように話題を変える。

「……ん?  っていうか桃子さんもこのバカもちゅーはしてないの」

「拒否権発動」

 佐古は抑揚のない声で答える。

「してないよ」

 少し笑いを含んだ声で桃子は答えた。

「化石」

 明らかにバカにした、そんな上から目線の小山は一言そう言った。

「うるせバカ」

「純情でよかったよねー、いい思い出」

 佐古はぐいっと、小山に顔を寄せた。そして、ちらっと桃子を見て口を開く。

「桃子さんがちゅーさせてくれなかったんだ」

 また佐古の口は尖っている。

 桃子はそれを無視して、空になった二人のグラスを処置を始める。

「桃子さんがちゅーさせてくれなかっ……」

 小山は佐古の口調を真似をして、さっきの言葉を復唱するが笑いがこみ上げて来たのだろう、筋肉をプルプルさせながらクククと笑っている。

「はい……さっきと同じ、おかわり」

 二人の会話を気にすることなく、桃子はウイスキーのダブルとウーロン茶をコトっと置いた。

「ありがとう……もうこのボケナスのは薄めにしといてくれよ」

「ロックで薄めも何もないんだけど」

 そう言いながら桃子は笑って、カウンター越しにある椅子に腰掛けた。

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