第49話「大人達の想い」
「一応、ここ喫茶店なんだけど」
「知ってる」
橘桃子はあきれた声を出した。
佐古はグラスの中にある大きく丸い氷を指で撫でた。
グラスにぶつかった氷が気持ちのいい音を奏でる。
「メニューにあるから」
軍服に坊主頭の佐古は、なぜかこの店の雰囲気に溶け込んでいる。
「あなたみたいなアル中がいるから載せたんだけど」
「そりゃどーも、何度も言うけど俺はアル中じゃない、アルコールが好きなだけだ」
彼はそう言いながらグラスに口をつけた。
「ウーロン茶野郎に何かひとことないのか」
明らかに馬鹿にした口調の佐古は、右隣りの男を挑発的な目を向けた。
「喫茶店でウーロン茶を頼んで何が悪い、茶だ、茶、日本人なら茶だ」
筋肉が盛り上がって見えるグレーのスーツを着ている男。
刺さりそうなソフトモヒカンの髪型の下にある凶悪な顔。
少年学校の教師をしている小山だった。
「ま、できれば珈琲か、紅茶飲んで欲しいんだけど」
桃子はウーロン茶が大陸文化とはつっこまない。
小山は口を尖らせ、不機嫌な顔をしてそっぽを向いた。
「酒や珈琲は筋肉に悪い」
小山の言葉に対して、佐古は鼻で笑う。
「こいつ飲みに行っても酒を飲まん、まったく面白くもなんともない……筋肉バカだからな、筋肉バカ」
「やかましいわ、このハゲ」
「ハゲじゃない、坊主だ」
顔面を突きつけ会う二人。
鼻息が荒い。
「相変わらず仲がいいわね、佐古君も小山君も」
「だれがこんなバカと」
と佐古。
「だれがボケと」
と小山。
そしてぷいっと顔を背ける。
子供のころは三〇代半ばといえばいい大人だったのに、そんな風には見えないと彼女は思う。
――あーあ、すぐあの頃と同じ顔をするんだから……。
桃子はこの腐れ縁の二人のこうした姿を見ていると、あの頃の日々が、つい最近のことの様に思えるのだ。
たまに、あの頃が戻ってくると。
「……はいはい、殴りあわないで」
子供の喧嘩を止める様な口調で、桃子は間に入った。
「俺は、こいつよりも桃子さんに会いにきたんだけど」
佐古の発言を邪魔するようにして小山は左腕を伸ばし、彼の口の前に手の平を広げた。
子供みたいに会話の邪魔をしている。
「オレの方がお前よりも、桃子さんに会いたいと思っている」
お互いに顔を近づけ口をぱくぱくしながら睨み会う、すると今度は小山がしゃべりだした。
「オレなんてな、もう、会いに来たどころじゃない、愛を語りにきたぐらいだ」
佐古が仕返しとばかりに、ぐいっと小山の首を制するように右腕を伸ばして圧迫する。これはたまらず、小山はバランスを崩し椅子から転げそうになった。
「俺こそ、桃子さんにだなあ」
二人はジタバタしながら、相手を退けぞらせようと、腕を伸ばしお互いの顔や胸を圧迫し続けている。
「はいはい、奥さんに電話していいのよ」
呆れた顔で、どこか笑いを含めた声でピシャリと言ってのける。
「……そういうことはさ、大人なんだし、やめようよ、桃子さん」
「佐古のバカはお灸を据えないといけないと思うが、オレのハニーにそういうことをな、大変なことになるから、いや、ちょっと」
ジタバタする二人。
「で」
笑顔の桃子。
「ごめんなさい、許してください」
「……すまん」
ペコリと謝る男二人。
「はいはい、私なんかに愛を語らないで」
「ダメ?」
小山が頭を下げたまま、首を傾け桃子を見上げる。
「はい、奥さんの番号、と」
携帯を取り出す桃子。
すると小山は盛り上がった筋肉を縮める様にしてため息をついた。
「あーあ、またふられた」
意地悪そうな表情で勝ち誇ったように笑う佐古。
「お前に桃子さんを落とせるわけがない」
「ふられたの何回目だっけ」
そうたずねる桃子の顔は優しい。
「もう忘れた、学生のころからだから」
「そうだっけ」
小山も桃子もさっぱりした言い方だった。
佐古は少し複雑な顔をして目の前のグラスに口をつけた。そして、何かを思い出したように口を開いた。
「そう言えば、お礼を言うことがあった」
彼はグラスの縁を、人差し指の腹でスーッなぞりながら話しをする。
「そう言えば桃子さん、学校祭の手伝いをするとか聞いたけど」
「ええ、晶ちゃんと鈴ちゃんから頼まれちゃったから」
佐古の部下である日之出中尉と真田中尉もここの店の常連である。
「オレも頼んだ」
なぜか胸を張ってがんばったアピールする小山。
無駄にピクピクと筋肉を動かしている。
「うん、小山君からも」
佐古はため息をついた。
「小山のバカはどうも学生に変なことをさせようとしているから、ほどほどにして欲しいんだけど」
「変なこととはなんだ! お前のようなボケが
「あのな、中隊長として風紀に関わることはきちんと律する義務があってな」
「はんっ! 何が風紀に関わることはきちんと律する義務があるんでござんす、だよボケ!」
後半部分は佐古の口真似をする。
「バカ、俺の部下同士がチュッチュしてみろよ、そんなの士気に関わる、発情期の犬猫じゃあるまいし」
「よく言うわ、何が中隊長だ、小っせー! そんな若い奴らの気持ちを押さえつけることでしか統率できないなんて、いや小物小物」
「お前な、軍隊だぞ……俺は指揮官なの、そんな公衆の面前でイチャコラしてたら
「はっはー、お前のところの真田中尉や、綾部のクソ野郎とのイチャイチャは許してるのに、子供はだめだなんて、理解できん」
「それは違う、あいつらは大人、いいか、職場じゃ一切そんな雰囲気出してないだろう」
「街で手繋いで歩いていたぞ」
「外は構わん」
口を尖らせる佐古。
桃子はいつもの様に罵り合いを始める二人の顔を見て、あの頃、あの学校の制服を着ている二人の姿が重なっていた。
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